第六話「学校」
(亮って、まだ高校生だったんだな)
制服にそでを通しながら、そんなことをしみじみと実感していた。
昨日、夕食時に亮の母親から「明日から学校行ってみる?」と訊かれたときは、何のことだか理解するのに数秒かかった。いくら記憶喪失だからといって、まさか自分の年齢までも忘れ去っているだなんて、誰も思わないだろう。しかし、俺の場合はそのまさかだ。俺は自分自身の年齢さえも忘れ去っており、もちろん亮の年齢なんか知る由もなかったのだ。(というか気にもしなかった)亮の姿を鏡で見たときから、亮は若いだろうなとは思っていた。だが、せいぜい十九、二十歳そこそこだろうななどと考えていたので、母親が「学校」という言葉を口にしたとき、大学や専門学校のほうを思い浮かべてしまった。
次の瞬間「もうすぐ卒業ってこともあるけど、学校に行けば何か思い出せるかもしれないでしょう」と、母親。
その言葉を聴いて、俺は(それもそうだな)と思い、退院早々、さっそく学校へ行くことに決めたのだ。さすがに制服が用意されているのを見たときは驚きが隠せなかったが……。昨日、亮の携帯を見ようとしたが、ロックされていて、結局、中身を見ることができなかった。依然として『小宮山亮』という人間に関する情報も少ないままなのだ。本当に母親の言うとおり、亮が通っていた学校に行けば、何か掴めるかもしれないという、淡い期待があった。
(それにしてもネクタイって、どうやって結ぶんだったけ?)
俺は亮の部屋にある姿見の前で、必死にネクタイと格闘していた。俺自身も亮もネクタイぐらい締めたことがあるはずなのに、なぜか要領がよくわからない。ちょうどそのとき、下から「清美ちゃんが迎えに来てるわよ」という母親の声が聞こえてきた。
登校の支度をなんとかすませると、一階に降りていき、住居スペースから店内へと出る。するとそこには、昨日のあの清美という少女が俺を待ち構えていた。店内の椅子に腰掛け、時計を気にしている。
俺の存在に気づいた彼女は「ちょっと亮、遅いよ〜。早くしないと遅刻しちゃうでしょ」と言って、昨日は何事もなかったかのような明るい態度で接してきた。
「ああ、ごめん。なんか久しぶりだからいろいろ手こずっちゃって……」
ネクタイに手こずったなんて、なんかカッコ悪くて言えない。そんな俺を知ってか知らずか、「なんかネクタイゆるくない?」などと言って、清美がネクタイを締めなおしてくれた。
このとき初めて俺は、清美の顔を間近でよく見たような気がする。昨日は突然の事態で、放心状態だったからだ。
清美の顔が近い。高校生にしては、まだ少しあどけないというか、童顔だ。身長もそんなに高くはないだろう。それにしても、シャンプーのいい香りがする。
(どうして女って、こんないい匂いのするシャンプー使ってんだろ?)
どうでもいい素朴な疑問が頭に浮かんだ。そんなことを思っていると、清美はネクタイを結び終えて、こう言った。
「どーせ、学校までの道も忘れちゃってるだろうから、私が連れっててあげるね」
俺の目を見ずに言ったのが少し気になったが、口調が明るかったので、それ以上は気にしないことにした。
「ホント、早く行かないと遅刻しちゃうから」
そう言って、清美は俺の腕をぐいっと引っ張って外に出た。
「おばちゃん、行ってきます」
彼女の明るい声が店内に響く。俺も清美に続いて控えめながらも、「いっ、行ってきます」と、言っておいた。
亮の母親は、笑顔で俺と清美を見送ってくれた。