第三話 広大で自由な空
【第三話 広大で自由な空】
父である王は、十七歳になったカリスラウドに隣国ナトゥラディウムへの留学を指示した。
「王になるというのなら、見聞を広げてきなさい」
実情は、ラクリシアとカリスラウドに距離を取らせるための留学だった。荷物と共に強制的に国を出されたカリスラウドは、手紙を出してもきっとラクリシアの手には渡らないだろうと深くため息を吐いた。
千年以上も王制が続き、小さな国土の七割を居住区が占め、小規模な森や穏やかな川を持つサナデアと違い、ナトゥラディウムは広大な土地と厳しくも豊かな自然を持ち、多様な民族が暮らす共和国だ。
指折りの名門校に留学生として編入したカリスラウドは、同じ年の一人の青年と親しくなった。
浅黒い肌に黒髪、そして濃い青の目。古物商人の家に生まれ、歴史に詳しい彼の名は「ヴァレオ」
ヴァレオはカリスラウドの自己紹介に、目玉がこぼれ落ちそうなほど驚いてみせた。
「そうか……カリスラウド……!会えて嬉しいよ。カルと呼んでもいいかい?」
「あ、あぁ……もちろん」
まるで昔から友人であったかのように、ヴァレオとカリスラウドと親しくなった。
「カル!大通りから外れた場所に、ナトゥラ南部の名物料理が食べられる店があるんだ、行くだろ?」
「行こう。ナトゥラは地域で料理も雰囲気が変わるのが興味深い」
カリスラウドにとって初めての親友だった。
「……湖を見に行ってみたいんだ」
「ああ、サナデアには湖はないもんな。……よし、北西の大きいやつに行こう!」
「地図で見たけど、サナデアの国土より大きいなんて信じられないな」
この国には、カリスラウドの初めての体験が溢れていた。
「実は十年前にサナデアの元王族と友達だったんだ。……信じるかい?」
「信じるさ、元王族なら山程いるからあり得ない話じゃない」
「へえ、そうなのか」
「……サナデアの王族は子を多く作るから。前王と前妃は死ぬまで王族だが、王とその兄弟、それぞれの妻子以外は、王族から弾かれる。王になれなければ、次世代には“元”王族だ……王女を除いてな」
カリスラウドは、あの城しか知らぬ妹に、この広くて温かな空の下を歩かせてやりたいと、心から願っていた。
ヴァレオの暮らす部屋は、多種多様な物で溢れかえっている。
「無闇に素手で触るなよ。危ないのとか高価なのとか、ごちゃ混ぜだから」
カリスラウドは慎重に椅子に腰掛けて腕を組んだ。
「ヴァレオ。わざわざ君の部屋まで連れてきて、何の話があるんだ」
「……あのさ、カル。国を変えたいとは言うけれど、何か手立てはあるのか?第一王子とは言え、国を追い出された君に」
「んん……婚約破棄にはなっていないから、二年か三年後に婚姻の儀を挙げられれば、王になる道はある」
「へえ、婚約者がいるのか……。どんな子だ?」
いつになく真剣なヴァレオに、重い口を開くカリスラウド。
「……血の繋がらない遠縁の娘だ。サナデアの王族は教養よりも子を産む力が求められるが……彼女はとても賢く美しい、気高い女性だ。……周囲の人間は、彼女なら第一王子の暴走を宥められると思っているらしい」
「なるほど。結婚を道具にするのか聞こうかと思ったけど……君はその子に惚れてるんだな」
カリスラウドは赤くなった顔を隠すように俯いた。
「正妃候補も、側妃候補も、何人もいる。……でも、一夫一妻制のナトゥラディウムを見て、彼女だけを妃として迎えられたらと思うようになったんだ……」
「うん、いいじゃないか」
「ただ、それでは即位が厳しくなる可能性があるんだ。サナデアの王族は、種を多く残すことが求められるから……」
二年の留学を終えて国に戻ったカリスラウドは、翌年の、二十歳になった春に婚姻の儀を挙げた。相手は賢く美しい例の彼女だ。
しかし、即位は認められなかった。
「王たるもの種を残さなければ話にならない」
王は、側妃を迎えようとしないカリスラウドを責めた。そしてカリスラウドがラクリシアへ接触することも厳しく禁じた。
苦悶の表情を浮かべたカリスラウドの目から一筋の涙が零れ落ちた。それはただ机の上の紙に吸い込まれて、跡を残すだけだった。