【閑話】 予期せぬ同居人~お嬢様、秋葉原に降り立つ~
◼️土曜日の夜——案内先の相談
週末の夜。
レオはリビングでソファに腰を沈め、スマホをいじりながら溜め息をついていた。
(……どこに連れて行けばいいんだよ)
夕食の席で、母・奈々子が突如口火を切ったのだ。
「レオ、せっかくエリシアちゃんが一緒にいるんだから、休日くらい東京を案内しなさいよ」
エリシアが現れてから、ちょうど一週間。
先日の戦いから二日後、彼女は静養のため日本に滞在すると告げた。
「近所に部屋を借りようと思う」と言ったエリシアに対し、母・奈々子は即座に却下した。
「この子、絶対に一人暮らしできないわよ」
レオも、不安を覚えながら訊いてみた。
「……その、家事とか、できるのか?」
胸を張ったエリシアの答えは、堂々たるものだった。
「料理はできるぞ! 先日も剣で肉を捌いた!」
「調理じゃなくて解体じゃねぇか!!」
「掃除の経験も——」
「俺の部屋を余計に散らかした奴が何言ってんだ!」
そんなやりとりの末、「家がゴミ屋敷化する未来しか見えない」との判断が下され、
エリシアはレオの家にホームステイすることになったのだった。
あれから一週間。
異世界の令嬢との奇妙な共同生活にも、ようやく慣れが出てきた頃——
その矢先の、奈々子からの“お出かけミッション”である。
(渋谷は影の襲撃で封鎖中だし……行ける場所、限られてんだよな)
思案するレオの横で、紅茶の湯気を楽しむように香りを味わっていたエリシアが、ふいに言った。
「レオ、私は秋葉原に行きたい!」
「……秋葉原?」
あまりに意外な提案に、レオは反射的に聞き返してしまった。
まさかこの令嬢が、よりにもよって“オタクの聖地”に興味を持つとは——
◼️お嬢様——秋葉原に降臨
秋葉原駅の改札を抜けると、
電気街の喧騒と独特な活気がレオたちを包み込んだ。
エリシアはというと、すでに“庶民ファッション”へと衣装チェンジ済み。
長い金髪はハーフアップにまとめられ、
白いニットとフレアスカートという装い。
その姿はどう見ても、
「秋葉原に降り立った新世代アイドル」にしか見えなかった。
「どうした? 口を開けて、ぼうっとしているぞ?」
「……いや、エリシア、めちゃくちゃ浮いてる」
「似合わない……か?」
「ちがう! めっちゃかわいい! マジ天使」
「そうか!」
エリシアはレオの言葉に嬉しそうに目を細めると、
すれ違う人々の視線を全身で受け止めるかのように、堂々と胸を張った。
その自信に満ちた姿は、まさに“視られる者”の風格すら漂わせていた。
(……すげぇ。見られ慣れてるって、こういうことか)
王族の血筋に連なる者の堂々たる立ち居振る舞いに、
レオは思わず感心してしまうのだった。
◼️お嬢様——フィギュアショップで熱く語る
「レオ、フィギュアが見たい!!」
秋葉原に着いて早々、エリシアは目を輝かせてそう言った。
「……意外だな。フィギュアに興味あるなんて」
「なにを言う! フィギュアは至高の芸術作品だぞ!」
「細部へのこだわり! 躍動感!
まるで作品世界から飛び出してきたかのようではないか!」
(エリシアさん? なんでそんなに熱いんですか)
妙な既視感と違和感を覚えつつも、
レオは彼女のリクエストに応え、専門店の階段を上がる。
そして、ショップの扉をくぐった瞬間——
「なんという美しさ……!」
エリシアの表情が、一気に変わった。
「この剣の装飾! この鎧の質感! この躍動感……!」
「まあ、そういうもんだな。最近のフィギュアはマジで出来がいいし……」
レオがフィギュアの塗装技術やキャストオフ機能について語り始めると、
エリシアは真剣な表情で頷きながら聞き入る。
「キャストオフ……つまり、装備が脱げる?」
「そうそう、たとえば——」
その説明を始めようとしたまさにそのとき。
エリシアが手にしていたフィギュアの鎧パーツが、
なぜかするりと外れた。
「……あっ」
「……あっ」
二人の間に、妙な沈黙が流れる。
露わになったフィギュアの姿に、エリシアの頬が一瞬で朱に染まった。
そして、なぜかその場の他の客たちまで一緒に赤面するという、謎の連帯感が生まれる。
「こ、これは……っ!?」
「いや、それ、キャストオフ機能付きってやつで……その……」
「そ、そういう機能など……!」
完全にドン引きしたかと思いきや——
「はぁ……はぁ……なあレオよ。他にはどのようなキャストオフがあるのだ?」
(エリシアさん……あなた、完全に沼にハマりましたね)
その後、美少女がキャストオフ機能付きの、
しかも“自分に似た”フィギュアを購入するという、
前代未聞の光景が秋葉原のショップで繰り広げられることになるのだった。
◼️お嬢様——コスプレに興味を持つ
フィギュアショップを後にし、別のフロアへと移動していたところ、
エリシアが店の入口に置かれたマネキンに目を留めた。
「レオ、この衣装は何だ?」
「それは……Fa◯eのセイバーのコスプレ衣装だな」
「セイバー……騎士の姿か。ふむ、私にも似合うかもしれんな」
「え? 着てみるの?」
「うむ。せっかくだから試してみたい」
その一言に、レオの脳裏に一枚の絵が浮かぶ。
(……見たい。全力で見たい)
だが、内心の欲望を押し隠し、
レオはあくまで冷静を装って応じる。
「最近はコスプレ体験を提供してる店も多いし、ここでも貸してるかもな」
店員に確認すると、試着が可能とのこと。
エリシアは小さく頷くと、更衣室へと消えていった。
そして数分後——
「お待たせだ」
その声とともに姿を現したエリシアを見て、店内がざわついた。
白と青を基調にした騎士風のドレス、手には模造の聖剣。
それらを纏うエリシアは、まさに“本物のセイバー”だった。
「……え、やばくないかこれ……?」
「マジで? 本物?」
「すみません! 写真、撮ってもいいですか!?」
次々と集まる客たちに、エリシアは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、
すぐに口元に笑みを浮かべ、まるで舞踏会の主役のように優雅に応じた。
「次は、どのようなポーズがよいのだ?」
(すげえ……完全にノリノリじゃん)
エリシアのその様子を見たレオは、
彼女が「見られること」に対して一切の恥じらいを持たないことを改めて実感する。
SNSでは『秋葉原に本物のセイバー現る』という投稿が瞬く間に拡散され、
この日、彼女は秋葉原の新たな伝説となった。
◼️お嬢様——メイド喫茶に行く
騒動冷めやらぬ中、時計の針は昼時を指していた。
「なあ、そろそろ昼飯にしないか?」
レオがそう声をかけると、エリシアは急に真剣な顔になり、身を乗り出してきた。
「レオ、メイド喫茶に行かないか?」
「……は?」
あまりに予想外の単語に、レオは声を裏返した。
「メイド喫茶……だ。知らないか?」
その言い方は、まるで自分が常連かのような雰囲気を纏っている。
まさか、本物のメイドを従える高貴な令嬢の口から「メイド喫茶」なる言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。
「私に心当たりがあるのだ。案内しよう」
そう言ってエリシアは、何の迷いもなく先導を始める。
(……案内? 心当たり? いや、何か変だぞ)
レオの違和感は的中した。
店に到着するや否や、メイドたちが出迎える。
「お帰りなさいませ、エリシア様!」
「エリシア様!?!?!?」
店員の一言にレオは盛大に二度聞きした。
なぜ名前を知っているのか。
レオはゆっくりと振り返り、彼女の顔を見据える。
「……やい、エリシアさんや。おぬし、ここの常連だったり……しないかい?」
「そ、そんなわけあるまい……っ! わ、私は別の次元の者であり、貴族令嬢で、騎士団長で、英雄であり——そんな暇などあるはずが……な、ないのだ!」
明らかに取り乱している。目が泳ぎ、声が震え、耳が真っ赤だ。
さらに詰めてみる。
「やい、エリシアさんや。おぬし、“他次元への干渉は禁止”とか言ってなかったかい?
でもね、名前を覚えられるレベルの通い方って、日本じゃ相当なんですよ」
「そ、そ、それは! 力を用いた影響力でなければ干渉にあたらぬ!
つまり、この程度の交流は問題ない範疇であってだな……!」
(必死だな……というか、理屈で逃げ切る気か……)
ごまかしきれないことを悟ったのか、エリシアは小さく息をつき、そっとレオに耳打ちした。
「……だから、その……実は、日本に来たのは初めてじゃない。
母殿には、内緒でお願いしたい」
(あーもう……その上目遣いは反則だって)
涙を浮かべながら小声で懇願する姿に、レオのツッコミは完全に機能停止した。
そんなやり取りの最中、テーブルに運ばれてきたのは——
見た目にも華やかなスイーツの数々だった。
プリンアラモード。イチゴとベリーのタルト。ストロベリーソースと生クリームが惜しみなく盛られたパンケーキ。
どれも一皿で満足できそうな甘味である。それが、三皿。
一方のレオの前にあるのは、いたって普通のケチャップオムライス。
「……やい、エリシアさんや。なんで全部スイーツなんだい?」
不思議そうに問うレオに、エリシアはあっけらかんと答えた。
「なんだ? レオは頼まなかったのか? ここはメイド喫茶ながらスイーツの味にも定評があると聞いたぞ」
「いや、そこじゃなくてだな……全部“スイーツオンリー”ってことに疑問を感じてほしい」
するとエリシアは、少しきょとんとした表情を浮かべ、納得したように頷く。
「そうか……普段、甘味を食べる姿を見せていなかったからな。初めてになるか」
「……あー、まあ、そうだな」
レオは曖昧に頷きながらも、その先を促すようにエリシアを見た。
彼女はスプーンを手にしながら、ふと静かな口調になった。
「貴族令嬢で騎士団長で英雄ともなると、肩書きばかりが先に立つ」
「民衆からは、三日三晩飲まず食わずで戦うだの、精進料理以外は口にしないだの——妙なイメージばかりだ」
「食事といえば、大抵は王侯貴族や役人との会食ばかり。常に他人の視線がある場だ」
エリシアは、ゆっくりとフォークでタルトを口に運ぶ。
その所作は普段通りの品のあるものだが、彼女の瞳はどこか遠くを見つめていた。
「……得意不得手や好みを知られれば、それが“弱点”として扱われる世界だ。甘いものが好きなんて、気軽に言える環境じゃなかった」
「だから、こっちの世界では遠慮なく甘味を楽しむことにしている。誰も私を縛らない、自由な時間だからな」
タルトのベリーをひと粒、口に含んで頬を緩める。
「他国のスイーツもいろいろ試してみたが、日本のこの店のスイーツは……とても良い」
その笑顔は、どんな重い鎧よりも彼女の素顔を感じさせた。
無垢で、あたたかくて——。
「エリシアさんや……おぬし、もしかして甘いもの、すごく好きなのかい?」
「……ふふっ、レオには見抜かれてしまうな」
口元に小さなクリームを付けたまま、エリシアは紅茶を一口すする。
普段は凛々しい聖騎士も、今この瞬間ばかりはただの甘味好きな少女だった。
「他の世界じゃ、なかなかこうやってゆっくり過ごす時間もなかったからな。
気を抜ける場所というのは、貴重なんだ」
レオはその言葉に、どこか胸が締めつけられるような思いを抱いた。
戦いの世界に生きる彼女には、こんな何気ない時間すら——
メイド喫茶の窓の外では、午後の光が秋葉原の街を柔らかく照らしていた。
コスプレ、フィギュア、そしてスイーツ——思えば今日一日、エリシアはずっと笑顔だった。
この不思議な一日が、彼女の記憶にどう刻まれるのか。
それはレオにも分からない。けれど——
「……レオよ」
「ん?」
「次は、どこに行けばよい?」
キラキラと輝く瞳が、期待に満ちてレオを見つめていた。
レオは溜息をつきつつ、スマホで地図アプリを開いた。
どこか、もう少し静かな場所を——そう思いながら。
「……とりあえず、電気街脱出しようか。ちょっと静かなカフェでも探すよ」
「うむ! 任せたぞ、案内人!」
元気よく立ち上がるエリシアに引っ張られるように、レオも席を立つ。
——こうして、騎士令嬢の秋葉原巡礼は、まだしばらく続きそうだった