第六話 夢現の逃避行
【第六話 夢現の逃避行】
城の地下から、自然公園の物置小屋の床下へ繋がる隠し通路。十四歳の小柄なラクリシアでも、少し頭を屈めなくてはいけないほど狭い。
かつての王が有事に備えて作らせたものだが、この国は数百年間、平穏そのものだった。使われることのなかった通路はかび臭く、虫や鼠の姿があった。
幽閉されていた部屋から持ち出したランプの灯りだけを頼りに、狭く不潔な道をゆくラクリシアの表情は明るく、ほんのり笑みを浮かべてすらいた。
「一人で部屋を出るなんて、生まれて初めて……」
道の先に、天井から光が差す階段が見えた。あそこが出口だ、と足が勝手に走り出す。その途端、足がもつれた。
ガツン、と音を立ててランプが転がった。
「……ララ?」
光さす天井から、人影が覗きこんだ。逆光でラクリシアから顔は見えなかったが、カリスラウドの声が通路に反響した。
「転んだのか、痛かったな。……こちらまで歩けるか?」
カリスラウドは階段を降りようとして、踏みとどまる。小屋の外の気配に気付けない状況を避けていた。
「平気です。こんなの……全然痛くない」
ラクリシアは城から出ることは滅多になく、庭に出てもゆっくりと散歩をするだけ。常に大人が側に控えていたのもあって、血が出るほどの怪我をしたことがなかった。あの日、誘拐されるまでは。
あの日に比べれば、石の床で擦った程度は痛みにも入らない。ラクリシアの柔らかな手の平は、既に治癒の力ですり傷の痕跡を隠していた。
立ち上がりランプを拾ったラクリシアは、一段一段慎重に階段を踏みしめた。最後の一歩が地下から出ると、カリスラウドは乱れたラクリシアの髪を手櫛で整えた。
「よくここまで来てくれた。頑張ったな」
カリスラウドは用意しておいたフード付きのマントをラクリシアに着せた。フードを目深に被らせて、言い聞かせる。
「これから、馬で国境まで移動する。ララは初めての乗馬で体が辛いだろうが……すまない、どうか耐えてくれ。私の腰に掴まって、出来るだけ顔を出さないで」
ラクリシアはしっかりと頷いて、マントを握りしめた。
周囲をうかがいながら小屋を出た二人は、森の中でカリスラウドの愛馬に跨った。ラクリシアは兄の背中にしがみついて、揺れに耐えることしか出来なかった。
カリスラウドは最低限だけラクリシアに気を遣いながら、手綱を操った。カリスラウド一人で最短距離を走らせれば三時間とかからない距離だが、ラクリシアを落とさないよう速度を調整しつつ、人集りがあれば迂回して、三時間が経ってもまだ目的地への道のりは半分も残っていた。
小さな川が流れる森に差し掛かり、カリスラウドは馬の歩みを止める。馬も、ラクリシアも、疲労の色が見え始めていた。
「ララ、少し休憩しよう。疲れただろう?」
ラクリシアを愛馬から下ろし、水筒と少しの非常食を渡す。カリスラウドは愛馬を撫でることで焦りを誤魔化した。
「お前も、よく頑張ってくれた……もう少し、頼むよ」
ラクリシアは木々の葉が風に揺れる音や鳥のさえずりが混ざり合った、自然の賑わいに目を閉じた。疲れた身体に心地よい森のさざめきが、眠気を誘っていた。
ピリピリと緊迫したカリスラウドに対して、ラクリシアはどこかぼんやりとしていた。
「夢みたいだけど……ふふ、現実だわ。だって馬に乗る感覚も、森の香りも、私の脳内で作れるはずないもの……」
全てが初めてのことばかりで、国の外など空想したこともないラクリシアには現実味がないのだ。
「そうさ。ララはこれからナトゥラディウムで色んな景色を見るんだ。ナトゥラは広い。丸々十年使ったって回り切れないよ……全部、現実だ」
痛ましい言葉を、心から嬉しそうに呟くラクリシア。カリスラウドは妹の手をしっかりと握った。