第四話 愛の決別
【第四話 愛の決別】
ある日、サナデア王国に激震が走った。
侍女と共に庭を散歩していたラクリシア王女が誘拐されたのだ。
王は血眼になって隣国にも協力要請を出し、兵を総動員して捜索に当たらせた。厳重に警備されていたはずの城での犯行に、カリスラウドは抜け道や隠し部屋があるのではないかと城の隅々まで探し回った。
懸命な捜査の末、隣国アクルプスの辺境の小さな小屋で、縛り付けられたラクリシアが発見されたのは、誘拐から五日後のことだった。
ラクリシア発見の報せを聞いた際の王の発言に、カリスラウドは言葉を失った。
「汚されたのか?」
「……陛下、」
「処女は散らされたのか、と聞いているんだ」
王の側近たる男は、一拍置いて静かに口を開いた。
「変わらず、涙には癒しの力が宿っているとのこと」
仮に酷く痛めつけられても、血や汗で治癒され、傷跡は消える。ラクリシアの体に暴行の証拠は残らない。被害内容の詳細は、ラクリシアの証言が鍵となる。
カリスラウドがラクリシアを静養させるべきと訴えても、王は耳を貸さなかった。
ラクリシア曰く、涙以外の体液にもに癒しの力をを持つことが知られていたらしい。注射器で血を抜かれ、火であぶられて汗を流し、恐怖による涙が止まれば、痛みを与えられまた涙を流す。ラクリシアは昼も夜もなく搾り取られていた。
実行犯は、隣国アクルプスの貧しい孤児の少年たち。金になると唆され、失うものはないと罪を犯した。
彼らを唆し緻密な計画を立てたのは、癒しの女神サナデアを信仰する教徒たちだ。その中には、二年前からラクリシアの『侍女』として涙壺を持つ役割を与えられた女がいた。
サナデアの血を引く者への憧憬を胸に就いた役目、そこで見たのはどす黒い王族の歪み。『侍女』であった女は絶望し、王家を貶めることを決意、誘拐の手引きをした。彼女は神聖なるサナデアを汚された恨みに取り憑かれていた。
そしてラクリシアが発見されたその日、『侍女』は王族の秘密を世間に暴露した。涙以外の体液も癒しの力を持つこと、特に効果の高い血液は王族が独占していること、幼い王女から涙や血液を搾取する王族の実情。
国は当然、混乱した。これまでの王族の献身を信じるべきと訴える者、王制の撤廃を求める者、そして、王女の身を王族に独占させず民間で『保護』すべきと訴える者。
サナデア王国の、数百年続いた平和が揺らいでいた。
ラクリシアは、何も知らない。救出されてからというもの、隠し部屋に幽閉されていた。『侍女』の犯行により「誰のことも信用できない」と王は肌を見放さず鍵を持ち歩いている。食事も、涙壺も、赤子しか通れないような小窓からやり取りされていた。
この国の終わりを察したカリスラウドは、二日後、まだ日も登らぬ薄暗い早朝から動き始めた。
「君を……逃がしたい。友人の伝手でナトゥラディウムの民間の護衛を手配した」
「……殿下はどうなさるおつもりで?」
カリスラウドの唯一の妃。聡明な彼女の目にも覚悟の色が見えた。
「君を逃がして、何とかラクリシアに会う。妹を……ナトゥラディウムに連れて行く。この国のけじめをつけるのは、それからだ。大切な君たちを、こんな国と共に終わらせたくはない」
「私は……最期まで共にある覚悟をして、あなたの妃となりました」
「君のそういう……気高いところも、愛していた。だからどうか、生きてほしい」
カリスラウドは愛する妻と、最後の抱擁を交わした。
「行ってくれ、国民の暴動が始まる前に……」
「……馬鹿な人。優しすぎるあなたに、玉座は似合わないわ」
カリスラウドの手を離すと、彼女は二度と振り返らなかった。彼女の行先は、ナトゥラディウムを越えた先にある学術都市アカオ。急拵えだが、当面暮らしていく手立ては準備してある。聡明な彼女への、せめてもの償いだった。