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ほむら  作者: 工藤るう子
1/4

1回目





 そっと、その頬に触れてみた。


 熱い。


 あまりに下がらない熱に、脳に影響がおよぶのではないか――と、自分の心配に、太智花たちばなは瞠目した。


 どうでもいいことだ。


 即座に、打ち消す。


 貴珠きしゅの体調は良いにこしたことはないにしても、狂っていようが、白痴であろうが、さしたる問題ではありはしない。まぁ、凶暴なのは、困るが。


 褥に仰臥しているのは、血の気とてほとんど感じられない、青白い顔をした貴珠である。


 汗に濡れ寝乱れた黒髪に、こけた頬。苦しさにか薄く開かれているくちびるのあわいからは、忙しなく浅い息が繰り返されている。


 かすかにかおる甘い香に導かれるようにして、見下ろしている太智花の視線が、どうにかふさがりかけた喉もとの赤い傷跡へと、移動した。


 ――――喋れないかもしれません。


 連れてきた人間の医師が、震えながらそう告げたのを思い出す。


 傷は思いのほか深く、声帯を損ねているらしい。


 自ら喉を突いたのであろう傷を痛々しく感じている自分を、太智花は強く意識せずにはおれなかった。


 変だ。


 おかしい。


 自分は、こういう性格をしていたろうか。


 自分は、死に瀕した貴珠に、笑いながら牙を立てることができる。


 もがき苦しむさまを楽しみながら、最後の血の一滴を啜るために、より深く牙を突きたてることを、好んでさえいた。


 貴珠の断末魔の喘鳴すらもを心地好いものと感じながら。




 自問自答に飽きた太智花は、掛けていた椅子からやおら立ち上がった。


 褥に仰臥する顔色の悪い貴珠に後ろ髪を引かれながら、あることを確かめようと、太智花は、部屋を後にしたのである。




「太智花さまっ」


 幾日ぶりですね――――と、声を弾ませて、先ほどの貴珠とはうって変わって顔色のよい貴珠が、太智花に気づき駆け寄った。


 屋敷から庭を隔てた離れの貴珠の館に、今はただひとりきりで住まっている少年である。少年の見掛けをしたその淡い褐色の双眸にたたえられている媚に、太智花の心が動くことはない。


 これまでも。


 そうして、これからも。


 ずっと、お待ちしていたのですよ―――しおらしげな態度と、線の細い少女めいた外見に隠された本性を、太智花は、もとより知っている。


 かつてここには、入れ替わり立ち代り、十を数える貴珠がいた。そのすべてを、彼は平然と、いや、笑いながら、追い落としてきた。


 それは、太智花にとって、暇つぶしになるていどの芝居ではあったのだ。


 貴に血を啜られた貴珠は、ある種の不老不死となる。


 貴珠を葬り去れるのは、唯一、貴だけである。


 貴珠といえば、その大半が他人よりも優れた容姿を持っているためなのだろうが、美しいと言われるものほど自分の容姿に執着する度合いが強い傾向にある。人間たちの中にあればあるだけ、美貌と呼ばれるものは、その周囲にあるものの心を捕らえるものであったのだろう。容貌の変化を恐れる貴珠は、貴のものとなれば容姿が衰えなくなると知った途端、進んで、血を吸われようとした。そうして老いる恐怖を忘れ、暇をもてあました貴珠は、ある時ふと気づくのだ。老いるはずのない自分の容姿の衰えに。不老不死とはいえ、たった一つの例外を除いて、貴に血を吸われた貴珠は、定期的に貴に血を啜られなければ、一気に老いるのだ。その事実を知れば、だいたいにおいて、貴珠は性格が歪む傾向にあった。自分たちに与えられた不老不死が、貴の気まぐれにかかっているのだと、遅まきながら気づいたために。


 ともあれ、名前すら忘れた貴種に追い落とされたものの首に絶命の牙を打ち込みながら、太智花はほくそえんだものである。


 絶望の味付けは、貴珠の血に、独特の刺激と苦味とを与える。


 その味を、太智花はことのほか好み、堪能した。


 彼の、してやったりといった雰囲気は目障りではあった。が、太智花は、見て見ぬ振りをする。それは芝居を楽しむ共犯である彼にとっては礼儀であったのだ。


 彼の着衣を引き裂いた。


 いつもとは異なる扱いに青ざめた少年の左胸に、無造作に爪を立てる。


 ドクドクと手の中で、貴珠の心臓が悲鳴をあげているのが、心地よく感じられ、太智花のくちびるが、自然と笑みをかたちづくった。


 それは、人ならざるものの、壮絶なまでの艶を帯びて、少年を魅せた。


 それまでの恐怖を忘れたかのように、少年は、うっとりと、太智花にからだを預けた。


 怯えた表情にも、それ自身にも、太智花の心は、なにひとつとして、感慨を覚えることはなかった。


 では―――――――なぜ、自分はあの貴珠に、あんなにも心を動かされたのか。


 少年の心臓に牙を打ち込んでいながら、太智花の心の中、浮かび上がってくるのは、あの貴珠の苦しげな表情ばかりだった。


 目覚めた顔を一刻も早く見てみたい。


 おそらくは褐色だろう双眸に、自分自身を映させたかった。


 見た目ならば、この貴珠のほうが、はるかに美しいというのに。




 ―――愛しい。




 思いもよらぬつぶやきだった。


 いとしい――――――――?


 太智花が、この自分が、ことばすら交わしていないあの貴珠のことを?


 あまりにもらしくない感情に名前を与えることは、それをそうと認めることは、まだこの時の太智花の貴としての矜持がよしとはしなかった。


 貴珠など、利用価値があるというだけの、ただの糧だ。貴の力を強くすることができる力が、わずかばかり、香よく味わい深い血に含まれているというだけの、ただの、喋る家畜に過ぎない。


 そう。


 家畜に過ぎないことを知らない、憐れな…………。


 太智花は、己の感情に目をつぶり、手の中でぴくぴくと震えている心臓を、握りしめた。


 鋭い悲鳴が、貴珠の口から、迸る。自然、こみあげてくるのは、なんともわからない、哄笑だった。


 太智花は、貴珠から手を離し、館を後にした。




 誰もいなくなった部屋で、貴珠がくちびるを噛みしめ、太智花が出て行った後の扉を凝視していることなど、その双眸の宿す剣呑な光など、あずかり知らぬことであったのだ。




 その日も、また、太智花は、眠りつづける貴珠のもとにいた。


 いまだ目覚める気配のない貴珠は、太智花の寝室の隣に移していた。


 太智花の元に来て、十日になる。


 熱は下がっていたが、頑ななまでに、覚醒する気配はない。


 いっそうのこと、頬がこけ、顔色が悪い。


 太智花は、迷っていた。


 迷うなどという、己にあらざる感情をもてあましながら、貴珠の喉の赤い傷に指を這わせた。


 目覚めを待たず、自分のものにしてしまおうか。


 あの日、太智花の気を惹いた血を、吸ってしまおうか―――と。


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