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アルセリオンの神話  作者: エスケー
村騒乱編
47/55

第8話:総力戦

 村長のクロウを先頭に、マーピー、クラウド、そして数名の騎士たちは、息を潜めながら周辺の探索に当たっていた。


 焼け残った森の縁、抉れた大地、まだ熱を帯びた岩肌、そこかしこに、圧倒的な暴力が通り過ぎた痕跡が残されている。空気そのものが警戒を孕み、風の音さえ不自然に感じられた。


 だが、奇妙なことに、敵影はあまりにもあっさりと見つかった。


 隠れる気配がない。警戒する素振りすらない。まるで「ここにいるぞ」と言わんばかりに、敵地のど真ん中で悠然と腰を下ろし、堂々と眠っているのだ。


 本来であれば、先遣として数名の吸血鬼が投入されるはずだった。


 陽動、偵察、制圧――段階を踏むのが常道だ。だが、実際に現れたのは、たった一人。蒼炎の暴君ザフィクロス、その単独行動だった。


 理解した瞬間、胸の奥に冷たい感情が落ちた。

 これは油断ではない。慢心ですらない。

 明確な意思を持った侮蔑だ。


 お前たちに、これ以上の戦力は不要だ。

 一人で十分だ。


 そう告げられているに等しかった。

 舐められている。


「……寝てるな。ふざけやがって……!」


 低く唸るような声で吐き捨てたのはクラウドだった。拳を握り締め、今にも飛び出しそうなその背中からは、怒りが抑えきれず滲み出ている。


 村長として、そして騎士として、守るべき村を蹂躙され、その張本人が敵地で昼寝同然、尊厳を踏みにじられたと感じないはずがなかった。


 だが、その肩に静かに手が置かれる。


「落ち着け」


 低く、しかし芯の通った声だった。

 感情ではなく、現実を見据えた声音。


「奴は強い。生半可な一撃じゃ意味がない。確認されている能力は三つ“再生”。致命傷を与えても、時間さえあれば立ち上がる。“蒼炎”。数百……いや、千に届く熱量を持つ青い炎だ。そしてもう一つ、吸血鬼の本質……血を操る能力」


 その言葉が落ちるたび、場の空気は重く沈んでいく。

 倒せない敵ではない、だが簡単に倒れる敵ではない。その事実が、じわじわと全員の神経を締め付けていた。


 目の前で眠るザフィクロスは、戦場を理解した上で余裕を誇示しているかのようだった。背中を晒し、警戒もせず、周囲の殺気すら楽しんでいるかのように。


「……アイシアさんから預かった。魔法道具(マジック・アイテム)だ。これがあれば、奴を確実に弱体化できる。

 チャンスは――一度きりだ」


 静かな声だったが、その言葉には揺るぎがなかった。

 差し出されたのは『精霊の貢物』。結界式の魔法道具で、発動すれば術者を中心に精霊の加護が展開され、数時間にわたり効果を維持する。魔族、吸血鬼、妖怪――魔属性を宿す存在の力を根こそぎ削ぎ落とす、対異形特化の切り札。


「発動すれば、奴の再生も蒼炎も鈍る。完全には殺せなくとも、確実に“届く”状態にはなる」


 その場にいる全員が息を呑んだ。

 勝機が、初めて形を持った瞬間だった。


「……行くぞ。一気に仕掛ける」


 空気が張り詰める。

 剣が、槍が、弓が――静かに構えられていく。


「待て」


 それを制したのはクラウドだった。

 視線は眠るザフィクロスではなく、仲間の顔を一人ひとり見据えている。


「アルセリオンたちを待とう。別働隊だ。あいつらの戦力を加えれば、成功率は跳ね上がる」


 理にかなった判断だった。

 だが――


「待ってどうする?」


 即座に返された声は、鋭く、迷いがなかった。


「ここで逃がしたら終わりだ。奴は一人で村を焼いた。準備が整うまで待ってくれるような相手じゃない。今が正念場だ、ここで決める!」


 言葉は熱を帯び、周囲の心を煽る。

 恐怖よりも、怒りよりも、「今やらねばならない」という焦燥が場を支配していく。


 アルセリオンの真の力を知らない者たち――

 彼らは、希望を“切り札”に求めた。


「……行くぞ」


 誰かが剣を抜いた、それを合図に、次々と金属音が重なる、静かに眠る蒼炎の暴君を前に、

 人間たちは覚悟を決め、踏み出していく。



 結界が起動した瞬間、世界の色が一段、濃くなる。

 淡くも眩い光が地を撫でるように広がり、空気の層そのものが軋む。風は止まり、音は削がれ、代わりに精霊たちの気配が満ちていった。

 姿なき意思が、幾重にも重なり、編まれていく。光の糸が円環を描き、不可視の壁となって空間を封じる。そこはもはや自然ではなく、儀式の場だった。


 巨大な岩の上で横たわっていたザフィクロスの周囲を、連合軍が静かに包囲する。足音は殺され、呼吸すら慎重に制御されている。

 蒼炎の暴君は、まだ眠っている――はずだった。


「クク……随分と長い前座だったな」


 閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。

 燃えるような蒼が、結界の内側を見渡した。


「それで?俺を楽しませるための舞台装置は、もう整ったのか?」


 その声だけで、空気が灼ける。

 だが以前のような圧倒的熱量はない。精霊の結界が、確かに“噛み合って”いた。


「あぁ、全部お前の慈悲(たいだ)のおかげさ」


 クロウが一歩、前に出る。

 声は低く、鋭い。


「礼を言うよ。自分が死ぬステージを、指くわえて最前列で観覧してくれたんだからな」


 剣が抜かれる。

 澄んだ金属音が、張り詰めた空間を切り裂いた。


 選ばれた者たち。

 四村連合軍の中でも、数と経験を潜り抜けてきた精鋭のみが、この場に立っている。誰一人、後ろを見ない。


「行くぞ!」


 号令と同時に、クロウが駆けた。

 地を蹴り、迷いのない踏み込みから、鉄の剣が一直線に振るわれる。


「いいぞ、人間!」


 ザフィクロスは立ち上がり、迎え撃つ。

 結界の影響か、動きは重く、力の立ち上がりも鈍い。蒼炎は燻る程度に抑え込まれている。それでも――


「実にいい!」


 その笑みは、歪みきっていた。

 血と戦の気配を吸い込み、心底楽しそうに、蒼炎の暴君は笑った。


 だが、どいつもこいつも惜しい連中だ。蒼天焔滅アズール・ヘヴン・インフェルノ!!」


 その宣告と同時に、世界が反転した。

 蒼という色が、炎という概念を裏切りながら空間を侵食する。


 熱ではなく、圧と破壊そのものが奔流となって広がり、結界の内側にいた騎士たちを等しく呑み込んだ。叫びは途中で焼き切られ、剣は振り上げられる前に溶け、肉体は影すら残さず灰へと還る。


 精鋭と呼ばれた者たちが、ただの数呼吸で戦場から抹消されていった。


 蒼炎が収束した後に立っていたのは、わずか三名。クラウド、マーピー、そしてクロウだけだった。


「ふふ……どうだ。いい力だろ?俺にピッタリだ!」


 ザフィクロスは愉快そうに笑い、焼け焦げた大地を踏みしめる。その姿は、もはや災厄そのものだった。


「舐めるなぁ!!」


 叫びと同時に、クラウドが駆け出す。恐怖を踏み潰すような踏み込みだった。


 彼の剣に三つの属性が絡み合う。鋭く裂く風、燃え上がる炎、流動する水。それらを無理やり一つに束ねた、極めて不安定で、それゆえに凶悪な一撃。


三属性攻性撃トリプル・アトリビュート!!」


 刃が閃き、空間が歪む、その一撃は確かに届いた。ザフィクロスの腕が切り裂かれ、蒼い血が宙を舞う。


「いい……いい一撃だった」


 ザフィクロスは一歩も退かず、感嘆すら滲ませる。


「だが、それだけだ」


 裂けた腕は、次の瞬間には蠢き始める。肉が盛り上がり、骨が再構築され、失われた形が元に戻っていく。それだけでは終わらない。


 噴き出した血液が地に落ちる前に空中で凝固し、鋭利な槍へと変貌した。吸血鬼の種族能力、『血液操作ブラッド・コントロール』さらにその血槍に、蒼炎が絡みつく。


蒼血穿槍アズール・ブラッド・ランス!!」


 ほとんど反応する暇すらなかった。

 槍は一直線にクラウドの腹部を貫き、蒼炎が内部から爆ぜる。


 身体は燃え、声は出ず、命は一瞬で掻き消えた。騎士団長は地に崩れることすら許されず、炎の中で形を失った。


「俺もまだいるぞ!!」


 マーピーが吠え、剣を構えて突進する。その瞳に宿っていたのは、覚悟ではなく、せめて一矢報いようとする意地だった。


「うるせぇ。死ね」


 ザフィクロスは、振り向きすらしない。

 ただ指先を向け、蒼炎を放つ。


 それは技ですらなかった。


 意思に従っただけの、事務的な一撃。


 マーピーは蒼炎に包まれ、抵抗する間もなく消え去った。そこに残ったのは、焼けた地面と、戦場に立ち尽くすクロウだけだった。


『蒼炎』を腕に纏わせ、ザフィクロスはゆっくりと一歩踏み出した、その青は炎でありながら、熱よりも先に“死”を連想させる色だった。


「……死にたくねぇか?」


 低く、問いかけるような声。

 クロウの喉が鳴る。


「は、はい……」


 否定するという選択肢は、最初から存在しなかった。


「そうか……悪くねぇ」


 ザフィクロスは口角を歪め、満足げに続ける。


「自分の力じゃ勝てねぇと悟った時、命惜しさに頭を下げられる。それもまた、生き延びるための“戦い方”だ。賢い選択だぜ」


 クロウは力が抜け、尻もちをついた。

 理解してしまったのだ。これは勝敗以前の差、戦いですらない、自分は最初から、相手の“敵”としてすら認識されていなかった。


「俺と……司法取引をしないか?」

「と、取引……?」

「あぁ。俺の眷属になれ。命は助けてやる」


 淡々と、しかし逃げ道を塞ぐように言葉が続く。


「その代わり、最後の連中の居場所を教えろ。もう、飽きた」


 意味は明白だった、ルクス村の在処。

 そこにいる者すべてを、残らず殺すつもりなのだ。


 だが、それで助かる命がある、クロウ自身の命が。


 家族?仲間?命あっての物だ。失えば、何もかもが終わる。


「……わ、わかりました」


 声は震えていたが、答えは即決だった。


「賢い子で助かった」


 ザフィクロスは自らの指先を裂き、蒼く滲む血を垂らす、言葉にされるまでもなく、クロウは理解した。

 舐めろ、という命令を。


 恐怖と屈辱に喉を焼かれながら、クロウはその血に口をつけた。


 瞬間、世界が反転する。


 心臓が強く脈打ち、血流が爆ぜるように全身を駆け巡った。視界が澄み、音が鮮明になり、身体の奥底から力が湧き上がる。


「――っ!!」

「おぉ……」


 ザフィクロスは目を細め、愉快そうに笑った。


「お前、適性があったのか。いい反応だ」


 クロウは震える手を見つめる。

 恐怖は消え、代わりに得体の知れない高揚感が満ちていた。


「来世は吸血鬼だな。」

「な、なんですか……この、万能感は……」

「はは、気に入ったか?」


 ザフィクロスは背を向け、蒼炎を消す。


「さぁ教えろ。次の獲物の居場所をな」


 クロウの喉が鳴った、もう後戻りはできない。

 彼は生き延びるために、人であることを捨てたのだから。


「あ、はい。案内します」


 クロウが恐る恐る立ち上がると、ザフィクロスは即座に手を振った。


「そんな、古代的なやり方はいい」


「こ、古代的……ですか?」


「あぁ。新しいやり方だ。改革していこう」


 言葉とは裏腹に、その声はどこまでも冷たい。


「最後の連中がいる場所――指をさせ」


「ゆ、指ですか……?」


「大体でいい」


 選択肢はなかった。

 クロウは喉を鳴らし、震える指を伸ばす。


「わ、分かりました……えっと……あの辺、ですかね」


 闇に沈む森の向こう、ルクス村の方角。

 その瞬間だった。


 ザフィクロスの背から、音もなく黒い羽根が展開する。

 夜を裂くように浮遊し、視線は遥か彼方を射抜いた。


「――おぉ」


 低く、愉悦を含んだ声。


「確かに……村がある」


 蒼い光が、その瞳に宿る。

 見えているのは建物だけではない。

 人の気配、恐怖、祈り、逃げ場のない“生”そのもの。


「いいじゃねぇか……最後の舞台に相応しい」


 ザフィクロスは空中で向きを変え、ゆっくりと前を指差した。


「行くぞ、宴の続きだ」


 その言葉に、クロウの背筋を冷たいものが走った。

 自分が指差した先で、何が起きるのか、もはや、考える意味すら残されていなかった。


 ザフィクロスは嗤いながら、自らの血と蒼炎を絡め取り、一本の槍へと鍛え上げた。

 赤黒い鮮血が脈打ち、そこへ蒼き焔が纏わりつくたび、空間そのものが軋み、熱と殺意が濃縮されていく。


蒼血穿槍アズール・ブラッド・ランス――最大火力!!」


 投擲と同時に、槍は唸りを上げて空気を切り裂き、螺旋を描きながら飛翔する。

 音が遅れて追いついた瞬間、村の上空で世界が爆ぜた。


 轟音。

 衝撃波。

 そして、蒼炎。


 爆発は山と見紛うほどの焔の塊となり、夜を昼へと塗り替える。

 視界は一瞬で炎に呑み込まれ、大地も建物も、人の気配すらも、すべてが灼熱の奔流に溶かされていった。


 逃げ場はない。

 生き残るという概念そのものが、そこには存在しなかった。

 ただ、燃え盛る炎の海が広がるのみ――。


「……なんという力……」


 呆然と呟くクロウの声は、爆ぜる焔にかき消されそうだった。


「さぁ、行こうか」


 ザフィクロスは何事もなかったかのように踵を返す。

 背に黒き翼を広げ、崩れ落ちる光景すら振り返らず、クロウを伴って闇の彼方へと去っていく。


 その後に残ったのは、静寂と、焼け焦げた世界だけだった。

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