第7話:恐怖のお知らせ
勝負は一瞬だった。
ザフィクロスが放った『蒼血炎支配』が、フォレタス村を覆い尽くし、炎と血の青が世界を塗り潰す。抵抗も悲鳴も、すべてが同時に焼き消える。たった一撃。
「貴様ァァァァ!」
セインは咆哮と共に剣を構え、駆け出した。胸奥に眠るスキルを解放し、気力を燃やして肉体を極限まで引き上げる。
「武技:高鳴り!!」
天より降り注ぐかのような剣閃。迷いなき一撃が、一直線にザフィクロスを捉える――はずだった。
「ほぉ……武技か。なるほどな、実に興味深い 源だ」
ザフィクロスは笑みすら浮かべ、落ち着いた声で続ける。
「武技を操る者と刃を交えるのは、これが初めてだ。いいだろう、お前は殺すには惜しい。生き延びろ、鍛えろ、もっと強くなれ」
彼は片手で、易々とセインの剣を持ち上げた。剣の柄を握るセインの身体ごと、宙に浮き上がる。
「そして再び――この俺の前に立ち塞がれ。その時こそ、真に血が滾る戦いになるだろう」
次の瞬間、ザフィクロスの蹴りが炸裂する。
衝撃と共に、セインは彼方へと吹き飛ばされた。
「お前が、俺に立ち塞がる資格を持つなら、生き残るだろう」
ザフィクロスは興味を失ったように視線を切り、ただ一人残された存在へと目を向ける、最後の一人、モルドへ。
「お前からは何も感じない。――つまらん、死ね」
冷え切った宣告だった。
「死ぬのはお前だ!」
モルドは叫び、剣を振り上げる。恐怖も絶望も押し殺し、ただ怒りだけを力に変えて――だが、その刹那。
ザフィクロスの指先がわずかに揺れた。
『蒼炎』
青く澄んだ炎が、音もなく咲く。
それは爆ぜることも、燃え広がることもない。ただ“在る”だけで、すべてを否定する。
剣は途中で溶け落ち、腕は形を失い、悲鳴すら発せぬままモルドの身体は蒼炎に呑まれた。肉は消え、骨は砕け、存在そのものが灰へと還る。
残ったのは、風に舞う微かな残滓だけだった。
ザフィクロスはそれを一瞥し、興味なさげに背を向ける。こうして、フォレタス村は、あまりにも呆気なく、この世界から消え去ったのだ。
♢♢♢
異変に気づいたのは、いつだっただろうか。
ルクス村の外れ――大地を揺さぶるような衝撃音が、重く、鈍く響いた。
ドーン、という嫌な音。
最初に反応したのはアイシアだった。
「……今のは? 何が起きたのですか!」
嫌な予感が胸を締めつける。俺たちは音のした方角へと駆け出した。
辿り着いた先で、俺たちは息を呑む。
そこにいたのは、セインだった。
血に濡れ、意識も朦朧としている。立っているのが奇跡のような状態だった。
「な……何があった……?」
返事はない。ただ、かすかな呼吸だけが生の証だった。
「本当に……何が起きたんですか……」
アイシアの声が震える。
「急いでください!治療室へ!今すぐ運びましょう!」
その場に重苦しい沈黙が落ちる、この怪我、ただ事ではない。
セインの傷は深刻だった。
全身に及ぶ火傷、骨折、内臓への衝撃――どれも致命傷になり得るものばかりだ。
だが、不思議なことに、彼の身体には事前に極限まで強化された痕跡が残っていた。
筋繊維は異常なほど活性化し、骨格も一時的に密度を増している。
まるで「死を覚悟した瞬間」に、限界を超えて自らを鍛え上げたかのようだった。
その無茶な強化が、かろうじて命を繋ぎ止めていた。
「……生きているのが、奇跡ですね」
治療師の言葉に、アイシアは静かに目を伏せる。
セインが目を覚ますまで、最低でも三日はかかる。
それが治療班の出した結論だった。
その間、何もせずに待つわけにはいかなかった。
その夜、アイシアを中心に、村の中枢を担う者たちが集められる。場所はルクス村の集会所、緊急会議だった。
議題は一つ。
セインをここまで追い詰めた存在と、消え去ったフォレタス村。
ルクス村の村長、そしてミストバイン村の村長――マーピー。さらにクロウフェン村の村長、クロウ。
三名に加え、各村の重役たちが円卓を囲み、重苦しい空気の中で会議は進められていた。
フォレタス村消滅、蒼炎を操る存在。
そして、瀕死で運び込まれたセイン。
一連の報告がすべて共有された後――
最初に沈黙を破ったのは、クロウフェン村の村長、クロウだった。
「……つまりだ」
クロウは肘を机につき、指を組む。
「フォレタス村は、ほぼ一瞬で消し飛ばされた。
敵は単独。しかもセインが全力を尽くしても、歯が立たなかった相手……」
低く、噛みしめるような声だった。
「冗談じゃない。そんな化け物が、この近辺をうろついているというだけで、
次に狙われるのがどこかは分からない」
視線が、自然とルクス村の村長へ、そしてマーピーへと移る。
「これはもう、一村の問題じゃねぇ。
互いに縄張りだ、因縁だなんて言ってる場合は、とっくに過ぎてる」
クロウは静かに息を吐き、はっきりと言い切った。
「三村で動くべきだ。
守りを固めるか、先に叩くかは別としてな。
だが何もしないって選択肢だけは、もう残っちゃいねぇ」
「して、勝てるのかね?」
重役のひとりが、慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「勝てる、勝てないの話ではないでしょう」
即座に返したのはアイシアだった。感情を抑えた声だが、その芯は硬い。
「戦わなければ死ぬ。ただ、それだけです」
その言葉に、室内の空気がさらに張り詰める。
アイシアは小さく息をつき、俺の頭に手を置いた。
毛並みに沿って、ゆっくりと撫でる。
今の俺は魔狼の姿をしている。
理由は単純だ、俺の本来の姿は異形種に分類されるらしく、ここで正体が露見すれば、無用な混乱を招く。最悪、敵味方の線引きすら崩れかねない。
だからこうして、擬態している。
撫でられながら、俺は黙って会議の様子を見つめていた、言葉を発さずとも分かる。
「アイシア殿、いつの間に犬を……まあ、些末なことだ」
クロウは腕を組み、重々しく言い切った。
「現状、我々に残された選択肢は一つしかない。戦うことだ。直ちに戦力を招集しろ」
ルクス村は、地図の端に追いやられたような、あまりにも目立たない場所にあった。山影に隠れ、街道からも外れ、価値ある資源も乏しい――その存在自体が、侵略者の視界から自然と零れ落ちるような土地だ。
そのおかげか、蒼炎の暴君ザフィクロスの襲撃は、皮肉にもルクス村だけを避ける形となった。
一方で、他の村々は無慈悲に蹂躙された。
蒼炎が降り注ぎ、家々は焼き尽くされ、畑は灰と化し、かつて人の営みがあった痕跡は、焦土として刻み込まれただけだった。夜空は赤く染まり、遠くからでも炎柱が立ち上るのが見えたほどだ。
だが、完全な悲劇ではなかった。
異変を察知した村人たちが、次々とルクス村へと逃げ込んでいたのだ。山道を越え、森を抜け、時には怪我人を背負いながら、それでも彼らはここに辿り着いた。その結果、家や土地を失った者は多くとも、命を落とした者の数は、奇跡的なほど少なかった。
今やルクス村には、元の人口を遥かに超える人々が身を寄せ合っている。狭い家屋、足りない食料、不安に満ちた夜それでも、誰もが理解していた。
ここが、まだ生きていられる場所であることを。
ルクス村は、もはやただの一村ではない。
国にも属さず、軍にも守られず、それでも人々を受け入れ続ける、最後の逃げ場。
「水はいかがですか?」
そう声をかけながら、怯えた様子のまま、身を縮めるようにして水を差し出している。逃げ延びてきた人々の視線は落ち着きなく揺れ、指先は震え、喉は渇いているはずなのに、すぐには手を伸ばせない者も多かった。恐怖が、まだ体から抜けきっていないのだ。
ミレイユは俺のすぐ傍にいた。いつもより口数が少なく、服の裾を掴む指に力がこもっている。不安が、そのまま形になったようだった。
アイシアもまた、車椅子を進めながら一人ひとりに水を配っている。表情は穏やかだが、その動きには迷いがない。今やれることを、淡々と、しかし確かにやっている。
その空気を切り裂くように、聞き慣れた声が響いた。
「兄貴、ワクワクしてきましたね!敵は一人だって言うのに、ここまで追い詰められるなんて、過去一っすよ!」
振り向くと、そこにはヴァルセリオンがいた。相変わらずの調子で、危機感よりも高揚が勝っている顔だ。
「馬鹿野郎、不謹慎だろ。死人も出てるんだ、楽しむな」
俺がそう言うと、ヴァルセリオンは一瞬だけ肩をすくめたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「へへ、分かってますって。でもよ、こういう極限じゃないと、燃えねぇってのも本音でして」
こいつって奴は、本当にどうしようもない。
楽観的というか、危機の中ですら前向きというか、いや、単純に戦いが好きなだけか。
まぁ、それでも――どうしてだろうな。
俺自身も、ほんの少しだけ、ほんのわずかだが胸の奥がざわついている。恐怖とは違う。焦燥でもない。名付けるなら、高揚に近い何かだ。理由は分からない。ただ一つ言えるのは、ここまで追い詰められたのは本当に初めてだということだ。退路も余裕も削り取られ、残されたのは立ち向かうという選択肢だけ。その状況が、俺の中の何かを叩き起こしているのかもしれない。
「アルセリオン、顔怖いよ?」
不意に、ミレイユがこちらを見上げてそう言った。
はっとして自分の顔に意識を向ける。無意識のうちに、随分と険しい表情をしていたらしい。
「あぁ、悪い悪い」
そう言って、意識的に口角を上げる。作り物の笑顔かもしれないが、ミレイユにはそれで十分だったよう
だ。少し安心したように、彼女は小さく頷いたのだった。




