第十一話 未来を変えない選択
【第十一話 未来を変えない選択】
ヴァレオは、ララに聞いた通り自然公園の物置小屋から隠し通路に入った。ようやく出口だと部屋の様子を窺って、血に濡れたカリスラウドを発見した。
「カル!!!」
胸からの出血が酷く、人形のように血の気のない真っ白い顔だった。
「……ヴァ、レオ、か。ララは……」
空気と血が混ざり合いゴロゴロと濁って、カリスラウドの声は聞き取りづらかった。
「ナトゥラだ。俺の母親が側にいる。あの熊親父も一緒だから安心しろ」
「ふ、……そ、れは、頼も、しい……」
留学中に紹介されたヴァレオの父親を思い浮かべ、カリスラウドは力なく笑みを浮かべた。ヴァレオが懐から取り出した小瓶を、カリスラウドに差し出す。
「君の可愛いララから」
「不、要だ。その力を、使う気、はな……い……」
「まあ、そう言われるのは知ってたよ。ずっと前からね」
ヴァレオはカリスラウドの顎を押さえ、強引に小瓶の中身を全て流し込んだ。本来、傷口に一滴落とせば重傷でも治癒できる力だ。
その二十倍近くの量を経口摂取したカリスラウドの身体は、胸の傷も肩の傷も瞬く間に塞がり、流しすぎて不足した血すらも回復していた。血色が戻った顔を見て、ヴァレオはボロボロと大粒の涙を零した。
「なぁ、カル。俺にこの未来を変えてほしかったのか?……俺には無理だよ。カルを助けられる手があるのに、見殺しにするなんて」
ヴァレオの脳内では、鏡越しに託されたカリスラウドの後悔が渦巻いていた。あの日、老いたカリスラウドは幼いヴァレオに言った。
『妹の力で自分の命を救われてしまった……あのまま死ねれば良かったと思ってしまうんだよ』
カリスラウドが後悔を抱えて生きることになると知りながら、ヴァレオは未来を変えない選択をした。
「……ヴァレオ?どうしたんだ」
『覚えておいてくれ、ヴァレオ。私の後悔は大きく三つ。妹の力に依存した国政をする王を変えられなかったこと、妹の力で生き延びてしまったこと、妹を普通の女の子にできなかったことだ』
ヴァレオには、目の前にいるカリスラウドの声と、脳に焼き付いた鏡越しの老いたカリスラウドの声が重なって聞こえた。
「本当に、ごめん。国を変えることも出来ず、自由にしたかった妹の力で救われてしまった男として、ヨボヨボになるまで生きてくれ。
そしてヨボヨボの顔で、あの日の俺とまた友達になってくれよ。その代わり、俺が、ララには絶対いい男と巡り合わせてやる、ララが普通の女の子として幸せになるまで手助けするから」
ヴァレオは涙を流しながら、決意に満ちた笑顔を浮かべた。カリスラウドには、ヴァレオの話が半分も理解できなかった。
「ヴァレオ……言ってる意味はよく分からないけど、君が優しい男だということだけは分かった」
カリスラウドは立ち上がると、口に溜まった血を袖に吐き出して困ったように笑った。
「はぁ……俺は鳥に生まれ変わってララに会いに行く予定だったのに……」
「ふふっ、カル……君、たまにものすごくロマンチストになるよな」
冗談めいたカリスラウドの言葉に、ヴァレオの涙が止まった。
「さて、生き延びるとは思ってなかったから、この後のことは何も考えてないんだ」
「なら、俺が少し城の様子を見てこよう。それから決めればいいさ」
ヴァレオは涙を拭いて、カラリと笑った。
ヴァレオは部屋を出ると、騒がしい音を頼りに城内を歩いた。城の前庭や城壁の外には、矢に倒れたカリスラウドの姿に動揺している国民たちの姿があった。その人々が城内に踏み入る気配は見られなかった。
人の気配を探して城内を進み、数十人が集まっている大広間に行き着いた。王家の人間、使用人たち、そして、サナデア女神信仰の教徒たち。
ヴァレオは数分だけ聞き耳を立て、踵を返した。
「城はほぼ制圧されてた。残念なことにサナデア女神信仰の連中に、だ」
部屋に戻ったヴァレオは、沈痛な面持ちだった。
「城の中にいた王家の人間や使用人たちはどうなった?」
「生きてる。処刑する気もなさそうだ。……王家を偶像として祀り上げ、実際の国政は女神信仰の教徒たちが握るつもりらしい」
カリスラウドは腕が震えるほど強く拳を握った。
「結局、血で縛られる国のままか」
「カル、落ち着け」
「だが!」
ヴァレオは取り乱すカリスラウドの肩を強く掴んだ。
「君は王制を撤廃した。今の君に、次の政治に口を出すことはできない。……ララはまだ無事なんだ。いったん落ち着いてから対策を練ろう」
「私は……、」
カリスラウドは、ヴァレオに誘導されて隠し通路へ下りた。のろのろと通路を進み、自然公園の物置小屋へ出る。自然公園の中心には、第一王子の死を悼み、祈りをささげる国民たちの輪が広がっていた。
「へえ、カリスラウド王子は死んだことになってるのか。誰も死体を確認してないだろうに……」
ヴァレオは眉をひそめたが、カリスラウドにはその光景が救いだった。
「もっと反感を買っているものだと思っていたよ。王家の人間の死を悼んでくれる人が、あんなにいるのか……」
「城に押し寄せた暴徒の大半は、女神信仰の教徒だろ。こんな言い方は良くないが……王女の秘密が暴露されるまで、王家に不満を抱える国民は少なかった。王女の待遇や王族の血液独占以外に、大きな問題がないんだ。怒りの感情は長くは続かないさ」
カリスラウドとヴァレオは、誰にも気付かれぬよう、静かに追悼の輪に背を向けた。その輪の中心には、かつて城の庭師を務めた男たちによって、美しい花々が捧げられていた。
こうしてサナデア王国第一王子のカリスラウド・サナデアは死んだ。