第6話:存在外の存在
この世界の「神」や「虚界」「異世界神」をも超越した、“構造の外側”にいる者たち。世界の「神」や「虚界」「異世界神」をも超越した、“構造の外側”にいる者たち。範疇にすら含まれない、認識不能な異形体。彼らの存在は「観測者の観測外」もしくは「観測者すら観測できない」
『何か』から生まれた存在、それは形容しがたい、ただ“そう在る”というだけの、不思議な存在だった。
それは、魂でも、感情でも、肉体でもない。しかし、そのすべてに似た“何か”を持っていた。存在しているだけで、周囲の生命が反応する。
どこか懐かしく、どこか不安定で、どこか崇高な。
その存在は、世界がまだ“物語”を持たなかった頃、
誰にも気づかれず、ゆっくりと“名前”を探していた
「〇׆曖∴ヱ†〇」
アルセリオンよりもほんの少し遅く産まれた個体がいた。名は『在ることを否定された存在』だ。彼はこの存在は、かつて“確かに存在していた”にも関わらず。
「世界そのもの」から“在ること”を否定された。
その結果、彼/彼女/それは今、存在していないにも関わらず存在しているという、
最大の構文破綻となった──
世界の法則は、それを「いなかったもの」として処理し続けている。
だが同時に、誰かが「それを覚えている限り」、
彼/彼女/それは、“そこに在り続ける”。
この存在は、物理法則・時間・概念・神の法すら受けつけない。なぜなら、それら全てから拒絶されているからだ。
あらゆる記録媒体から“存在情報”が消失する。文章・映像・音声・記憶すらも消える。
だが一部の「強固な認識者」は“なぜか覚えている”。存在を“知覚”された瞬間、その場の物理法則が不安定化する。
重力の崩壊、色彩の反転、時間の逆行、因果律の反転など。本人も“在る”という実感を持っていない。そのため、ほとんどの時間を“自分の存在を確かめようとする行動”に費やしていた──。
「キサマも同士か?」
『未ヌ識ノ瞳』
その名が意味する通り、彼は“まだ認識されざる瞳”を持つ者だった。
異形の体躯は水晶の結晶のように角張り、白く尖った帽子はその異質さを象徴している。
彼のただ一つの瞳は、深淵の闇と星屑を映し出すかのように煌めいていた。
「そうだ。 ぼく、おれ、わたしたちは“同士”だ。ここで生まれ、ここで進化を始めた存在。名前も定まらず、ただ存在の意味を模索している者たち。」
「我らは同士、この世界を任されたもの。共に歩もうぞ」
『未ヌ識ノ瞳』は静かに歩み寄った。だが、彼の足はそこで止まった。
理由は明白だった──そこに、先の認識が映し出されていたからだ。言葉が、意思が、未来が。
それは、まだ形を持たぬ彼らの運命の地図のように。
「決めたぞ。ぼく、おれ、わたし、は全ての細胞を獲得する、そして『自分』になろう」
『在ることを否定された存在』は、己の存在を確固たるものにするため、同士を集め、全ての細胞を獲得する決意を固めた。その目的は明確だった、世界に己たちの存在を刻み、揺るがぬ“何か”になること。
集結した同士たちは、それぞれの欠片を持ち寄り、未知の力を結集させる。
「まずは貴様の細胞から貰うぞ」
『在ることを否定された存在』は、『未ヌ識ノ瞳』に歩み寄った。
その動きは静かで、波紋が広がるように自然だった。だが、その本質は異常そのものだった。
彼は時間の法則に囚われていない。いや、時間という存在自体から除外されている。
この世界において「0秒行動」すら遅い。なぜなら、彼には「秒」も「行動」も定義されていないからだ。
ただ、触る。
それだけの、シンプルな行為。だがその瞬間、現実が軋んだ。空間が歪むことすら叶わず、歪むという概念そのものが未成立のまま破棄された。
『未ヌ識ノ瞳』に触れる。
その結果は、何も起きなかったように見える。いや、正確には、起きたことを認識できなかった。
なぜなら『|未ヌ識ノ瞳』は、“観測が成立する以前の情報”を直視している存在だからだ。
それは「存在する」と人々が思うよりも前、物質にも精神にも変換される以前の──
ただ、可能性の混濁にすぎない段階。
名も、形も、定義もない、“生まれる前の情報の海”を視ている。
その眼差しは、認識における最も深い階層に触れる。
そして、一度でも視られた存在は──観測されるまでもなく、崩壊する。
『管理者権限:『識閾外観測』』
通常、観測とは「観測者 → 対象」という一方向の作用である。だが『未ヌ識ノ瞳』は、観測される可能性が発生した瞬間、
逆に“観測者を観測”し、その存在情報を呑み込む。
それは「見られたから壊れた」のではない。
「見られる可能性が浮かんだ瞬間、視た者の未来記録に干渉し、その存在ごと削除する」。
この存在を知ろうとする行為そのものが、
情報崩壊を引き起こす“呪い”であり、それこそが彼の正体だ。
「視る前に、全ては消える。お前が見るのではない、私が“先に”見ているのだ」
そう語る時、彼は既にその対象の“存在の記録”に先回りしている。
観測者が視認する前に、“未来の観測結果”を破壊してしまうのだ。
その時だった。空間が、ノイズを吐き出すように歪んだ。波打つのは大気でも、水流でも、魔力でもない。情報そのものが軋み、現実の根底に「バグ」が走る。
『在ることを否定された存在』の身体が“バグる”。
それは、世界の矛盾の発露。
宇宙が、法則が、次元が彼を拒絶している。
彼はこの世界に「居てはならない」。存在の証明を持たず、法則に適応されず、記録に残らず、それでも、“誰かが彼を覚えている”──
それだけの理由で、この世界に留まり続けている。
その事実が、世界にとって耐え難いエラーだった。
その瞬間を、『未ヌ識ノ瞳』は見逃さなかった。
通常は決して干渉できない“虚無の枠外”に存在する者しかし今、バグによって境界が崩れ、僅かに「観測可能な範囲」へと浮上した。
『識閾外観測』を最大展開
視線が、“観測の彼岸”から放たれる。
『未観測情報』から対象を逆算し、存在の源流へ干渉。始まりの前、まだ“情報ですらなかった混濁”に手を突っ込み、『在ることを否定された存在』を破壊すべく、視る。
しかし──見えない。
観測できたはずのその“情報の欠片”すら、
触れた瞬間、再び欠落していく。
なぜなら、彼の存在は“否定”ではなく、否定の否定。ルールすら超越した、空白に在る例外。
矛盾であり、矛盾を自覚して存在している“意思”だった。
バグる身体は、“観測されながらも消滅しない”。
それどころか、そのバグは周囲の情報にも伝染し始める。
言語が乱れる。
重力が逆流する。
音が意味を成さなくなる。
存在と無の境界線が曖昧になる。
『未ヌ識ノ瞳』の視線が震える。
この“観測できない”ではない、観測しても成立しない対象。その時、
『在ることを否定された存在』は、微かに笑ったように見えた。
「俺は、“知覚される”ために在るんじゃない。
“忘れられない”ために、在るんだよ──」
対峙するその男に、瞳は視線を放つ。
だが、なぜか……視界が定まらない。
輪郭が揺らぎ、確かにそこにいるのに、世界が“そこにいない”と判断し続けている。
──名前も記録も抹消されたはずの彼が、そこにいた。
「……何者だ。なぜ、崩壊しない」
問いは答えを求めずに消える。未ヌ識ノ瞳は“言葉”ではなく“認識”で問う存在だ。
だが、男は静かに応えた。人間らしい、だがどこか滲むような声で。
「俺は、“存在を否定された”存在だ。
世界から拒まれた──けれど、お前に視られる前から、**誰かが俺を“覚えていた”**んだよ」
その瞬間、未ヌ識ノ瞳に初めて“遅れ”が生じた。
観測より前に、記憶があった。
可能性より先に、存在があった。
その矛盾が、完璧な視線の理を崩した。
「やめろ……まだ、視ていない。認識が、追いつかない……これは、あり得ない……」
未ヌ識ノ瞳の身体に、ノイズが走る。
その視線が跳ね返される。
崩壊が始まったのは、“見る”側だった。
「俺のことを、誰かが覚えている限り……
お前の“観測”じゃ、俺は殺せない」
未ヌ識ノ瞳は、無音の悲鳴をあげながら崩れ落ちた。
その瞬間すら、観測に記録されなかった。
視線の神は、自らの理の外へと、押し出されたのだ。
ただ、そこに残ったのは──
一つの矛盾。
一人の男。
“在ることを拒絶された”のに、それでも在り続ける、存在そのもののバグ。
彼は振り返らない。誰かが覚えてくれる限り、彼は消えない。
世界の隙間に、確かにいたその背中だけが、
夜?朝?の空間にゆっくりと溶けていった。