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アルセリオンの神話  作者: エスケー
村騒乱編
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第12話:お出かけ

 今日はアイシアとミレイユ、そして俺の三人での外出だ。ヴァルセリオンとセインは来ないと言い、結果として久しぶりに、戦いとも逃亡とも無縁の時間が訪れた。


 俺は小型犬に擬態して、アイシアに抱えられている。視界は低く、足音や人の気配がやけに近い。まるで本当に散歩に連れ出された犬みたいだ。


「るんるん〜」


 ミレイユが意味もなく口ずさみながら歩いている。

 その声だけで、今日が特別な日だと分かる。


「どこに行きましょうか?」


 アイシアが穏やかに問いかけると、ミレイユは振り返って満面の笑みを浮かべた。


「決めてないよ!フッ軽の精神大切だよぉ!」


 子供らしい――いや、子供そのものだ。

 でも、その無計画さが今日はやけに心地いい。俺もその考え、嫌いじゃない。


 王都は想像以上に賑やかだった。石畳の道は人の往来で埋まり、露店の呼び声があちこちから飛んでくる。焼きたてのパンの香ばしい匂い、果実酒の甘い匂い、香辛料の刺激が混じり合い、鼻が忙しい。


 武具屋の前では、磨き上げられた剣や槍が太陽を反射して輝いていた。通り過ぎる冒険者風の集団が、戦果を自慢するように笑い合っている。

 一方で、衣服店の前では色とりどりの布が風にはためき、仕立て屋の主人が客を呼び込んでいた。


「見て見て!あの飴、星みたい!」


 ミレイユが指差した先には、透き通った飴細工が吊るされている屋台があった。職人が手際よく飴を伸ばし、捻り、瞬く間に花や獣の形を作り上げていく。


「……買いますか?」


 アイシアがそう言って財布に手を伸ばす。

 ミレイユは一瞬だけ遠慮するように視線を泳がせ、それから勢いよく頷いた。


「うん!」


 飴を受け取ったミレイユは、宝物を手に入れたみたいに目を輝かせていた。その横顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 広場では噴水が水を噴き上げ、子供たちが周りを走り回っている。吟遊詩人がリュートを爪弾き、王国の英雄譚を歌っていた。

 その歌声を、誰もが当たり前のように聞いている。戦争も吸血鬼も、今この場所では遠い話のようだった。


 俺はアイシアの腕の中で目を細める。

 この平穏が、いつまで続くかは分からない。だが――


「ねぇアルセリオン、次はあっち行こ!」


 ミレイユが振り返り、手を振る。


 あぁ、いいさ、今日はただの散歩でいい。王都を眺めて、笑って、少しだけ普通の一日を過ごす。

 それだけで、今は十分だ。


 ちなみに今日の出費は、すべてエルヴィラ持ちだ。

 出発前に渡された小袋には、ずっしりとした重みがあった。


「デート、楽しんできなさい!」


 ――と、満面の笑みで送り出されたのだが。

 いや、違う。違うからな? と弁解する間もなく扉は閉まった。


 まずは昼食だ。王都の中央通りから一本外れた、少し落ち着いた食堂に入った。木造の店内は温かみがあり、香草と肉の焼ける匂いが鼻をくすぐる。


「わぁ……おいしそう」


 運ばれてきたのは、分厚い肉のグリルと、野菜たっぷりのスープ、焼き立てのパン。

 ミレイユは目を輝かせ、アイシアは小さく「いただきます」と手を合わせた。


 俺はというと、犬に擬態したまま床に降ろされ、こっそり肉の欠片を分けてもらう。

 ……いや、普通にうまいな、これ。


「アルセリオンさん、ちゃんと噛んでくださいね」


 ミレイユはパンをちぎりながら、楽しそうに今日見た屋台や飴の話をしている。

 その様子を見ているだけで、腹以上に満たされるものがあった。


 食後は、王都の見物を続けた。


 大聖堂の前では、白い石で造られた巨大な建築に思わず足を止める。天へと伸びる尖塔は、信仰という名の意思そのもののようだった。

 内部から漏れてくる静かな祈りの声に、ミレイユも自然と声を潜める。


 次は学術区画。魔導書を扱う書店や、怪しげな道具を並べた店が立ち並んでいる。


「これなに!?」

「触っちゃダメです!」


 ミレイユが光る水晶に手を伸ばし、アイシアが慌てて止める、店主は苦笑しながら「それ、爆ぜますよ」と一言。

 ……危なすぎる。


 露店通りでは、露骨に観光客向けな記念品や、よく分からない護符が山ほど売られていた。


「これ、強くなるって書いてある!」

「それは……たぶん気持ちの問題ですね」


 アイシアの冷静なツッコミに、ミレイユがむーっと頬を膨らませる。気がつけば、夕方。

 西日が石畳を黄金色に染め、王都全体が柔らかな光に包まれていた。


「いっぱい歩いたね」

「はい。でも……楽しかったです」


 ミレイユは満足そうに頷き、アイシアは少し照れたように微笑む。


 俺は二人の足元をちょろちょろと歩きながら、思う。

 戦争も、吸血鬼も、血の帝国も、今は全部、遠くに置いてきた。


 ただ三人で飯を食って、街を見て、笑っただけ。

 それだけなのに、不思議と胸の奥が軽い。


 まぁ、エルヴィラには後で一言言っておこう。

 デートじゃない、と、たぶん、信じてはもらえないけどな。


 最後に、俺たちは王都の一角にあるネックレス屋へ立ち寄った。


 ガラスケースの中には、宝石が光を反射して小さな虹を描く。

 色とりどりのネックレスが所狭しと並び、まるで星々が静かに瞬いているかのようだ。


「アルセリオンさん、何か欲しいものあります?」

「ほしいもの?」

「えぇ、今日はずっと付き合って貰ったので。今回ばかりはエルヴィラさんのお金ではなく私のお金でお礼がしたくて」


 そう言われると、俺は少し照れた。

 別に気を遣わなくても楽しかったのに、と心の中で思う。

 それでも、何も選ばずに立ち去るのも角が立つだろうと、俺は指を滑らせてケースの中を見渡した。


 そして目が止まったのは、青く透き通る宝石のネックレスだった。

 純正な色合いと繊細な細工が、まるで空の一片をそのまま閉じ込めたように美しい。


「綺麗ですね……私も貰おうかな」


 アイシアは、俺が選んだものと同じような二つ目のネックレスを手に取り、俺の首元にそっと掛けた。

 そしてしゃがんで微笑みながら言った。


「似合いますよ」

「アイシアもね」


 彼女の手が触れるたびに、軽く心臓が跳ねるのを感じた。戦火や吸血鬼の脅威を一瞬忘れ、ただ二人で静かに微笑み合う時間。

 ――この瞬間が、少しだけでも永遠であればいいのに、と俺は思った。




 夕暮れ時、俺たちは喫茶店へ戻った。

 扉を閉めた瞬間、俺は犬の擬態を解き、本来の姿へと戻る。


「おや、お帰り。アルセリオン。あんたにお客さんが来てるわよ」


 エルヴィラがカウンターの奥から声をかけてきた。


「俺に?」


 思わず聞き返す。

 この世界に来てから、俺個人を訪ねてくるような知り合いなど、心当たりが一切ない。


 視線を店内へ向ける。そこには、窓際の席に静かに腰掛ける人物がいた。深くフードを被り、顔は仮面に隠れている。だが、その佇まいだけで分かる。


 ただ者じゃない。空気が、僅かに張りつめた。


「……俺に何の用だ?」


 そう声をかけると、フードの人物はゆっくりと顔を上げた。


「やっと会えたな、アルセリオンくん」


 陽気な声がする、その瞬間、背筋に嫌な予感が走る。


「誰だ、お前」

「名乗るほどの者でもないが……」


 男は薄く笑った。


「僕は界外神のエラーだ、今は君の味方だよ」


 そう言って、エラーは俺に手を差し伸べた。

 その掌からは、敵意も殺気も感じられない。

 だが同時に――底知れない“異質”だけが、はっきりと伝わってくる。


「あぁ」


 俺は短く応じ、その手を取った。

 触れた瞬間、世界が一瞬だけ軋む。

 音も光もないのに、現実の継ぎ目が擦れたような感覚だった。


「……変な感触だな」

「界外の存在に触れたら、だいたいそうなるよ」


 エラーは肩をすくめる。


「安心して。君を壊すつもりはない」

「それを信用しろって?」

「うん。だって君が壊れたら、この世界はもっと面倒になる」


 冗談めかした口調。

 だが、その言葉の裏にある“確信”が気にかかる。


 エルヴィラがカウンター越しに鼻を鳴らした。


「ほう……天界外神(てんかいがいしん)のエラーとはのう。随分と厄介な客が来たもんじゃ」

「ご名答。だから表からは来られないんだ」


 エラーは視線だけで、淡々とエルヴィラに挨拶を返す。


「天界外神ってなんすか?」


 ヴァルセリオンが、ご飯を口に運びながら気軽に質問してくる。ナイス質問だ。俺も正直、気になっていた。そして答えたのは、エラーだった。


「神って本来は天界に住むものなんだよ。天界外神って言うのは、天界の外に住んでいる神のことさ」


「ふぉっふぉ、何マイルドに説明しているじゃ」


 その説明に、エルヴィラが補足を入れる。


「天界外神というのはな、危険な連中のことを指すのじゃ。神の中でも、特に危険度の高い連中じゃよ。ワシも500年以上生きておるからのう、多少は知識がある」


 なるほど、天界外神、ただの神ではなく、常軌を逸した危険を孕む存在、ということか。


「そんな危険な奴をここに入れてどうする? それに俺は無論、神なんでね」


 セインは、迷わず追い出そうと体を動かした。


「近寄らない方がいいぜ?」


 その瞬間――セインの身体が、まるで意志を失ったかのように止まった。


(なんだ……動けない? いや、歩き方を忘れてる……? 歩こうとするたびに、頭の中が混乱する……!)


 その異常な感覚は、セイン以外には理解できない現象だった。全身を支配する違和感、思考と動作の乖離。まるで、自分の身体が自分のものではなくなったかのような、得体の知れない恐怖。


「安心していいよ。僕は味方さ。向こうにも神がいるらしいんだ。あいつらの勢力が膨れ上がるのは、正直、面白くないんだよ。天界だって一枚岩じゃない。紙一重の均衡で、いくつもの勢力がせめぎ合ってるんだ」


 ――なるほど、つまり私情だな。


「それに、君にも興味があるからさ」


 そう言って、エラーは軽く俺の身体に触れた。


「まぁ、敵意はないし、入れてもいいじゃないか? 神さんがいるなら、戦力的にも美味しいし」


 エルヴィラさん……能天気すぎるだろ。

 いや、状況的にはかなりの危険人物を迎え入れる判断なんだが、彼女にとってはただの“戦力補強”なのかもしれない。


 でも、正直言って、この混沌の中で、こういう楽観的な存在がいるのも、悪くはない気がした。




 そんなこんなで、俺たちはエラーを迎え入れた。

 エルヴィラの言う通り、少なくとも今のところ敵意はない。


 今もエラーは椅子に腰掛け、ミレイユと戯れている。

 正直、いい気はしない。あんな得体の知れない存在が、楽しそうに無邪気を装う様子には、少なからず居心地の悪さを覚える。


 だが、考えてみれば実害はない。

 こちらから無駄に仕掛けて喧嘩する必要もない。

 平穏に見える今の状況を乱す理由は、俺にはないのだから。



 夜更け、俺はベッドに腰掛けたまま、窓の外をぼんやりと眺めていた。

 闇は静かで、あまりにも穏やかだ。だからこそ、逆に不気味だった。いつ戦闘が始まるのか、いつこの静寂が破られるのか――そんなことばかりが頭をよぎる。明日になれば、血の海が広がっているかもしれない。あるいは、何事もなかったように朝日が昇るのかもしれない。


 ……分からないな。

 未来が見えないというのは、慣れているはずなのに、こういう夜だけは妙に心に引っかかる。


 そんな時だった。

 不意に、背中からぬくもりを感じる。


 腕が回され、柔らかな感触が背に触れた。

 アイシアさんが、俺にそっと寄りかかってきていた。


「あ、アイシアさん?」


 思わず声が裏返る。

 心臓が一拍、余計に跳ねた。


「どうしました?」


 彼女は落ち着いた声でそう言い、まるで当たり前のことのように、距離を縮めてくる。


「い、いや……その……俺に抱きつくの、やめた方がいいですよ」

「どうしてですか?」

「俺、異形種だしさ。危ないかもしれないし……」


 言葉にしてみると、どこか言い訳じみて聞こえて、自分でも嫌になる。

 だが、それでも距離を取るべきだと思った。


 アイシアさんは、少しだけ腕に力を込めた。

 離れるどころか、さらに寄り添ってくる。


「関係ありませんよ」


 静かで、しかしはっきりとした声だった。


「異形種でも、神でも、何でも……そんなことはどうでもいいんです。この気持ちの高鳴りは、嘘じゃありませんから」


 背中越しに伝わってくる鼓動が、確かに早い。


「それってまさか、俺の事が? いやいや、待ってくださいよ、俺、化け物ですよ?」


 白いツノに、白いシッポ。

 赤く光る眼光に、全身を覆う白の異形。どう贔屓目に見ても、人の姿からは程遠い。SF映画に出てきても違和感のない、紛れもない“怪物”だ。


 そう口にすると、アイシアさんは少しだけ息を吸い、俺の背中に回した腕に力を込めた。逃がさない、と言わんばかりに。


「好きに、理屈はありませんよ……」


 耳元で、静かな声が落ちる。


「もし、好きになるのが理屈で決まるのなら……きっと、誰も恋なんてしません」


 その言葉は、やけに真っ直ぐで、逃げ場がなかった。

 俺の異形を見ていないわけじゃない。怖がっていないわけでもないはずだ。それでもなお、この距離を選んでいる。


「化け物かどうかなんて、私には関係ありません」

「あなたは、あなたでしょう?」


 月明かりが窓から差し込み、白いツノとシッポを淡く照らす。その光景を、アイシアさんは避けることなく見つめていた。


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 戦いのこと、神のこと、血の海になるかもしれない未来――そんな不安ばかり考えていたのに、今はそれらが、少しだけ遠く感じられる。


「……困りますよ、そんなこと言われたら」


 俺はそう呟くしかなかった、拒む理由は山ほどあるはずなのに、拒む言葉が見つらない。


 アイシアさんは小さく微笑み、俺の背中に額を預ける。


「困っても、いいじゃないですか」


 その温もりは、異形の身体にも、確かに伝わってきた、夜は静かで、嵐の前触れのように、不思議なほど穏やかだった。


「こんな気持ち、初めてです。クロウ・フォード家は決して他の人と結婚することはできませんから。この気持ちをぶつけるなんて、卑怯ですよね……」


 その言葉を聞き、俺は思わず息を呑んだ。

 なるほど……クロウ・フォード家というのは、血筋の都合上、近親婚でしか子供を残せない家系なのか。


 だからこそ、外の世界で普通に恋愛することはできず、感情を押し殺すしかない――そういう運命に縛られているのだ。

 だが、今、目の前の彼女はその制約を一瞬忘れたかのように、自分の感情をそのままぶつけてきた。


 ……なるほど、卑怯だろうな。

 でも、胸の奥に秘めていた想いを、抑えずにぶつけられる勇気。

 その純粋さは、確かに卑怯だと思えるほど、強烈で美しい。


 俺はただ黙って、その言葉を受け止めるしかなかった。


「今だけは……こうさせてください」


 その声は、かすかに震えていた。

 懇願するようでいて、逃げ場を残さないほど真っ直ぐな響きだった。


 俺は、何も言えなかった。

 拒む理由はいくらでも思い浮かぶのに、口に出せる言葉は一つも見つからない。ただ、その想いの重さを黙って受け止めることしかできなかった。


 背中越しに伝わる体温は、思っていたよりも温かくて、現実感があった。異形の身体でも、怪物の姿でも関係ないと言わんばかりに、彼女はそこに寄り添っている。


 夜は静かだった。

 遠くで風が鳴り、いつ始まるか分からない戦いの予感だけが、闇の向こうに漂っている。それでも、この一瞬だけは、血の匂いも、運命の重さも、すべてが遠のいていた。


 俺はただ、動かずにいた。

 壊さないように、踏み込まないように。

 この“今だけ”が、彼女にとって救いになるのなら、それでいい、そう思いながら。


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