第13話:地獄
リンデン王国の王、ババットとその側近たちは、城の最上部の広間に集まり、緊張感の漂う会議を開いていた。
今日の議題、吸血鬼の件だ。
「奴らの愚問に、降りましょう!」
チューシット中将が力強く机を叩き、声を張り上げる。吸血鬼の仲間になるか否か、この議題は、王国にとって長くくすぶる火種であり、何度も議論が繰り返されてきたものだ。
「チューシット中将、その件については、何度も議論してきたはずです。我々は吸血鬼の下には付きません。奴らの下に付けば、どうなるかは一目瞭然でしょう」
吸血鬼に屈すれば、王国の主権は失われる。民も将軍も、自由も、すべてを吸血鬼に握られることになる、その未来は、誰の目にも明らかだった。
「まだプライドを貫くつもりか!
仁義も誇りも、生きていてこそ意味がある!
奴らには勝てんヴァルメリア王国へ通じる公道は、すでに敵の支配下だ。我々は完全に孤立している、現実を直視しろ!」
ヴァルメリア王国との連絡路も、吸血鬼たちの支配下にあるため、外部との連絡は途絶えていた。もちろん、魔法による通信手段も存在する。しかし、それを使いこなせる者は稀少だ。魔力の適性を持つ者は、おおよそ「三十万人に一人」という確率でしか現れないというのだから。
本来、魔法とは悪魔が操る特異な力であった。だが、悪魔が人間と交わり、子を成すことで生まれた存在――魔人。彼らもまた、魔力を血として受け継いでいる。さらに、魔人同士が血を交え、子を成すことで、魔力の血脈は連鎖的に広がっていく。
そうした世代を重ねる過程で、複雑に混ざり合った遺伝子構造が現在の人類に受け継がれ、魔力の適性を持つ者は極めて稀少となった。まさに、三十万人に一人。希少価値という言葉では片付けられない、奇跡に近い存在である。
たとえ魔力を有していても、それが即ち魔法の才能を意味するわけではない。
さらに言えば、高度な通信魔法を扱えるかどうかも、保証はない。
ゆえに、魔法による連絡手段は、実質的に使用不能であった。
加えて、魔法道具も吸血鬼たちの張った結界に阻まれ、通信機能は妨害されている。
完全に詰んでいる――そう断言して差し支えない状況だ。
この現実を誰より深く理解しているからこそ、チューシット中将は焦燥を募らせていた。
王国の存続、仲間の命、そして自らの誇りすべてを天秤にかけ、圧倒的な絶望の中で次の手を模索せざるを得ない。
(愚民どもめ。いつまで平和の残り香に酔いしれているつもりだ。だが、感謝してやろう――お前たちの醜態が、俺の選択の正しさを証明してくれたのだから)
「王よ、我々の選択は現状維持でよろしいでしょうか?」
「うむ、よい」
そう言って、政治家たちは会議を終わらせようとしていた。面倒くさい、早く女と遊びたいという気分が、心の片隅で渦巻く。
現状を直視できていない、いや、現実から目を逸らしているのかもしれない。
リンデン王国はここ数百年、ほぼ無事に平穏を保ってきた。その間に、安全という名のぬるま湯が政治家たちの判断力を蝕んだのだ。
現実を直視する力は鈍り、危機的状況においても、目先の快楽や惰性に心を奪われる。
カス共め、だが、この無能さこそ、権力者として正しい決断を下す者の価値を、より際立たせる。
「待て、お前たち。革命を口にする連中は、決まって同じ目をしている。狂気と覚悟が貼り付いた、もう引き返せない瞳だ」
「チューシット中将、どうしましたかな? 頭でもイカれましたか?」
政治家たちは、面白半分に笑った。
その笑みは軽く、薄く、危機感というものを一切孕んでいない。
誰一人として、チューシット中将の“本気の目”を見ていなかった。
いや、見ようとしなかったのだ。
これまで幾度となく、現実から逃げ続けてきた証だろう。
危機を直視せず、決断を先送りにし、平和の残骸に縋ってきた結果が、この嘲笑だ。
「お前ら、俺の手下になれ。偉大なる御方が、俺に血を分け与えてくださった」
「チューシット中将……何を――?」
言葉が終わる前に、血が噴き出した。
そう、チューシットはすでに吸血鬼の血を飲み、眷属となっていたのだ。
赤い眼光が迸り、空気が震える。
筋肉は異様なまでに引き締まり、身体能力は人の域を明確に逸脱している。さらに――能力が目覚めていた。
血液操作
自身および視界内の血液を、自在に操る能力。
チューシットは自らの腕を、ためらいなく軽く切り裂いた。
流れ出した血は床に落ちることなく宙で止まり、蛇のようにうねり、刃となり、槍となる。
「抗うな。死にたくなければ、俺の眷属となれ」
政治家たちの顔から血の気が引く。
笑いは凍りつき、足は床に縫い付けられたように動かない。
「……ああ、そうだ」
チューシットは、ゆっくりと王へ視線を向けた。
もはや敬意も、忠誠もない。
「王よ、いや、ババット。お前だけは殺せとの命だ」
赤い瞳が、冷酷に細められる。
「王は二人も不要だと、そう仰せでな」
その言葉が落ちた瞬間、リンデン王国の玉座は、音もなく、死の影に覆われた。
き、貴様……自分が何をしているのか、分かっているのか!」
声を震わせて叫ぶ王と政治家たち。だが、チューシット中将の瞳は紅く光り、冷徹に輝いている。
「ああ、分かっているさ。未来などよりも、はるかに鮮明に見える。今、俺は歴史そのものを書き換えようとしている。そして君たちは、その場に立ち会う承認者に過ぎない。さて、お遊びは終わりだ――もうそろそろ来る。後悔しろ。自ら選択した、愚かな判断に」
「な、何を……?」
その問いは、誰にも届かない。瞬間――ドーンという轟音が城内に鳴り響き、砂塵が舞い上がる。
城は一瞬のうちに瓦解し、その破片と衝撃波が広間を覆った。さらに、リンデン王国を囲う結界が即座に展開され、国境線を封鎖するかのように巨大な力場が空間を裂いた。
チューシット中将は膝をつき、血と汗が混ざった表情を見せながらも、冷静さを失わない。
「思いのほか、早く辿り着いたようだな。悪かったな、ちょうど評議の最中であったか?」
そう言った瞬間、圧倒的な気配が城の残骸の中から立ち昇る。
――吸血鬼の王、ブラッド閣下だ。
その背後には、凄まじい戦力が控えている。
花魁の吸血鬼、ネメシス。
絶望の姫、デス・ペリア。
蒼炎の暴君、ザフィクロス。
さらに配下のクロウとバル――総勢六名が、戦場を掌握するかの如く姿を現した。
花魁のネメシスは扇子仰ぎながら口を開いた。
「どうして人の世は、こうも湿っぽうござりんすかねぇ」
その口調とは裏腹に、圧倒的な気配と殺意が空間に充満しており、城跡の砂埃すら、彼らの存在感に飲み込まれているかのようだ。
政治家及び、王のバハットは死んでいる、あの衝撃で身体の原型がなくなっているのだ。
「さて、幕を上げよう。――絶望の刻だ。
よいか、者ども。急ぐ必要はない、ゆっくりと殺せ。これは処刑ではない、“誇示”だ。
恐怖を骨の髄まで刻み込めば、ヴァルメリア王国は震え上がり、自ら王冠と国土を差し出すだろう。」
何も焦る必要はなかった。
ブラッドは、圧倒的な実力を持ちながらも、その動きには冷静さが宿っている。
力任せに暴れ回る必要はない――彼が望むのは、リンデン王国の資産や民、そして領土そのものをできる限り無駄に損なわず、支配下に置くことだ。
畑や都市のインフラ、物質的な資源も、可能な限り運用したい。だからこそ、無差別な破壊行為や狂乱は不要であり、戦略的な最小限の行動で事態を掌握しようとしているのだ。
(ほう……まだ、これほどの源の持ち主が潜んでいたとは)
ブラッドの目は、戦場に散らばる潜在的な強者たちを冷静に見据えていた。
一目で分かる、その力の存在感――それはまだ目立たぬが、紛れもない“強者の気配”だった。
かつての経験から、強者を無理に取り込むよりも、まずあぶり出して待つ方が有効だと知っている。
潜む敵を引きずり出し、必要な時に戦わせる――それこそが、彼の考える合理的戦略であり、無駄のない力の使い方である。
だからブラッドは焦らない。
彼にとって、この王国の現状は実に理想的だ。
敵が自ら顔を出し、反応を示すその瞬間を待つことこそ、彼の計画を完遂させる最短の道なのだ。
城跡に立つ六名の配下たちも、王の冷静な視線を理解している。無闇に突っ込む者はおらず、全員が周囲を警戒しつつ、潜在的な脅威の動向を見守る。
暴力の嵐よりも、戦略的観察それが、今のブラッドの意図する戦場の姿だった。
「散れ、そして絶望を振りまいて来い!」
ブラッドの冷徹な命令に、それぞれの面々が即座に反応する。
「ヒャッハー! 暴れるぜぇ!」
蒼炎の暴君、ザフィクロスはそのまま城の瓦礫を蹴散らし、暗闇の中へと駆けていった。
「では、妾も、久方ぶりに羽を外しんしょうか。血と宴の香り、少しばかり味わわせてもらいんすえ」
花魁の吸血鬼、ネメシスは妖艶に微笑みながら、静かにだが確実な足取りで森の奥へと歩を進める。
絶望の姫、デス・ペリアは無言。言葉を必要とせぬ存在らしく、影のごとくその姿を消した。
バルはブラッドの傍らに控え、冷静に王の動きを見守る。クロウは短く一礼をし、己の力を試すべく、己の道を歩み始めた、その瞳には戦慄すら含まれている。
「チューシット殿も、好きに動いて構わんぞ?」
ブラッドの言葉が、戦場の均衡を一層際立たせる。
「有り難き幸せ、では」
チューシット中将は静かに膝をつき、赤く光る瞳に力を宿す。吸血鬼の血を受け入れ、血液操作の力を手にした彼は、戦場に身を躍らせ、己の力を誇示する覚悟を決めたのだった。




