シーン12 [編集者:アオシマ]疑惑②
殺人事件など、自分には無縁だと思っていた。
しかし、Y先生に関する調査を進めるうちに、もしかしたらという疑念が湧いてきたのも確かなのだ。
きっかけは我那覇さんの同級生、サイトウさんへの取材だった。
サイトウさんには、ベストセラー作家の素顔に迫るという取材名目で協力してもらった。
学生時代の我那覇さんのエピソードを聞かせていただいたが、当人にとっては特別でも、客観的に見ればありふれたエピソードが並ぶこととなった。(我那覇さんの下宿が友人たちのたまり場になっていたこと、夜通し友人と麻雀を打っていた話、などなど)
サイトウさんはあまり学業に熱心な学生ではなかったようだ。我那覇さんが仲良くしていた教員はいないのかを確認したところ、Y先生の話になった。
我那覇さんはY先生と仲が良かった。それだけでなく、ほかのY先生と仲良くする生徒とは少し距離をおいていて、一人でY先生と話していることが多かったらしい。
そういえば卒業旅行で我那覇さんはY先生と一緒だったと聞きました、とぼくがサイトウさんに言った時、予想外の反応が返ってきた。
「あれ? その時、我那覇はY先生に会えなかったんじゃないかな」と。
旅行の日程を詳しく尋ねたところ、以下の通りとなる。
サイトウさんもY先生も我那覇さんも、それぞれ別々にヨーロッパに向かった。それぞれ旅行に目的があるため、現地で合流できたら合流するという、緩い集団行動としたそうだ。
計画ではまずサイトウさんがポーランドのアウシュヴィッツを見に行く際、Y先生と合流する。その後、二人は別行動で、サイトウさんはクラクフを見てからローマを目指す。Y先生はイタリアのベネツィアに滞在し、その後シエナのカンポ広場で我那覇さんと合流する。我那覇さんとY先生は三日間一緒に行動し、Y先生はローマの空港から一足先に日本に帰る。我那覇さんはその次の日、ローマに来たサイトウさんと合流する、という流れだったらしい。
しかし、計画とは異なり、サイトウさんはY先生とは合流できなかった。元々緩い集団行動という計画だったため、サイトウさんは一人で旅行を続けた。そしてローマの空港に向かう前日、ホテルを訪ねて来た我那覇さんと合流した。我那覇さんはサイトウさんが使っているガイドブックに載っているホテルを一件一件訪れ、チェックインの台帳を見せてもらい、サイトウさんを見つけたようだ。
「その時、俺がY先生と合流できなかったことを伝えたら、我那覇も、自分もそうだと言ったんです」
サイトウさんはそう言ったのだった。
では、あの我那覇さんが語った駅前のホテルでの食事のエピソードは、すべてがウソだったというのか? あの楽しげな思い出話は、すべてが彼の創作だったと?
我那覇さんとサイトウさんの卒業年次に、Y先生も大学の非常勤講師を辞めている。
だから、我那覇さんの卒業旅行は、Y先生にとっても、ある意味「卒業旅行」だったのだ。
さらに大学に問い合わせてわかった事実は、ぼくの背筋を凍らせた。Y先生はその次の年も継続して講師を勤めるはずだったが、手続きに現れず、連絡もつかないまま契約終了となったという。
パズルのピースが、恐ろしい絵を形作り始める。旅行中にY先生の身に何かがあり、そのまま、消息を絶った。安易な想像だが、あまりにもありえそうだ。もしかしたら海外で……殺されている?
ネットで検索すると、海外での行方不明者が事件化されないケースは珍しくないとあった。家族からの捜索願や、死体が見つかるという決定的な証拠がなければ、闇に葬られる命は無数にあるのだ。
え? これはどういうことだ?
ありえるのは、我那覇さんがサイトウさんを容疑者だと疑っていて、事件を掘り起こすためにこの大騒動を起こしている、という可能性。しかし、ぼくが催促するまでサイトウさんの連絡先を教えなかったことを考えると、その線は薄い。それに、サイトウさんが殺人を犯していたとして、こうも無防備にこのことを話すだろうか。
では、ほかの可能性は? 我那覇さんが、Y先生を、この旅行の時に……。
いや、それならなおさら、こんな騒動を起こしてぼくを巻き込むだろうか? Y先生が死んでいるなら、彼が口を閉ざせば盗作の事実など誰にもわかりはしないのに。
良心の呵責に耐えかねて? あの我那覇さんが? 考えられない。では、自分で殺したことを忘れてしまった? それは……あの人ならありえるかもしれない、と思ってしまう自分が怖い。
ダメだ。考えれば考えるほど、底なし沼に沈んでいく。ぼくには探偵の才能はない。
もう、直接本人に聞くしかない。普通の探偵にはできない手だ。
我那覇さんが嘘で塗り固めるとしても、その時の反応が、きっと新たなヒントになるはずだ
場所は、万が一を考えて人目のあるカフェを選んだ。もし彼が殺人を犯しているのなら、ぼくの身も危ないかもしれない。そんな恐怖を感じながらも、心のどこかで、この悪夢に早く決着をつけたいと願っていた。
ぼくが自らの推理を語り終えると、我那覇さんはコーヒーカップを静かに置き、こともなげに言った。
「それはわたしがサイトウくんに、先生に会えなかったとうそを言っただけのことです。自分だけ卒業旅行で合流できなかったと知ったらすごく寂しいでしょう? わたしがサイトウくんを探すためにかなり骨を折ったのも、サイトウくんに寂しい思いをさせないためです」
「ううーん……。しかし、過去のことなのでどうとでも言えてしまいますし、物証なんて……」
「事実だからそうとしか言えません。旅行中に撮影した先生との写真もあります。それにその旅行よりあとでY先生が生きている証拠もあります。こちらの家庭教師の事務所に尋ねれば履歴が残っているはずです」
「写真はY先生を殺す前に撮れますし、家庭教師で働いている人はY先生になりすました誰かかもしれません」
ぼくはなおも食い下がった。我那覇さんはコーヒーをゆっくりと飲んでから答える。
「ありえません。家庭教師の事務所へは旅行以前から所属していたはずですし、事務所にも一カ月に一回は出社するシステムになっていたはずです。生徒に対してなりすましができたとしても、事務所でなりすましがバレます」
……その通りだ。あまりにも論理的で、反論の余地がない。
ぼくは、卒業旅行でY先生が殺されたという、おぞましい推理を放棄した。
ふぅ、と全身の力が抜けるような、深い安堵のため息が漏れた。
終わってみて、初めて気づいた。ぼくは、我那覇さんが殺人犯であってほしくないと、心の底では願っていたのだ。
今回の調査は空振りに終わったが、ぼく自身の心は、この数週間で最も軽くなった。
我那覇さんにとっては、進展がないばかりか殺人まで疑われて迷惑な話だったろう。そう思ったが、当の本人は思いのほか上機嫌に見えた。
「今体験して思いましたが、自分が過去についた些細なうそや、事実の誤認、見落としなどが繋がってストーリーになっていくのは面白いですね。まさに人が調査することの意義を感じました。アオシマくんありがとうございます」
その純粋に楽しんでいるような声色に、ぼくもつられて、なぜか少しだけ気分がよくなってしまった。この人のペースに巻き込まれている。そう自覚しながらも、その心地よさを否定できなかった。
「あ、でも、この旅行とは別の機会にわたしがY先生を殺した、なんてことはありえますね。でも、そんなことしたら、アオシマくんに捜索を頼む動機はなんでしょう。ちょっと想像はつかないですね……なにか思いつきます?」
我那覇さんの悪趣味な冗談に苦笑を返しながら、ぼくは安堵と共に襲ってきた空腹に気づいた。




