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雨と傘と

作者: 斉藤周二
掲載日:2026/05/08

 降り出した雨に気がついたのは、トンネルを地上に抜けてしばらく経ってからだった。暗い窓に水滴が垂れて点り始めた住宅街の灯を映し、踏切の音と光がガタガタと揺れながら右から左へ流れていった。

 改札へ向かうエスカレーターの人の流れに身を滑り込ませながら、私はバッグのサイドポケットに手を差し入れ、中身を確かめた。ポリエステルとステンレスの手触り。突端のプラスチックと柔軟性のある輪っか。馴染みのある円筒形に、私は安堵した。間違いない。今日も折り畳み傘は入っている。備えあれば憂いなし。亡き祖母の教えを、私は忠実に守っていた。

 夕食の調理手順をぼんやりと考えながら改札を抜けて右に折れ、書店には寄らずに左手の階段を降り、薬局とコーヒーショップと雨の匂いを感じながら、東口の出口に差し掛かった。

 屋根の切れ際で足を止め、暗い空を見上げ、再びバッグのサイドポケットを開いて手を差し入れ、傘を取り出し、開こうとして、ふと手が止まった。

 待てよ。本当にそうなのか。


――本当にそうなのか。私の胸に生じた問いは、こういうことだった。

 人は言う。

「雨が降っていたから、傘を差しました」

 引っくり返せばこうなる。

「傘を差したのは、雨が降っていたからです」

 なるほど一見もっともらしい理屈に見える。雨がして私に傘を差さしめた。雨が因、傘を差すのが果。因果関係が成立しそうに見える。

 だが、本当にそうなのか。


 雨が降ったから、地面が濡れている。

 こちらに疑いを差し挟む余地はほとんどない。物理法則、自然の摂理に従って、自ずからそうなる。

 もっとも、引っくり返せば論理的な不完全さは見える。地面が濡れているのは、雨が降ったからとは限らない。誰かが水を撒いたのかもしれないからだ。

 いずれにせよ、地面は雨に対しても水を撒く誰かに対してもはたらきかけることができず、濡れるがままに濡れ、乾くがままに乾くだけだ。

 物理法則、物質的世界の話だ。


 人間はどうか。人間は地面ではない。雨に対してはたらきかけることができる。

 もっとも、この言い方は正確ではない。人間は雨に対して直接はたらきかけることはできない。人間がいくら雨止みを乞い願おうが、人間の願いとは関係なく、雨は降るがままに降り続け、止むべきときに止むだけだ。


 人間がはたらきかけることができるのは、なにか。

 ひとつには、傘だ。傘にはたらきかけ、然るべき操作をすれば、然るべき物理法則に従って、傘はぴょこんと開く。

 開いた傘を頭上に掲げて雨の中に出れば、雨粒は重力に引かれるがままに落ちるのをせき止められ、然るべき物理法則に従って進路を変えて傘の表面を流れ、私を濡らすことなく地面に向かって垂れ、水溜まりに落ちて波紋を広げ、街の光を然るべきように映して跳ねる。

 物理法則、物質的世界の話だ。


 それでは、傘を開かしめたものはなにか。私の手指である。私の手指を動かしめたものはなにか。私の筋肉である。私の筋肉を動かしめたものはなにか。私の意思である。私の意思を動かしめたものはなにか。


 ない。


 私の意思。それが因果の末端にある。


 この事実に、私は軽い驚きを覚える。本当にそうなのか。

 私の意思と関係なしに私の筋肉が動くことはあるか。これは、ある。反射があるし、然るべき電気信号を流せば、私の筋肉は不随意に動くはずだ。

 私の筋肉と関係なしに私の手指が動くことはあるか。これも、ある。パワードスーツのようなものをつけ、外的な力を加えて私の手指を動かすことはできる。

 私の手指と関係なしに私の傘が開くことはあるか。これも、ある。傘の機構が故障すれば、どこであろうがお構いなしに傘は開く。


 あるいは第三者を仮定してもよい。第三者が私の傘を奪い取って開けば、私とは関係なしに私の傘は開く。もっとも、この場合のその傘を「私の傘」と呼ぶことには、保留が含まれる。その傘の所有権は私にあるが、現にその傘を保持しているのは盗人である第三者だ。民事上及び刑事上の処分が待たれる局面ではあろう。


 仮にその第三者が、奪い取った傘を開いて私に差し掛けたとする。この場合、「私は傘を差しました」と言えるのか。

 否である。それは確かに私の傘であり、その傘が私を雨に濡れることから妨げるとしても、私は決して傘を差してはいない。

 あるいはバールのようなもので殴られ、パワードスーツのようなものを着せられ、傘を差しているかのごとき風体に強制的にさせられ、降りしきる雨の中に放り出されたとして、「私は傘を差しました」と言えるのか。

 否である。物質的世界における外観がいかなるものであろうと、私の意思が傘を差すことを拒み続ける限り、私は決して傘を差してはいない。


 そう考えれば、「私は傘を差しました」という行為には、必ず私の意思が含まれる。正確に言えば、私の意思による行為のみを、「私は傘を差しました」と言うことができる。

 私に傘を差さしめるのは、決して雨ではあり得ない。私の意思以外のなにものも、私に傘を差さしめることはできない。


 私はひとつ呼吸をつき、もうひとつ考える。

 仮に私の脳に電極のようなものを刺し、第三者が電気信号により私のすべてを操れるようになるとする。それは、「『私の意思』の所有権は私にあるが、現に保持しているのは第三者であり、民事上及び刑事上の処分が待たれる」という状況なのだろうか。

 否である。断じて否である。

 私の意思が私を離れたら、それはもはや「私の意思」ではない。逆に、「私の意思」が私を離れたら、それはもはや「私」ではない。「私」と「私の意思」は、民法及び刑法並びに日本国憲法若しくは世界人権宣言又は国連決議以前に存在する、不可分にして――さほど神聖とは思えないにせよ――不可侵のものである。

 それは雨だろうが風だろうが、バールのようなものだろうがパワードスーツのようなものだろうが電極のようなものだろうが悪意の第三者による取得時効のようなものだろうが、決して冒すことのできない、私にだけ許された、絶対的に孤独で、絶対的に自由な、なにものかなのだ。


 答えが見えた私は、握っていた傘を開くことなく決然とバッグにしまい、ネクタイをしゅるしゅるとほどいて丸めてジャケットのポケットに突っ込み、Yシャツを第二ボタンまで外して、強くなり始めた雨の中へと歩を踏み出した。

 うつむいて眉をひそめながら傘を開こうとしていた老婦人が「え」という顔で私を見上げるのが視界の隅に入ったが、老婦人よ、あなたと私は違う世界に生きているのだ。私が生きているのは物質的世界を超えた世界、意思の世界なのだ。

 雨粒が頬を叩き、額を伝い、ジャケットを濡らし、革靴を湿らせる。構うものか。なにも構うものなどない。バッグがパラパラと音を立てる。頭髪のグリースが溶けて流れる。眼鏡の水滴に、街灯が、ネオンサインが、ヘッドライトが滲んできらめく。私に見えているのは、友よ、光輝くこの世界だ。

 雨よ、降らば降れ。私を濡らすのはお前ではない。お前がいかに降ろうが、決して私を濡らすことはできない。私を濡らすのは、傘を差すことなく濡れようと決めた私の意思、絶対的に孤独で、絶対的に自由な、私の意思なのだ。

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