シーン2 [編集者:アオシマ]驚愕②
デニーズに着くと、店の奥の席に座る我那覇さんが見えた。いつものくたびれたスーツに、伸び過ぎてやや膨らんだボサボサの髪は、後ろ姿でもすぐに見つけることができた。姿をくらましていなかったことにひとまず安堵する。少なくとも彼は話し合うつもりはあるのだ。その事実だけが、今のぼくの唯一の救いだった。
店員に待ち合わせだと告げ、真っ直ぐにテーブルへと向かう。
席に着くと、先ほどの電話の内容について、震える声を抑えながら切り出した。しばらく言葉を交わし、我那覇さんが冗談を言っているのではなく、本気であることがわかると、肩を落として落胆せざるを得なかった。
「……最初からぼくたちを騙していたんですね」
ぼくは感情を隠しきれずつい、こぼしてしまった。
「どの時点を最初と言うかは難しいですが、新人賞を受賞した短編小説を書いている時点でこの計画を立てていました。この計画を実行すると作家生命を失うのはわかっていましたが、わたしにはエンジニアの仕事があるので困りません」
本当にふざけている。
この人には良心というものがないのだろうか。
「……ぼくが協力しないと言ったらどうする気ですか……」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、惨めだった。
「その可能性は高いと思っています。先ほどの電話でも伝えた通り、このことを知るのはわたしたちだけです。これから進むかやめるかはアオシマくんにお任せします」
「進む? どういうことですか?」
我那覇さんの意外な言葉にぼくは眉を寄せた。
「アオシマくん、大まかに二つの道があるとわたしは思います」
我那覇さんは一本ずつ指を立てながら説明する。
「一つは先んじて盗作だったと発表し、謝罪を行う道。もう一つは大ごとになる前に先生を探し出して、なんとか共同著者になってもらう道。共作ということですね。その際、この本のプロジェクトからわたしを排除する条件が出たら、わたしはそれを受け入れるつもりです」
後者は考えるまでもなく却下だ。こんな段階でできるはずもない。前者の、発表と謝罪の道は……これをしなければならないのはわかっているが受け入れ難い選択肢だ。これからやらなければならないことの膨大さにめまいがしてくる。しかもやり終えたところで苦しみしかないプロジェクトになるのだ。
テーブルに目を落とし、考え込んでしまう。現実的な対処に覚悟が定まらなかった。
「そしてこれは第三の道ですが」
我那覇さんがなおも口を開いた。
「今すぐ決めなくても良いと思っています。アオシマくんはこんな面倒なことに関わらない。続刊の作業もせず、サヨナラする。プロモーションの企画も、止められないモノ以外は不自然にならないように取りやめる。これが一番良いかも知れません。わたしの手紙やここでの会話のことなどを知らんぷりしておいて、先生が訴訟を起こして問題が明るみに出たら、その時初めて盗作を知ったような顔をして、先生と協力してわたしを訴えればよいと思います」
その選択肢を聞いて、ぼくの中の苦しみが少し和らいだ。目を閉じ、指を折りながらリスクを考え、その対処法を探る。
ふと思い立ち、ぼくは我那覇さんに「この会話、録音してませんよね?」と問いただした。
この知らんぷり作戦が使えなくなることを危惧したのだ。
我那覇さんは録音はしていないと言い、スマホを預けることも厭わなかった。
うん。大丈夫だ。
今日は知らんぷり作戦で行こう。今日一日考えて結論を出す。今すぐ急いで対処をして、ミスをすることの方がリスクが高い……。
少しだけ落ち着いたぼくは、話題を変えることにした。これ以上、本題について話していたら、本当に何をしでかすかわからなかったからだ。
「……どうしてこの場所なんですか? ここは我那覇さんの最寄り駅でもないですよね」
「特に意味はありません。自由が丘のデニーズには先生とよく来たのです。この席に座っていろんな話を聞かせてもらいました」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが切れた。奥歯を強く噛み締める。どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ。思い出の場所? これだけ滅茶苦茶にしておいて、感傷に浸っているのか?
「付き合ってられない……帰ります」
ぼくは席を立とうとした。
「ゆっくり考えてください。どう決めたとしても、わたしはアオシマくんを恨みません」
ぼくは席を立った。
微笑みながら言う我那覇さんに対して、感情を抑えきれる自信がなかった。
店を出ると、冷たい空気が燃えるように熱い頬を撫でた。午後からの仕事に向かわなければならない。大手書店での売り場チェック。本来は、誇らしい気持ちで我那覇さんと共に立つはずだった場所だ。作家は急な体調不良。そんな陳腐なウソで、ぼくはこれからどれだけの人の顔に泥を塗っていくのだろう。
考えなければならないことは山積みだ。だが、今は何も考えられない。とにかく、落ち着いて一人になれる時間が欲しい。心の奥深くで、黒い不安が渦を巻き、大きくなっていくのを感じながら、ぼくは重い足取りで仕事へと向かった。




