第8話:総力戦
村長のクロウを先頭に、マーピー、クラウド、そして数名の騎士たちは、息を潜めながら周辺の探索に当たっていた。
焼け残った森の縁、抉れた大地、まだ熱を帯びた岩肌、そこかしこに、圧倒的な暴力が通り過ぎた痕跡が残されている。空気そのものが警戒を孕み、風の音さえ不自然に感じられた。
だが、奇妙なことに、敵影はあまりにもあっさりと見つかった。
隠れる気配がない。警戒する素振りすらない。まるで「ここにいるぞ」と言わんばかりに、敵地のど真ん中で悠然と腰を下ろし、堂々と眠っているのだ。
本来であれば、先遣として数名の吸血鬼が投入されるはずだった。
陽動、偵察、制圧――段階を踏むのが常道だ。だが、実際に現れたのは、たった一人。蒼炎の暴君ザフィクロス、その単独行動だった。
理解した瞬間、胸の奥に冷たい感情が落ちた。
これは油断ではない。慢心ですらない。
明確な意思を持った侮蔑だ。
お前たちに、これ以上の戦力は不要だ。
一人で十分だ。
そう告げられているに等しかった。
舐められている。
「……寝てるな。ふざけやがって……!」
低く唸るような声で吐き捨てたのはクラウドだった。拳を握り締め、今にも飛び出しそうなその背中からは、怒りが抑えきれず滲み出ている。
村長として、そして騎士として、守るべき村を蹂躙され、その張本人が敵地で昼寝同然、尊厳を踏みにじられたと感じないはずがなかった。
だが、その肩に静かに手が置かれる。
「落ち着け」
低く、しかし芯の通った声だった。
感情ではなく、現実を見据えた声音。
「奴は強い。生半可な一撃じゃ意味がない。確認されている能力は三つ“再生”。致命傷を与えても、時間さえあれば立ち上がる。“蒼炎”。数百……いや、千に届く熱量を持つ青い炎だ。そしてもう一つ、吸血鬼の本質……血を操る能力」
その言葉が落ちるたび、場の空気は重く沈んでいく。
倒せない敵ではない、だが簡単に倒れる敵ではない。その事実が、じわじわと全員の神経を締め付けていた。
目の前で眠るザフィクロスは、戦場を理解した上で余裕を誇示しているかのようだった。背中を晒し、警戒もせず、周囲の殺気すら楽しんでいるかのように。
「……アイシアさんから預かった。魔法道具だ。これがあれば、奴を確実に弱体化できる。
チャンスは――一度きりだ」
静かな声だったが、その言葉には揺るぎがなかった。
差し出されたのは『精霊の貢物』。結界式の魔法道具で、発動すれば術者を中心に精霊の加護が展開され、数時間にわたり効果を維持する。魔族、吸血鬼、妖怪――魔属性を宿す存在の力を根こそぎ削ぎ落とす、対異形特化の切り札。
「発動すれば、奴の再生も蒼炎も鈍る。完全には殺せなくとも、確実に“届く”状態にはなる」
その場にいる全員が息を呑んだ。
勝機が、初めて形を持った瞬間だった。
「……行くぞ。一気に仕掛ける」
空気が張り詰める。
剣が、槍が、弓が――静かに構えられていく。
「待て」
それを制したのはクラウドだった。
視線は眠るザフィクロスではなく、仲間の顔を一人ひとり見据えている。
「アルセリオンたちを待とう。別働隊だ。あいつらの戦力を加えれば、成功率は跳ね上がる」
理にかなった判断だった。
だが――
「待ってどうする?」
即座に返された声は、鋭く、迷いがなかった。
「ここで逃がしたら終わりだ。奴は一人で村を焼いた。準備が整うまで待ってくれるような相手じゃない。今が正念場だ、ここで決める!」
言葉は熱を帯び、周囲の心を煽る。
恐怖よりも、怒りよりも、「今やらねばならない」という焦燥が場を支配していく。
アルセリオンの真の力を知らない者たち――
彼らは、希望を“切り札”に求めた。
「……行くぞ」
誰かが剣を抜いた、それを合図に、次々と金属音が重なる、静かに眠る蒼炎の暴君を前に、
人間たちは覚悟を決め、踏み出していく。
結界が起動した瞬間、世界の色が一段、濃くなる。
淡くも眩い光が地を撫でるように広がり、空気の層そのものが軋む。風は止まり、音は削がれ、代わりに精霊たちの気配が満ちていった。
姿なき意思が、幾重にも重なり、編まれていく。光の糸が円環を描き、不可視の壁となって空間を封じる。そこはもはや自然ではなく、儀式の場だった。
巨大な岩の上で横たわっていたザフィクロスの周囲を、連合軍が静かに包囲する。足音は殺され、呼吸すら慎重に制御されている。
蒼炎の暴君は、まだ眠っている――はずだった。
「クク……随分と長い前座だったな」
閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。
燃えるような蒼が、結界の内側を見渡した。
「それで?俺を楽しませるための舞台装置は、もう整ったのか?」
その声だけで、空気が灼ける。
だが以前のような圧倒的熱量はない。精霊の結界が、確かに“噛み合って”いた。
「あぁ、全部お前の慈悲のおかげさ」
クロウが一歩、前に出る。
声は低く、鋭い。
「礼を言うよ。自分が死ぬステージを、指くわえて最前列で観覧してくれたんだからな」
剣が抜かれる。
澄んだ金属音が、張り詰めた空間を切り裂いた。
選ばれた者たち。
四村連合軍の中でも、数と経験を潜り抜けてきた精鋭のみが、この場に立っている。誰一人、後ろを見ない。
「行くぞ!」
号令と同時に、クロウが駆けた。
地を蹴り、迷いのない踏み込みから、鉄の剣が一直線に振るわれる。
「いいぞ、人間!」
ザフィクロスは立ち上がり、迎え撃つ。
結界の影響か、動きは重く、力の立ち上がりも鈍い。蒼炎は燻る程度に抑え込まれている。それでも――
「実にいい!」
その笑みは、歪みきっていた。
血と戦の気配を吸い込み、心底楽しそうに、蒼炎の暴君は笑った。
だが、どいつもこいつも惜しい連中だ。蒼天焔滅!!」
その宣告と同時に、世界が反転した。
蒼という色が、炎という概念を裏切りながら空間を侵食する。
熱ではなく、圧と破壊そのものが奔流となって広がり、結界の内側にいた騎士たちを等しく呑み込んだ。叫びは途中で焼き切られ、剣は振り上げられる前に溶け、肉体は影すら残さず灰へと還る。
精鋭と呼ばれた者たちが、ただの数呼吸で戦場から抹消されていった。
蒼炎が収束した後に立っていたのは、わずか三名。クラウド、マーピー、そしてクロウだけだった。
「ふふ……どうだ。いい力だろ?俺にピッタリだ!」
ザフィクロスは愉快そうに笑い、焼け焦げた大地を踏みしめる。その姿は、もはや災厄そのものだった。
「舐めるなぁ!!」
叫びと同時に、クラウドが駆け出す。恐怖を踏み潰すような踏み込みだった。
彼の剣に三つの属性が絡み合う。鋭く裂く風、燃え上がる炎、流動する水。それらを無理やり一つに束ねた、極めて不安定で、それゆえに凶悪な一撃。
「三属性攻性撃!!」
刃が閃き、空間が歪む、その一撃は確かに届いた。ザフィクロスの腕が切り裂かれ、蒼い血が宙を舞う。
「いい……いい一撃だった」
ザフィクロスは一歩も退かず、感嘆すら滲ませる。
「だが、それだけだ」
裂けた腕は、次の瞬間には蠢き始める。肉が盛り上がり、骨が再構築され、失われた形が元に戻っていく。それだけでは終わらない。
噴き出した血液が地に落ちる前に空中で凝固し、鋭利な槍へと変貌した。吸血鬼の種族能力、『血液操作』さらにその血槍に、蒼炎が絡みつく。
「蒼血穿槍!!」
ほとんど反応する暇すらなかった。
槍は一直線にクラウドの腹部を貫き、蒼炎が内部から爆ぜる。
身体は燃え、声は出ず、命は一瞬で掻き消えた。騎士団長は地に崩れることすら許されず、炎の中で形を失った。
「俺もまだいるぞ!!」
マーピーが吠え、剣を構えて突進する。その瞳に宿っていたのは、覚悟ではなく、せめて一矢報いようとする意地だった。
「うるせぇ。死ね」
ザフィクロスは、振り向きすらしない。
ただ指先を向け、蒼炎を放つ。
それは技ですらなかった。
意思に従っただけの、事務的な一撃。
マーピーは蒼炎に包まれ、抵抗する間もなく消え去った。そこに残ったのは、焼けた地面と、戦場に立ち尽くすクロウだけだった。
『蒼炎』を腕に纏わせ、ザフィクロスはゆっくりと一歩踏み出した、その青は炎でありながら、熱よりも先に“死”を連想させる色だった。
「……死にたくねぇか?」
低く、問いかけるような声。
クロウの喉が鳴る。
「は、はい……」
否定するという選択肢は、最初から存在しなかった。
「そうか……悪くねぇ」
ザフィクロスは口角を歪め、満足げに続ける。
「自分の力じゃ勝てねぇと悟った時、命惜しさに頭を下げられる。それもまた、生き延びるための“戦い方”だ。賢い選択だぜ」
クロウは力が抜け、尻もちをついた。
理解してしまったのだ。これは勝敗以前の差、戦いですらない、自分は最初から、相手の“敵”としてすら認識されていなかった。
「俺と……司法取引をしないか?」
「と、取引……?」
「あぁ。俺の眷属になれ。命は助けてやる」
淡々と、しかし逃げ道を塞ぐように言葉が続く。
「その代わり、最後の連中の居場所を教えろ。もう、飽きた」
意味は明白だった、ルクス村の在処。
そこにいる者すべてを、残らず殺すつもりなのだ。
だが、それで助かる命がある、クロウ自身の命が。
家族?仲間?命あっての物だ。失えば、何もかもが終わる。
「……わ、わかりました」
声は震えていたが、答えは即決だった。
「賢い子で助かった」
ザフィクロスは自らの指先を裂き、蒼く滲む血を垂らす、言葉にされるまでもなく、クロウは理解した。
舐めろ、という命令を。
恐怖と屈辱に喉を焼かれながら、クロウはその血に口をつけた。
瞬間、世界が反転する。
心臓が強く脈打ち、血流が爆ぜるように全身を駆け巡った。視界が澄み、音が鮮明になり、身体の奥底から力が湧き上がる。
「――っ!!」
「おぉ……」
ザフィクロスは目を細め、愉快そうに笑った。
「お前、適性があったのか。いい反応だ」
クロウは震える手を見つめる。
恐怖は消え、代わりに得体の知れない高揚感が満ちていた。
「来世は吸血鬼だな。」
「な、なんですか……この、万能感は……」
「はは、気に入ったか?」
ザフィクロスは背を向け、蒼炎を消す。
「さぁ教えろ。次の獲物の居場所をな」
クロウの喉が鳴った、もう後戻りはできない。
彼は生き延びるために、人であることを捨てたのだから。
「あ、はい。案内します」
クロウが恐る恐る立ち上がると、ザフィクロスは即座に手を振った。
「そんな、古代的なやり方はいい」
「こ、古代的……ですか?」
「あぁ。新しいやり方だ。改革していこう」
言葉とは裏腹に、その声はどこまでも冷たい。
「最後の連中がいる場所――指をさせ」
「ゆ、指ですか……?」
「大体でいい」
選択肢はなかった。
クロウは喉を鳴らし、震える指を伸ばす。
「わ、分かりました……えっと……あの辺、ですかね」
闇に沈む森の向こう、ルクス村の方角。
その瞬間だった。
ザフィクロスの背から、音もなく黒い羽根が展開する。
夜を裂くように浮遊し、視線は遥か彼方を射抜いた。
「――おぉ」
低く、愉悦を含んだ声。
「確かに……村がある」
蒼い光が、その瞳に宿る。
見えているのは建物だけではない。
人の気配、恐怖、祈り、逃げ場のない“生”そのもの。
「いいじゃねぇか……最後の舞台に相応しい」
ザフィクロスは空中で向きを変え、ゆっくりと前を指差した。
「行くぞ、宴の続きだ」
その言葉に、クロウの背筋を冷たいものが走った。
自分が指差した先で、何が起きるのか、もはや、考える意味すら残されていなかった。
ザフィクロスは嗤いながら、自らの血と蒼炎を絡め取り、一本の槍へと鍛え上げた。
赤黒い鮮血が脈打ち、そこへ蒼き焔が纏わりつくたび、空間そのものが軋み、熱と殺意が濃縮されていく。
「蒼血穿槍――最大火力!!」
投擲と同時に、槍は唸りを上げて空気を切り裂き、螺旋を描きながら飛翔する。
音が遅れて追いついた瞬間、村の上空で世界が爆ぜた。
轟音。
衝撃波。
そして、蒼炎。
爆発は山と見紛うほどの焔の塊となり、夜を昼へと塗り替える。
視界は一瞬で炎に呑み込まれ、大地も建物も、人の気配すらも、すべてが灼熱の奔流に溶かされていった。
逃げ場はない。
生き残るという概念そのものが、そこには存在しなかった。
ただ、燃え盛る炎の海が広がるのみ――。
「……なんという力……」
呆然と呟くクロウの声は、爆ぜる焔にかき消されそうだった。
「さぁ、行こうか」
ザフィクロスは何事もなかったかのように踵を返す。
背に黒き翼を広げ、崩れ落ちる光景すら振り返らず、クロウを伴って闇の彼方へと去っていく。
その後に残ったのは、静寂と、焼け焦げた世界だけだった。




