零落
「ゲート戦争の後、涙の魔術師は地上に戻った」とリリスは言い、瞳と桐子の顔色をうかがいながら話を続けた。「彼は疲弊して魔力を失っていた。しかも、冥界の多くの秘密を知る要注意人物として監視されていたので、まともな仕事につけなかったらしい。」
「涙の魔術師は職業を持っていたのでしょうか?」と恵子。
「さあな。彼はすでに三百歳ぐらいだった。多くの職業能力を持っていたから、政府の監視と制限がなければ職に就くのはたやすかったはずだ」とリリス。「ただし、彼はかなり以前から住民票などの政府の記録から消えていた。以前のように偽造の身分証がなければまっとうな生活をするのは難しかっただろう。」
「家族や親戚などの身内の方はいなかったのでしょうか?」と恵子。
「聞いたことがないな」とリリス。「彼は零落して知り合いの伝手を探してさまよったらしい。だが、だれも監視付きの彼を助けようとはしなかった。」
「なぜ政府は彼を監視するだけで、助けなかったのでしょうか」と恵子。
「それもわからない。おそらく、龍穴回廊事件のせいだろう」とリリスはごまかした。「私が地上で彼に出会ったのは、私が住むアパートのそばの公園だった。彼はホームレスとしてベンチに座っていた。かなり老け込んでいたが、明らかにあの涙の魔術師だった。面識があった私は驚いて声をかけた。」
「涙の魔術師は大佐殿を頼ったのでしょうか?」と恵子。
「違う。その場所が魔地だったからだ」とリリス。
「魔地とは何でしょうか?」と恵子。
「魔力を噴き出す土地だ」とリリス。「地上にはよくあるのだが、ほとんどの場所は宗教関連の施設になっている。だが、私たちが出会った場所は、まだ魔地として人に知られていなかった。だから冥界帰りの魔力持ちがこっそり集まる場所だった。」
「それで、涙の魔術師を助けたのですか?」と恵子。
「援助を申し出たのだが、断られた。迷惑をかけるからと言って」とリリス。「だが時々私のアパートに食事に来てもらった。ホームレスに施しをするという体で。」
「親切なのですね」と綾子。
「冥界で少し助けられたことがあったのだ。彼は覚えていなかったのだけれど」とリリスは言いながら、瞳と桐子をちらりと見た。「そのころ、彼は本当に無一文で痩せこけていた。私はせっせと食べ物を差し入れしていた。だけどある日、彼は突然いなくなった。」
「何があったのでしょうか?」と恵子。
「わからない。おそらく、わたしに迷惑をかけたくなかったのだと思う」とリリス。「それから音沙汰がなかったけど、しばらくして冥界の女王と結婚したという噂を聞いた。」
「女王とどこで出会ったのでしょうか?」と恵子。
「あとで聞いた話だと、非公式の女王のパーティーに呼ばれたらしい。何かの余興とかで」とリリス。「もちろん、人が冥界の存在と接触するのは条約違反だった。」
「どんな余興なの?」と瑠璃子が聞いた。
「仮装パーティーに涙の魔術師を紛れ込ませて、正体を暴いて捕まえるというゲームだったそうです」とリリス。「涙の魔術師はうまく逃げまわったのだけど、最後に女王に捕まったのが馴れ初めだそうです。」
「興味深いわね」と瞳。
リリスは少し間を置いた。
「次に涙の魔術師に会ったのは、彼が異星生物迎撃の準備を始めたころだった。彼は女王から黒魚王の称号を与えられ、全権の代理人として地上に送り出された。そして戦争のための組織を作り、兵器の開発をこっそりと始めた。私はそのころの彼に勧誘され、女王様のお目通りを頂き組織に加わった。」
「勧誘されたのはリリスさんだけだったの?」と瑠璃子。
「いいえ、多くの魔女が勧誘されていました。それから、物の怪や野良精霊の類を使い魔にしていきました」とリリス。「なぜ戦争に魔女や物の怪が必要なのか当時の私にはわかりませんでしたが、涙の魔術師には計画があったようです。」
「そうかしら。あの子、ちょっと変な趣味があるわよ」と瞳。
「姉さん、その話は後にして」と桐子。
「私は宇宙に送り出され、訓練を受けて第一次防衛戦争の開戦時に義勇軍として参戦した」とリリス。「魔女狩りが始まる終戦直前まで、私は涙の魔術師の部下として、太陽系外にゲートを開いて侵入してくる異星生物を迎撃し続けた。終戦直前に、涙の魔術師がどのような死を遂げたのか私は知らない。」
「それは秘密作戦だったから、軍の上層部でも一部の人しか知らなかったわ」と瑠璃子。




