序章-1 深夜訪問
「うー、こういうとこ苦手なんだよなぁ…」
月明かりも届かぬ黒く、暗い夜。
虫の声以外何も響かぬ廃墟ビルの中で、男は懐中電灯の明かり一つで歩いていた。
倒壊を予感させるほどではないが、それでも内装は荒れに荒れ、不当に廃棄された家電やら、大量の吸い殻やら、何に使うのか分からない金具やらが、懐中電灯を振り回すたびに浮かび上がる。
どれほど足音を忍ばせても、ジャリ、ジャリ、という小石やガラス片の音が、否応なしに廃墟内に響き渡った。
「多分この階だと思うんだけどな。これじゃお目当てのものを探すどころか、帰れるかどうかすら怪しいぞ…」
元々オフィスビルであったその廃墟は、異様に入り組んでいた。
この構造の扱いづらさも、廃棄された一つの理由なのだろう。
ヘビのように巡り巡る通路、いくつもの部屋が組み合わさり、まさにそれは迷路の様相を呈していた。
そんな中でふと、僅かな音が聞こえる。
ごそごそと、何か袋を漁っているような、あるいは取り出しているような、そんな音。
彼はほっと胸をなでおろした。何とか、”お目当て”を見つけられそうだ。
その部屋は、広かった。
オフィスの一室なのだろうが、デスクやチェア、ラックなどは全て撤去されており、当時使われていた形跡があまり見受けられない。
そんなだだっ広い部屋の真ん中で、ランタンを傍らに置き、大きな袋から、また大きな何かを取り出している人の影があった。
「こんばんはー。」
こんな異様な風景の中、気の抜けた男の声が響き渡る。
がらんとした部屋に響く突然の声に、先程の音の主は大きく身体をびくつかせ、振り向いた。
「…あ?」
ぴったりと頭に張り付いたオールバックの金髪と、着古されたグレーのジャケット、じゃらじゃらと光を反射するアクセサリの数々。
こんな時代に、ここまで分かりやすいヤクザがいるのかと、青年は気が抜けてしまいそうだった。
ヤクザは、胸にしまっていた小さな懐中電灯で、男の顔面を照らす。
無造作な短い黒髪と、こんな廃墟には似つかわしくない綺麗な目鼻立ちが一瞬見え、手で覆い隠される。
「ちょっ、眩しいって。急に顔に当てないでくださいよ。」
相変わらず緊張感のない声は、ヤクザを少しイラつかせた。
「おい何だ、Youtuberか何かか?見ての通り取り込み中だ、さっさと消えな。」
ヤクザの足元には、先程聞こえてきたであろう音の正体が転がっている。
人間くらい大きい縦長の袋と――人間。それを見て、青年はにやりと笑った。
「いえ、僕は”取り立て屋”です。」
作業に戻りかけていたヤクザが、その声にまた振り返る。
「何だよ、同業か?悪いがこいつはもう見ての通りだ。他を当たんな。」
そのヤクザの声を聞いて、青年はポカーンとしていた。
え、マジ?そう言いたそうな、これも緊張感のない驚きの顔。
「てめぇ、誰と喋ってんだ?」
向かいの入口から、また新たにもう一人入ってくる。
彼はヤクザに向かって、忌々し気に歩を進めた。
「いや兄貴、何か”取り立て屋”とかいう男が…」
ランタンに近づくにつれ、現れた男の姿がぼんやりと浮かび上がる。
髪は大人しくセミロングに伸び、自然なカラーリングにコーディネートされたジャケット姿は、ヤクザとは対照的だったが、その眉間に皺の寄った眼光は、ヤクザとは比べ物にならぬ威圧感がある。
「取り立て屋?」
兄貴分は青年の方を見る。青年は所在なさげに手を振った。
元から刻まれていた眉間の皺が、更に深くなる。
「そうか。」
そう言い切った直後だった。
兄貴分は胸元から何か取り出し、凄まじい破裂音が鳴る。
その先端から閃いた光は、致命の鉛玉を真っ直ぐ撃ち出し、青年の頭を貫いた。
「あ、兄貴!まだ現場見られたわけでもないのに殺しは…」
「馬鹿が。だからいつまでもてめぇは鉄砲玉なんだよ。」
間違いなく兄貴分の放った弾丸は、青年の頭を貫いた。
だが彼は、銃を下ろそうとはしない。
「ほら、さっさと構えろ。この程度じゃ死なねぇよ。」
「…は?」
間の抜けた顔で驚くヤクザを置き去りにして、事態は展開する。
青年は頭に風穴を空けられ、その脳天から大量の血を流しながら、ゆっくりと立ち上がった。
「よかったー。誰も知らなかったらどうしようかと思ってました。」
口元に笑みを浮かべながら、何事もなく青年はすっと立ち上がる。
青年を見たまま動けなくなっているヤクザを一瞥し、兄貴分は舌打ちした。
そして同時に、引き金を引く。
再び鋭い銃声が二発、三発と鳴るが、青年はもうそこにはいない。
「腕いいですね。この暗さでヘッドショット食らうとは思いませんでしたよ。」
相変わらず緊張感のない声。
だが先程までの気の抜けた声ではなく、とても楽しそうに弾んだ声をしていた。
声の聞こえる位置からして、彼が入ってきた入口の影に隠れたようだ。
再び発砲されるまでの一瞬の間に、である。
「“素材”と”祭壇”を渡してくれたら、命は取りませんよ。というか、そもそも殺すつもりはありませんし。」
「そう簡単に渡すかよ。今日まで大事に育ててきたんだ。」
兄貴分は、銃を構えたままゆっくり回り込むように、青年の隠れる入口へと近付く。
ヤクザもようやく震える手で拳銃を取り出し、何とかセーフティを外して兄貴分に続いた。
「これでも?」
その声が響くと、二発素早く銃声が鳴る。
その銃声はヤクザ達ではなく、兄貴分が入ってきた入口から響いた。
「くっ…」
「があああ!!」
二人は血の流れる手を必死で押さえる。
別方向からの銃撃に彼らの手は撃ち抜かれ、もう銃を握る事も満足にできそうにない。
「いいんですか?抵抗しすぎると殺されますよ。」
声は、青年がいるはずの場所から。
ひた、ひた、という足音のような音は、銃声の鳴った場所から聞こえた。
その足音は、確かに聞こえるが人間のものにしては異様に小さい。
やがて、その足音の主が現れた。
それは、形容しがたいものだった。
そのまま表現するのであれば、
”銃を持った目のある触手を生やした腕の立体的な影”。
シンプルな、よくゲームや映画で見るような自動拳銃。
それを人間の左腕が持っているのだが、その腕の端から足のように触手が何本も生えている。
その触手のうち二本には目がついている。そんな異形の物体。
更に不可解な事に、それはさながら影のように黒塗りだった。
事実、物質的な陰影が見えず”影”そのもののように見える。
だがその動きを見るに立体的な存在であり、その認識し切れぬ異物感は、
人間が無条件に恐怖を感じるに十分な異形だった。




