第五話「亮」
清美が帰った後、亮の母親は俺を奥の住居スペースに案内した。どうやらこの家は、一階にラーメン屋の店舗スペースとその奥に住居スペースがあるようだ。
部屋に入って、まず目に入ったのは、仏壇だった。仏壇には亮の父親らしき人物が穏やかに微笑んでいる写真が添えてある。このとき、俺は初めて、亮の父親がもうすでに亡くなっているという事実を知った。
(ということは、亮にはほかに兄弟もいないようだし、母親と二人暮しなんだな)
そのことに気づいたとき、俺は急にこの家の経済状況が心配になってしまった。入院中、俺は個室だったことを思い出し、しかも無駄に二週間も入院してしまったことを考えると、お金は大丈夫だったのかなどと、余計な心配をしてしまう。
俺が頭の中でそんなことを考えているとは知らない亮の母親は、仏壇の前に座り、仏を拝み始めた。
「お父さんのお陰で、亮がこうして無事にうちに帰って来ることができました」
その光景をまるで傍観者のような気分で見守っていると「ほら、あんたもお父さんにお礼言いなさい」と言われて、俺は黙って仏壇に手を合わせる。
仏壇に飾ってある父親の写真。亮の父親は相変わらず、写真の中で微笑んでいる。きっと、この人にはすべてお見通しなのだろう。俺が、彼の息子ではなく、別の誰かであるということも。
そう思うと、なんだか居たたまれない気持ちになった。俺はこれから、『小宮山亮』という人間を演じなければならない。
「亮、昼ごはんどうする? 何か作ろうか?」母親が俺に訊いた。
「いいよ。まだ、後でで」
なぜかそんなに腹も減っていない。俺は自分の部屋にでも行こうとして立ち上がると、その直後に、亮の部屋がどこにあるのかなんて知らないことに気づいた。
「あー、俺の部屋って(どこだっけ?)」
二階へと続く階段の前で立ち止まり、母親のほうを向いて、そう言いかける。すると彼女は(あーそうか)というような顔をして「二階の左側の部屋」だと教えてくれた。
俺はそのまま階段を上がり、左側の部屋へと入った。
狭く、こじんまりとした印象が強い。亮の部屋は雑然としていたが、そんなに酷く散らかっているわけでもなかった。というよりむしろ、どちらかといえば、整理整頓されていると言ったほうが正しい。無論、それはきれいにという意味ではなく、雑然と必要なものだけがまとめて並べられている。ただ、それだけのことだった。
亮の部屋を一通り見渡してみて気づいたのは、この部屋にはそんなに物が多くはないということだ。本当に必要な物しか置いていない。そんな感じだ。
亮が使っていたであろう勉強机のいすに座ってみる。消しゴムのかす一つ落ちていない机を見ると、亮は机に向かって勉強をするようなタイプではないことが一目瞭然だ。というより、もうこの机はその役目を果たし終えたのかもしれない。
そんな机の奥に飾ってあった(置いてあった?)一枚の写真が目に留まった。亮の幼いころからの写真は、入院中に母親がアルバムごとわざわざ持ってきてくれたので見たことはあった。結局、何も思い出さなかったので意味はなかったが、亮が今までどんな人生を送ってきたのか垣間見ることができたのでよかった。しかしこの写真は確か、アルバムには貼ってなかったような気がする。アルバムから不自然に抜き取ったような形跡があったから、その写真がこれなのかもしれない。
その写真は、写真立てに入れられていた家族写真だった。俺はそれを手に取り、じっくりと眺める。
今より少し若いころの亮の母親とまだ元気だったころの亮の父親、そして幼いころの亮の三人が、この家のラーメン屋の前で笑って写っている。この写真を見ていると、この幸せそうな家族が俺には羨ましく思えてきて不思議だった。
(なんで羨ましいんだ? もしかして俺には家族がいなかったとか?)
そんなことをぼんやりと思いながら、写真立てを机の上に戻すと、机の横にあるベッドへと寝転んだ。
あらためて俺は、今、自分が置かれている状況を思い返してみる。よく考えてみれば(いや、よく考えなくても)変な話だ。全く、縁もゆかりもない赤の他人と魂が入れ替わってしまっただなんて。……いや、待てよ。全く関係ないこともないのかもしれない。記憶がないだけで、俺は『小宮山亮』となんらかの関わりがある人間なのかもしれない。まあ今の段階では、どちらともいえないが……。
(まあ一人でなんかうだうだ考えてても、埒があかないよな)
そう思って横に寝返りを打つと、あるものが目に入った。亮の携帯電話だ。なぜか無造作にベッドの上に置いてある。
そうだ。今の俺には情報が足りない。自分のことはともかく、亮のこともほとんど何も知らないのだ。亮の携帯を見れば交友関係とかいろいろわかるかもしれない。すかさず、俺は亮の携帯に手を伸ばしていた。