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アルセリオンの神話  作者: エスケー
村騒乱編
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第9話:その後

 最初にそれを目にした瞬間、俺は本気で地獄を見たのだと思った。村に戻り、今後の対応を話し合うための作戦会議をしていた、ほんのその最中、突如として、空間を震わせるほどの膨大な(エネルギー)を感知した。


 嫌な予感に突き動かされるように空 を見上げる。

 すると、そこにあったのは常識を嘲笑うかのような光景だった。


 蒼く燃え盛る、馬鹿げた大きさの炎の槍。

 山よりもなお巨大で、空そのものを貫くように存在している。


 それだけなら、まだ良かった。

 だが次の瞬間、最悪の事実に気づく。


 その槍が、明確な殺意をもって、こちらへ向かってきている。


 村の方角だ。

 一直線に、迷いなく。


 理解した瞬間、全身の血が凍りついた。

 あれを喰らえば終わりだ。防ぐ術はない。逃げ場もない。


 みんな死ぬ。

 老いも、子供も、怪我人も、誰一人例外なく。


 会議室に漂っていた空気は一瞬で凍りつき、誰も言葉を発せず、ただ同じ空を見上げるしかなかった。

 迫り来る蒼炎の槍は、希望も未来もまとめて焼き払うために、確実に距離を詰めてきていた。


 流石に守りきれないと悟った俺は、咄嗟にアイシアとミレイユを庇った。

 他の人たちまでは守れない。そう判断した瞬間、俺は擬態を解き、二人を抱き込むようにして覆い被さる。


 突如として、空気を震わす轟音が辺り一帯に響き渡った。


 耳をつんざく爆発の衝撃波が大地を揺るがし、山肌を覆う樹々が悲鳴を上げて折れ、舞い上がる土煙が視界を遮る。その熱波はまるで生き物のように迫り、俺を構成する情報の粒子一つひとつに焼け付く痛みを刻み込む。


 逃げ場もなく、理性も感覚も次第に溶けていく中、俺は限界を超え、意識の縁から静かに滑り落ちる。痛みと炎の渦に身を委ねるように、俺の存在は徐々に薄れ、やがて深い暗闇の中に沈んでいった。





「起きてください、アルセリオンさん! お願い、目を開けて……!」


 必死さを押し殺しきれない声が、闇の底に沈みかけていた意識を強く叩いた。瞼の裏で鈍い光が弾け、重たいまぶたをこじ開けると、滲んだ視界の先にアイシアの顔があった。煤と汗で汚れながらも、その瞳だけは必死にこちらを映している。


「……っ、兄貴!!」


 次いで聞こえたのは、聞き慣れた少し荒っぽい声。首をわずかに動かすと、そこにはヴァルセリオンがいた。歯を食いしばり、安堵と興奮が入り混じったような表情で俺を見下ろしている。


 どうやら、生きている。そう理解した瞬間、全身に遅れて痛みが押し寄せ、喉からかすれた息が漏れた。


 ゆっくりと視線を巡らせる。崩れた瓦礫の隙間、焦げ跡の残る大地、その中に寄り添うように立つミレイユとアイシアの姿、そして、その少し離れた場所に、静かにこちらを見つめる人影があった。

 セインだ、椅子に座り銃を見ている。


 あの爆撃のあと――生き残ったのは、わずか五名だけだった。


 胸の奥に溜まった不安が、形になる前に口から零れ落ちる。


「……村は……村はどうなった?」


 自分でも驚くほど、声は掠れていた。答えを聞くのが怖い。それでも、聞かずにはいられなかった。ここに横たわり、息をしているという事実が、かえって現実を突きつけてくる。


 アイシアは一瞬だけ視線を伏せ、そして静かに首を横に振った。その仕草は、あまりにも穏やかで、だからこそ残酷だった。


「残念ながら……跡形もなく、消えていました」


 淡々とした声音。だが、その奥に押し殺された感情が滲んでいる。


「死体すら残らないほどの高温でした。地面も、建物も、すべて……焼き切られています」


 言葉が胸に突き刺さる。理解したくないのに、理解してしまう。あの蒼炎の槍を見た瞬間から、どこかで覚悟していたはずなのに。


 アイシアは一歩近づき、俺をまっすぐに見つめた。


「私が生きているのは、あなたのおかげです、アルセリオン。あの瞬間、迷いなく庇ってくれたから……」


 その言葉に、返す言葉が見つからなかった。守れた命は、ほんの僅か。守れなかったものの方が、あまりにも多すぎる、あの爆撃で残ったのは、俺たちだけ。


「……弟さんは?」


 その一言で、空気が僅かに揺れた。名前は確か――アルバス。白銀の髪を持つ青年で、彼女の弟であり、そして……夫でもあったはずだ。


 問いを向けられたアイシアは、ほんの一瞬だけ言葉を探すように唇を閉ざし、それから小さく首を振った。


「……分かりません」


 短い返答だった。あまりにも短く、あまりにも曖昧で、だからこそ胸に重くのしかかる。


 分からない――それは、情報がないという意味なのか。それとも、事実を口にする勇気がないだけなのか。あるいは、ほんの僅かに残った希望を、自分自身の手で握り潰したくないだけなのか。


 そのどれであっても、同じだった。


 名を呼べば、もう二度と返ってこないかもしれない。だが、名を呼ばなければ、まだどこかで生きているかもしれない”という可能性だけは残る。そんな希望の顕なのか、それとも──。


「死んだか生きてるかなんて話してる余裕、今の俺たちにあると思うか?

 この場所だって、いつ嗅ぎつけられるか分からねぇんだぞ。少しは状況を考えろよ。」


 セインの言葉は乱暴で、そこに怒気が混じっていた。だが、その言葉に反応したのは思いがけずミレイユだった。


「ちょっと、その言い方は無いでしょ!」


 怒りを露わにするミレイユに、セインは眉を顰め、声を荒げる。


「はぁ?じゃあどう言やいいんだよ。

 いいか、俺たちは生き残ったんじゃねぇ、たまたま運が良かっただけだ。

 そんな現実も理解できねぇ頭の悪さじゃ、その運もすぐ底を尽くして野垂れ死にだ。」


 セインは立ち上がり、その背中には、苛立ちと焦燥が入り混じった圧が漂う。荒れ狂う風のような緊張感が、辺りの空気を引き裂く。


「もう詰みだ。ここ一帯はヴァルメリア王国の勢力圏から外れてる、救援は期待できねぇ。

 完全に孤立してる、吸血鬼どもが嗅ぎつけて来るのも、時間の問題だ。」


 その言葉に、アイシアは冷静さを保ち、静かに諭す。


「落ち着きなさい、セインさん。

 状況を悲観的視点から見ても、得られるものはありません。

 むしろ思考が沈み、判断力を鈍らせるだけです。」


 しかしセインの目には苛立ちが滲み、冷静さは遠く彼方へ消え去っていた。


「俺はお前達とは違って楽観的じゃないんだよ、羨ましいぐらいだ。」


 その言葉の端々から、焦燥と緊張、そして必死に押さえ込もうとする絶望が滲み出ている。


「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、うるせぇな。少しは黙っとけよ、兄貴は疲れてるんだよ」


 低く、しかしはっきりとした声だった。

 それまで軽薄さすら感じさせていたヴァルセリオンの声音から、冗談の色は一切消えている。焦げた大地に立つその姿は、獣のように牙を剥き、仲間を守る本能だけで動いているようだった。


「なんだと?」


 セインが鋭く睨み返す。

 その視線は刃物のように冷たく、怒りと恐怖が混ざり合った危うい光を帯びていた。


「テメェ、俺が助けなかったら死んでたくせに、見殺しにした方が良かったなんて思わせんなよ」


 一歩、ヴァルセリオンが踏み出す。

 瓦礫を踏み砕く乾いた音が、静まり返った空間に不気味に響いた。


「俺は助けてくれなんて言ってねぇぞ」


 セインも一歩も引かない。

 その声は強がりで塗り固められていたが、内側では崩れかけた自尊心が軋みを上げているのが、痛いほど伝わってきた。


 二人の間に、見えない火花が散る。

 蒼炎とは比べ物にならないほど小さな衝突――だが、それはこの場に残された僅かな均衡を壊すには十分すぎた。


 ミレイユはその場で右往左往していた。焼け跡に残る熱と焦げ臭さ、張り詰めた空気に耐えきれず、小さな身体が行き場を失っているのが一目で分かる。大人でさえ精神を削られる惨状だ、ましてや子供にとってはあまりにも過酷すぎる現実だった。


「助けてくれなんて、一言も言ってねぇだと?」


 ヴァルセリオンの声が低く響く。怒りはもはや隠そうともしていない。


「どうせ死に際になれば縋るくせに。追い詰められりゃ、誰だってそうだ。俺がいなきゃ、お前はとっくに終わってた。つまりだ……」


 一拍置き、唇の端を歪める。


「俺が引き金を引いたところで、理屈の上じゃ何の問題もないってわけだ」


 その瞬間、ヴァルセリオンの拳が淡く光を帯びた。

 空気がわずかに震え、周囲の温度が一段階跳ね上がる。冗談でも威嚇でもない。本気だ。こいつは、本当に殺す気でいる。


「……よせ、ヴァルセリオン」


 俺の声は、思った以上に掠れていた。


「兄貴、だけど、こいつ──」


「俺の話、聞けねぇか?」


 強く、はっきりと言い切る。

 ヴァルセリオンの動きが、ほんの一瞬止まった。


「いいか、ここで争ったって何も生まれねぇ。敵が目の前にいるわけでもねぇのに、仲間同士で血を流してどうする」


 視線をセインへ向ける。

 憤りと恐怖がない交ぜになったその顔は、余裕を失い、追い詰められた獣のそれだった。


「セインが苛立ってるのは分かる。全部失って、生き残っちまったんだ。吐き出す場所がねぇのも理解できる」


 一呼吸置き、言葉を選ぶ。


「だがな、その鬱憤を俺たちにぶつけて、何が変わる?何か前に進めるか?残るのは不信と溝だけだ。それは、敵に背中を見せるのと同じだぞ」


 焼け落ちた地面を見渡す、ここにはもう、逃げ場も、守る壁もない。


「……一度、頭を冷やそう。今はそれが最優先だ。感情で動けば、次に死ぬのは間違いなく俺たちだ」


 沈黙が落ちる。


「……命拾いしたな」

「お前がな」


 吐き捨てるようにそう言い残し、セインは背を向けて歩き出した。焦げた大地を踏みしめる足音が、やけに乾いて耳に残る。止める気にも、声を掛ける余裕もなかった。俺は張り詰めていた力が一気に抜け、立ち上がりかけていた足をそのまま座り込ませた。


「ありがとうございます、アルセリオンさん」


 アイシアの声は静かで、柔らかかった。

 視線を上げると、あの惨状の中でも変わらない微笑みを浮かべている。


「別に、褒められることはしてない」


 本音だった。やったことといえば、最悪の選択肢を先延ばしにしただけだ。


「ふふ、そうですか? 私には出来ませんよ。やっぱり、お強いですね」


 そう言って、アイシアは小さく笑う。

 ――強い、か。


 胸の奥で、その言葉が空転した。

 たった一撃だ。俺は何も出来ず、意識を刈り取られ、気づけばこの有様だ。守れたのは、ほんの一部。村も、人も、未来も、まとめて焼き払われた。


 世界は、思っていた以上に広い。

 そして、思っていた以上に――理不尽だ。


 俺は自分なりに強いと思っていた。努力もした、修羅場も潜った。だが、それはただの井の中の話だったらしい。ザフィクロスのような存在を前にして、俺は“強者”ですらなかった。


「……はぁ」


 思わず、ため息が漏れる。


 技の術者を喰ったら、どれだけ強くなれるんだろうな。


 頭の片隅に浮かんだ考えに、口元が僅かに歪む。

 恐怖よりも、悔しさよりも、その先にある“可能性”が、胸をざわつかせた。


 楽しみで仕方ねぇ。

 この世界がどれだけ広く。

 どれだけ強者がいるのかその全部を、いつか喰らい尽くすために。


「アルセリオン、顔怖いよ?」


 小さな声で、ミレイユが不安げに覗き込む。その目には、心底からの恐怖と、まだ希望を捨てきれない光が混ざっていた。悪い癖だ、こういう時に顔を険しくすると、周囲まで沈ませてしまう。


「あぁ、悪い悪い。それで、これからどうする?」


 問いかけは自然に口をついて出た。結局のところ、今必要なのは行動だ。状況を俯瞰して考えても、セインですら明確な目標が無いからこそ、虚無感に支配されてあんな言動をしていたのだ。


 焦燥、苛立ち、絶望、感情の奔流が今の俺たちを押し潰さんとしている。


 正直、今の状況はまずい。いや、詰みレベルだ。


 敵の数も正確には分からない。能力も、強さも、戦術も不明。どこまで攻めてくるか、何を狙っているのか、その全てが霧の中だ。だが、それでも動かねばならない。立ち止まれば、確実に死が待つ。


「そうですね……リンデン王国に行きましょう。あそこなら、まだ可能性があります」


 静かだが芯の通った声で、アイシアはそう言った。その言葉には感情よりも、冷静な計算と覚悟が滲んでいる。


 リンデン王国、北インティウムにおける二大王国の一角。ヴァルメリア王国と並び立つ大国であり、少なくとも今のところ、吸血鬼の侵攻が及んでいない数少ない地域だ。


「吸血鬼の子達も、まだあそこには手を伸ばしていないはずです。人も多く、情報も集まる。何より……立て直す時間を稼げます」


 確かに、理にかなっている。今の俺たちに必要なのは、戦うことじゃない。生き延びること、そして備えることだ。敵は規格外、真正面から挑めば、次は確実に全滅する。


「リンデン王国なら、私にも……少し、伝手があります」


 その一言に、俺は思わずアイシアを見る。白い髪が揺れ、布で覆われたその目の奥に、過去と責任を背負った覚悟が垣間見えた。


「身分を隠す必要はありますが、匿ってくれる者、話を聞いてくれる者はいるはずです。少なくとも、今のように追われる立場からは脱せます」


 なるほどな。単なる避難先じゃない。情報、人脈、物資、そして時間、すべてを手に入れるための場所だ。


「悪くない……いや、今考え得る中で、最善だ」


 俺がそう答えると、ミレイユがほっとしたように胸を撫で下ろした。ヴァルセリオンも腕を組み、口元に薄く笑みを浮かべる。


「決まりだな。ここに居続ける理由はもう無い」


 焼け落ちた村、失われた居場所、そして圧倒的な暴力。それらから逃げるのではない――次に叩き潰すために、一度身を引くのだ。


「リンデン王国へ向かう。ここからが、仕切り直しだ」

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