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第二話「天使」

 俺の怪我は、そうたいした怪我ではなかったらしく、医者からは二週間もすれば、すぐに退院できると言われた。だが、なぜ自分の名前も思い出せないほどの酷い記憶喪失なのか? それに、たいして強く頭を打ったわけでもないのに、二日も意識が戻らなかったことは、説明できないとのことだった。

 俺はなぜだか、いまいちピンとこない。それどころか相変わらず、何か違和感を覚え続けている。まるで自分が自分ではないような、そんな変な感覚なのである。

『小宮山亮』

これが俺の名前だと教えられた。自分の名前を聞いても、何も思い出すことはなかった。

 なんだか、何も思い出せない自分に苛ついてきた。いくつもの疑問が、頭の中を掻き乱す。なぜ、何も思い出せないんだ? その前に、なぜ何も覚えていないんだ? ……いや、ちょっと待て。俺の脳裏に一つの疑惑が生じた。

 俺は本当に『小宮山亮』という人間なのだろうか?

 そうではない可能性も十分あるような気がしてきた。そういえば、さっきから感じている、この何とも言えない違和感はいったい何だ?


 いつの間にか日が暮れていた。あの後、医者が説明してくれたことを元に、いろいろ考えてはみたものの……。余計に頭が混乱するばかりだった。

 母親は、息子が記憶を完全に失ってしまったという事実が受け入れられないといった面持ちで、病室を飛び出して行ってしまった。よっぽど、ショックだったのだろう。だが、一番ショックなのは、本人であるこの俺だ。

 ベッドの上で一人、孤独に考えていても埒はあきそうにない。ちょっと気分転換でもしようと、俺はベットからおりてみる。病室の窓に近づき、外を見てみると、病院の庭一面にイルミネーションが施されている。窓を開けると、どこからかお決まりのクリスマスソングが聞こえてくる。

「そうか。今日はクリスマスか」

俺は独り言をつぶやくと、窓を閉め、ベットに戻ろうと思い、後ろを振り返ろうとした。そのとき――

 さきほどまで感じていなかった、誰かの気配を感じていた。この気配は、生きている人間のソレとはだいぶ違っていた。そもそも部屋に入ってきたのが人間なら、ドアの音で気づくはずだ。部屋の隅っこに、誰かいるような気がして、ゆっくり後ろを振り返る。

 振り返るとそこには、髪の長い、白いワンピースを着た、十二、三歳くらいの女の子が立っていた。真冬だというのに、白いノースリーブのワンピース。どう考えても、普通の入院患者には見えない。ましてや、誰かの見舞いに来た人間とも思えない。

(もしかして、幽霊?)というか、もしかしなくても、おそらくそうだろう。だが俺は、不思議と恐怖は感じなかった。少女は、じっと俺のほうを見ている。恐怖は感じてないはずなのに、なぜか金縛りに遭ったかのようにその場から一ミリも動けない。

《私は天使……》

彼女は微笑みながらそう答えた。……いや、答えた?俺は口に出して言ってはいないのに、答えが返ってきたことに驚いた。しかもその少女も口に出して答えてはいない。

(これは何だ? 心で会話してるのか?)俺の問いかけに、少女は何も答えない。

 ただでさえ混乱しているというのに、それに追い討ちをかけるようにして、また非現実的なことが身に起きている。全く、わけがわからない。今起きていることは、はたして現実なのだろうか。

(いや、もっと冷静に考えてみよう。俺は幻覚が見えているんだ。そしてこの声は幻聴だ。そうだ。そうに決まっている。俺は今朝、意識が戻ったばかりで、頭が混乱しているんだ)などと、俺は自分に言い聞かせて、落ち着こうと必死になっていた。

『何ひとりでうだうだ考えてんの?』

今度は彼女の口からはっきりと、そう聞こえた。俺は何がなんだかわからず、部屋の隅にいる少女の目を見つめたまま、呆然とその場に立ち尽くしているだけだった。

 ドアのノックで、俺は我に返る。返事をすると、ドアが開いて女の看護師が夕食を持って入ってきた。その看護師は、俺の不自然な立ち位置に多少、疑問をもった様子で、「ど、どうかしました?」と、ぎこちない笑みを浮かべつつ、食事をベッドの上にある台に運びながらそう言った。

「いや、なんでもないです」

テンション低めに、そう言うのがやっとだった俺は、ひとまずベッドへと戻り、夕食をとることにした。

 病室内を見渡すと、いつの間にかあの少女の姿は消えていた。気配ももう感じない。やはりあれは、幻覚、幻聴だったのだろうか。

 俺は気を取り直して、食事に箸をつけた。味はまずくもなければ、おいしくもないといった感じだ。まあ、病院食ってやつは、大体こんなもんだろうなどと思いながら、一人黙々と箸を進める。

『君、ニンジン嫌いなの?』

その言葉に俺は絶句した。さっきのあの少女が俺の顔を横から覗き込んでいる。

(な、な、な、なっ、おまえ、いつからここに?)

『いつからって、最初からここにいたけど』

 最初から? そんなばかな! 

 確かに、今まで気配は消えていたはずだったのに。いつの間にか、ちゃっかり俺の隣に存在している。

『ねえ、ニンジン嫌いなの?』

動揺している俺のことなんかお構いなしに、少女は素朴な疑問を一方的に投げかけてくる。無意識のうちに除けられていたニンジンの山が目に入る。少女はまっすぐ俺のほうを向いている。

「……知らない」

突然、何かあきらめがついたかのように、俺はそう言って、ゆっくりと箸を下ろす。

『えっ?』少女は、俺の発した予想外の一言に、意味がわからないというような顔をしている。そんな彼女を横目に、俺はニンジンの山に視線を下ろしたまま、あまり抑揚のない声で一人つぶやくように語りだした。

「俺は、自分が誰なのかわからないんだ。目が覚めたら、病院のベッドの上にいて、事故に遭ったらしいけど、そんなの全く、記憶にないし、小宮山亮って人間らしいけど、なんか違う気がするんだよね。俺は小宮山亮じゃなくて、別の、それ以外の、別の誰かなんだと思う……」

そこまで言って、俺は一瞬、口ごもる。同時に、幽霊相手に何を言っているのだろうと、ふと思う。

「だから俺が、ニンジンを嫌いかどうかなんて、知らないんだ」

ニンジンの山から少女のほうへ顔を向けながら、俺は最後に結論を付け加える。自分でそう言っておきながら、自分自身のことなのにまるで、人事のような言い方をしたのが少しおかしかった。

 少女はというと、神妙な顔つきで黙って俺の話を聞いていた。俺が話し終えたのがわかると、少女は俺に何と言っていいのかわからない様子で、必死で俺に掛ける言葉を探しているようだった。

(こいつ幽霊のくせにいっちょ前に、人に気を遣っている)まあ、幽霊っていうのは、元は普通の人間なのだからあたりまえと言えばあたりまえのことなのだが――。

『亮はニンジン嫌いじゃなかったから、きっと君がニンジン嫌いなんだよ』

彼女の口からとっさに出た言葉がこれだった。俺には、わざと明るく言ったように感じられた。

(そうか。俺はニンジンが嫌いなのか)気がつくと、俺はまた視線をニンジンのほうへ向けていた。俺がニンジンを好きか嫌いかなんて、正直どうでもよかった。だが、食べ物の好き嫌い一つ、自分自身に関する事柄を覚えていない自分が虚しかった。

「それよりおまえ、なんで亮のこと知ってんの?」

『え?』

俺が突然そんな風に質問したのに驚いたのか、少女はきょとんと目を丸くしている。

「おまえ、俺のことは知らないんだろ? なのに何で亮のことは知ってるのかなぁって、思ったんだけど……」

横にいる少女の顔をチラ見してみる。なぜだか知らないが、若干うろたえているように見える。

『えっ、えっと……それは……』

わからなくて答えられないのか、わかってはいるが答えたくないだけなのか、どちらか知らないが、まあ、言いたくないのなら無理に答える必要などない。今すぐにその疑問が解けなくても、なんら困ることはない。ほかにわからないことが多すぎるので、それだけわかっても意味がないのだ。どちらにしろ、あとでこの謎も解けることだろう。

 うろたえる少女を見かねて、質問を変えてみる。

「名前は? おまえ名前はなんていうの?」

『はっ、ハルカ』

「そっか。ハルカか。それでハルカは天使なんだよね?」

ハルカと名乗る自称天使は、黙ってうなずく。

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