ep5 襲撃~決着
レオを背に、エリシアは影とにらみ合っていた。
時折吹き抜けるビル風が、地面に散らばった瓦礫の破片を巻き上げる。
互いに決め手を欠いた状況。攻撃の応酬はあれど、どちらも決定打を見いだせずにいた。
(エリシアも迷ってる……。どう攻めるか、決めあぐねてるように見える)
その均衡を破ったのは、影だった。
「しまったっ!」
エリシアの叫びと同時に、影の身体が黒い霧のように分解され、瞬く間に無数の鋭利な刃へと変化した。
空間ごと塗り潰すような漆黒の刃が、俺たちを完全に包囲する。
(……これ、ヤバすぎるって……)
思考が追いつかない。背中合わせに立つエリシアの存在だけが、今の俺の支えだった。
「──ッ」
エリシアが歯を食いしばる音が聞こえた。
敵の全身が攻撃手段になることは想定していたに違いない。
だが、その質量の変化までは読めなかったのだ。
「……こんなところで……仕方あるまい」
虚を突かれたエリシアは、すぐさま剣を鞘に納めた。
左手は柄を握ったまま、右手を胸に添え、片膝を地につく。そして目を閉じて何かを唱え始める。
「諦めたか……いや、あの構え……見せてもらおう」
影の声が響いた次の瞬間、刃が襲いかかる。
いくつもの斬撃が頭上や脇をかすめ、空気が裂ける音が鳴り響いた。
(これって……アニメでよく見る“詰んだ”展開だよな)
(俺の人生……ここで終わるのか?)
(いや、まだやり残したこと山ほどあるだろ……!)
(彼女もいないし、ムフフな青春も……! くそ、走馬灯、止まれ!)
死を覚悟しかけたそのとき、ふと気づいた。
(……あれ? 何発も来てるのに、俺……無傷?)
(狙われてるのは間違いない……じゃあ、なぜ)
俺は振り返った。
──そこにいたのは、血に染まったエリシアだった。
彼女は、先ほどと変わらぬ姿勢で呟き続けていた。
だが、肩や脚、脇腹からは赤い血が滲み、心臓の鼓動に合わせて血が噴き出している。
足元には、鮮やかな血だまり。
(……全部、俺を庇って……)
「おい! 大丈夫か!?」
声をかけるも、反応はない。
(とにかく、血を止めないと……)
そう思うが、何かを続けている彼女を止めることができず、俺はただ見守るしかなかった。
──そして、呟きが止まる。
刃が地面を抉る音だけが残る。
(まさか……死んだ……?)
絶望に飲まれかけたその時だった。
エリシアの身体と剣が、金色に輝いた。
その光が周囲を包み込む。
刃が触れた瞬間、すべてが霧散した。
「レオ、伏せていろ!」
「それと……目を閉じないと、目が潰れるぞ?」
(なぜ疑問形なんだよ……)
ツッコミつつ、言われたとおり姿勢を低くし、目を閉じる。
数十秒後、眩しい光が空へと伸びていった。
半径200メートルにも及ぶ光柱が立ち昇り、やがてエリシアの元に収斂する。
「もう、目を開けて良いぞ」
彼女の声に目を開け、立ち上がる。
そこには、変わり果てた影の姿があった。
体は小さく、揺らぎも少ない。
だが、放たれる気迫はそれまで以上。
影とエリシア、再び交錯する視線。
次の瞬間、影が右へ高速で移動。
エリシアが即座に反応し、進路を塞ぐ。
炸裂音、衝撃波。
「今!!!」
エリシアがレイピアを閃かせ、正確な突きを繰り出す。
だが、影はその輪郭を歪めて回避する。
「チッ、賢しいマネを……!」
わずかに眉をひそめるエリシア。
「これなら!」
剣に光が灯る。
炎のように揺らめく光が刀身を包み、エリシアが一気に踏み込む。
「はぁぁっ!」
光の刃が影の胴を捉え、黒い靄が溢れ出した。
「……なるほど、これが“次元の鍵の力”か」
低く響く声が空間を満たす。
エリシアは一歩引いて再び構え直す。
爆散した地点から少し離れた場所に、影が再び形を成していた。
「レオ、よく見ておけ。この戦いは、お前にも無関係じゃない」
(どういう意味だよ……)
寸刻の沈黙。
影がエリシアを見据えたまま、微かに笑みを浮かべて言った。
「なるほど、やはりその力は厄介だな」
まるで、すべて知っていたかのように。
「なぜ、この少年を狙う!」
エリシアの問いに、影は微笑を浮かべながら言った。
「それを一番理解しているのは、お前自身だろう?」
その言葉が耳に残る。
ぞわりと背筋を這い上がるような感覚が、思考の隙間に染み込んでくる。
(……何だよ、今の言い方。どういう意味だ?)
胸の奥がざわつく。まるで、自分自身すら知らない“何か”を暗示されたような……そんな得体の知れない不安が、じわじわと広がっていく。
そして──霧散。
「──チッ」
再び訪れる静寂。
「今の……何だったんだ……?」
俺の問いに、エリシアは深く息をついて振り返る。
「戦いは、まだ終わっていない。これは……始まりに過ぎない」
静かに剣を鞘に収める。
「そうか、わかった──とはならないよな!」
「さっきのアイツ、明らかに俺を狙ってたよな!?」
「てか、傷……大丈夫か? あと、日本語うますぎだろ!」
「そもそも! なんで俺の名前知ってるんだよ!」
エリシアは、やれやれといった表情で眉間を押さえた。
「レオ、初対面の女子を質問攻めにするとは……少々配慮が足りないのでは?」
「いや、アンタも俺にタメ口じゃん!」
「私は“アンタ”ではない。“エリシア・セラフィエル”だ。次からはそう呼んでくれ」
「いきなり名前でって……」
「なら“エリシア様”でも構わん。私はあまり距離を取られるのは好まないがな」
「……エリシア、でいいよ。てか、なんでそんな偉そうなんだ?」
「私は貴族であり、とある国の騎士団長だからな。職業病のようなものだ」
「それと、傷の心配は無用。神の加護を受けている私の体は、魂さえ無事なら再生する」
──そう語りながら、彼女の声が徐々に小さくなる。
「ただ、スタミナを……消耗……し……て……」
「うわっ、ちょっ、大丈夫か!?」
彼女が膝から崩れ落ちるのを、俺は慌てて支えた。
「すぅー……すぅ……」
(……寝てる)
あれだけの激闘の後なら、無理もない。
心配になって傷を確認するが、血は止まり、穴も塞がれていた。
まるで……最初から何もなかったかのように。
(放置は無理だろ……でも、家に連れて帰ったら母さんにどう言えば)
制服のまま、ボロボロの金髪美少女を背負って帰宅する自分を想像して、頭を抱える。
(戦いは“始まり”って言ってたな……)
(彼女は何者なんだ。なぜ俺を守った?)
聞きたいことは山ほどある。
──俺は、エリシアを背負い、家路についた。
第一話はこれで終了です。
次回は閑話です。
第二話の導入にあたる部分ですが、束の間の平和とオフの時のエリシアを書きました。