第6話:均衡する
俺は今、四人の強者を同時に相手取っている。
一対一ならどうとでもなる、だが、これは別だ。役者が揃いすぎている。
まず、フロウィン。
かつて脅威だった氷帝は、もはや戦線の外に近い。
氷刃、氷壁、氷結領、次々と放たれる冷気の奔流は、俺の身体に触れた瞬間、意味を失う。
すでに氷の情報は俺の中に取り込まれ、解析され、無効化された。
フロウィン自身もそれを理解しているのだろう。攻撃のキレは鈍り、霧の揺らぎに焦りが滲んでいる。
厄介なのは、腐森王:ヴァル=ロトだ。大地そのものを操る存在。
木々が蠢き、根が地中から飛び出し、枝が刃となって襲いかかる。それだけではない。
ヴァルは自身の分身体を次々と生み出し、森の至る所に“自分”を配置する。
どれが本体か、そもそも本体という概念が存在するのかすら曖昧だ。攻撃を叩き込んでも、腐敗と菌糸が蠢き、別の場所から再生してくる。
持久戦になれば、確実に不利、まさに森そのものが敵だ。
そして、夜喰らい:ミゼル。
理屈も戦術もない。あるのは純粋な暴力だけ。
すでに完全に凶暴化し、獣の姿へと変貌している。
影を引き裂き、地面を蹴り砕き、重い一撃を叩き込んでくる。単純な物理攻撃、だが、その一撃一撃が重い。直撃すれば、こちらも無傷では済まない。
スピード、膂力、殺意。その全てが研ぎ澄まされている。
だが、一番不気味なのは、目の前で静かに佇んでいる“それ”だ。
黒い服装。
歪んだ仮面。
性別は判別できないが、声色からして男だろう。
概念歪曲者:イオ=ラズ。
こいつだけは、動かない。
攻撃も、防御も、指示すら出していない。
ただ、そこに“いる”。
それが、逆に恐ろしい。
まぁ、いいか。
あいつが動かないなら、それはそれで好都合だ。
「いい加減、鬱陶しいぞ!」
俺は狙いを定め、フロウィンへ向けて**『毒液生成』を解放した。
空中で膨張した毒は霧状に拡散し、触れたものの“内部”から侵す、純然たる属性攻撃。
物理無効だろうが関係ない。耐性の薄い霊魔にとっては、紛れもなく致命打**――
――の、はずだった。
「ふん!」
割り込むように、地面が隆起する。
腐敗した巨木が軋む音を立て、ヴァル=ロトが前面に躍り出た。
「俺は状態異常耐性を保有している!
そんな、ぬるいものが効くか!」
毒霧がヴァルの身体を包み込む。
だが、腐森王の体表を覆う菌糸が蠢き、毒を吸収、分解、そして――土へ還す。
腐敗と分解の王。
毒や酸は、こいつにとって“餌”に等しい。
「チッ……なるほどな」
舌打ちする俺に、ヴァルは嗤った。
枝が刃となり、無数に展開される。
「学べ、小僧。
この樹海で“耐性”を舐めるな」
次の瞬間、
地面から無数の木槍が突き上がり、
同時に背後の影が蠢いた。
「――遅い」
ミゼルだ。
闇を裂いて飛び出した獣の爪が、俺の側面を掠める。装甲が軋み、衝撃が内側にまで響く。
「ははっ!いい反応だァ!」
獣の咆哮、暴力の塊が、息をする暇すら与えない。
その上空では、
フロウィンが距離を取りながら、冷たい視線をこちらに向けている、氷は通じないと分かっていながら、霧と浮遊で戦場を支配し続けるつもりだ。
三方向同時攻撃。
本当に厄介だ。
腐森王ヴァルは分身体を無尽蔵に生み出し、数で圧をかけてくる、一体を潰せば、背後からもう二体。
攻めれば再生し、守れば包囲される、このままでは、いつか必ず隙を突かれる、どこかで、勝負を仕掛けないといけない。
そう思った、その時だった。
……あれ?
視界の端で、何かが繋がった、敵の動き、間合い、攻撃の癖。完全ではないが、次に何が来るかが――分かる。
霧に包まれていた情報が、一本ずつ糸となり、
絡まりながらも、ほどけていく。
まるで、複雑に絡まった紐を指先でなぞるだけで、構造が理解できるような感覚。
(……読めてる)
俺は情報生命体だ、見る、感じる、覚えるだけじゃない、情報を統合し、意味へ昇華できる存在。
脳裏に、使わずにいた能力が浮かぶ。
『新情報』
情報と情報を融合し、まだ存在しない“新しい答え”を生み出す能力、だが、難易度が高すぎて、今まで使ってこなかった。失敗すれば、素材にしたスキル情報は消滅する、取り返しは、つかない。
(……でも)
今なら分かる、今なら、いける。
俺は深く息を吸い、体内に保存されたスキル情報を引きずり出す。
『麻痺』
『腐食』
『毒』
『酸』
共存できないはずの四種の状態異常。だが、無理やり、混ぜる。
情報が軋み、暴れ、悲鳴を上げる、頭の奥が焼けるように痛む、それでも、構造は崩れない。
『新情報』発動。
統合開始、生成完了。
『四種状態』
麻痺・腐食・毒・酸。
四つの異常を“順番”ではなく、
同時に叩き込む強化スキル。
俺はその情報を、拳へと付与する。
白い拳の表面に、
紫、黒、緑、鈍い銀の光が重なり合い、脈動する。
触れた瞬間、神経を止め、装甲を溶かし、内部を侵し、存在を削る、四重状態異常攻撃。
「……いいだろ」
俺は拳を握りしめ、
ヴァルの分身体群を真正面から見据えた。
「次は、俺の番だ」
白い獣が、一歩、前へ出る。
その動きに無駄はなく、感情の揺れもない。
ただ、決定事項を実行するための前進だった。
「俺に毒の攻撃は効かぬぞ」
ヴァル=ロトはそう言い切る。
それは虚勢ではない。
腐敗・分解・再生を司る存在としての、事実に基づいた判断だ。
毒は分解され、酸は中和され、
状態異常は再生によって上書きされる。
「……だろうな」
俺は淡々と応じる。
否定も、挑発もない。
「毒に見せかけているだけだ」
拳を構える。
その表面には、目に見えない情報が幾重にも重なっている。
単一の属性ではない。
複数の異常情報を、無理やり束ねた歪な塊。
次の瞬間、拳がヴァルへと衝突した。
衝撃音は遅れて響いた。
空気が弾け、地面がわずかに沈む。
だが、破壊が起きたのは物理層ではない。
「……ご、これは……」
ヴァルの声が途切れる。
樹皮の色が変質し、菌糸の動きが鈍る。
異常が、同時に侵入した。
『麻痺』
判断と再生を司る伝達経路を遮断。
『腐食』
菌糸ネットワークを内部から書き換え、自己修復の基盤を侵害。
『毒』
制御系にノイズを流し込み、統制を崩壊させる。
『酸』
外殻と内部構造を溶解し、形状維持を不可能にする。
四種の状態異常が、順序を無視して重なり合い、
耐性が反応する前に、すべてが成立した。
ヴァルの再生が、止まる。
増殖も、分裂も、行われない。
それは「効いた」のではない。
前提条件が破壊されただけだ。
同時に、俺は内部へと意識を伸ばす。
菌糸を通じた情報伝達。
再生のための分岐構造。
分身体生成のアルゴリズム。
ヴァル=ロトのDNA情報を、抵抗を許さず、取得する。
解析完了。
保存完了。
これで条件は揃った。
『対情報攻撃』
再生という概念そのものを、情報レベルで破壊可能。
ヴァルは、その場に膝をついた。倒れてはいない。
だが、立ち上がる意味も失っている。
勝負は、すでについていた。
それを宣言する必要すらないほど、結果は明白だった。
俺はヴァル=ロトの前に立ち、何の感慨もなく、その存在を喰らった。抵抗はない。再生もない。かつて樹海そのものと同化していたはずの王は、ただの捕食対象へと成り下がっている。
樹皮が砕け、菌糸が断ち切られ、腐敗と再生の情報が、咀嚼とともに失われていく。乾いた音が規則正しく響く。ボリ、ボリ、と。
周囲にいる者たちは誰一人、動こうとしない。止める理由も、止める力もない。ただ、仲間だった存在が、淡々と食われていく光景を見つめているだけだ。
その視線には恐怖もあるが、それ以上に理解が含まれている。逆らえば同じ末路を辿る。そういう単純な結論に、全員が辿り着いていた。
咀嚼を続けながら、俺は冷静に評価する。情報の密度が高い。
再生と腐敗が複雑に絡み合った構造は、噛むたびに別の層を見せる。
単なる力の塊ではない。長い時間をかけて環境と融合し、積み上げられてきた強さだ。それが、味としてはっきりと分かる。
やはり、いい。
強い存在ほど、内部に蓄えた情報が濃く、価値がある。そして、美味い。それ以上でも、それ以下でもない。
「この化け物がぁぁぁ!」
ミゼルが吼え、地を蹴る。
恐怖を振り払うために声を張り上げ、理性を押し潰し、ただの暴力へと身を委ねた突進だった。獣としての完成度は高い。速度、質量、殺意、そのどれもが十分だ。だが、それはあくまで“届けば”の話に過ぎない。
――同時に、俺の内側で淡々と処理が進む。
『スキルを獲得』
『分身体』:源を消費し、自己と同質の分身体を生成可能。
『朽樹支配』:周囲の自然物――木、草、落ち葉、土壌をゆっくりと腐敗・変質させ、菌類および植物を活性化させる領域支配能力。
なるほど、分身体は実用性が高い。
状況を選ばず、消耗戦や索敵、囮にも使える。朽樹支配は場面依存だが、地形が噛み合えば十分に脅威になる。腐敗と活性化を同時に扱えるのは、制圧向きの能力だ。
評価を終える頃には、ミゼルの攻撃が届いている。
爪が振るわれ、牙が迫る。だが俺はそれを片手で受け止め、流し、いなす。
力をぶつける必要はない。軌道をずらし、重心を崩し、攻撃を空へ逃がす。それだけで十分だ。
それでもミゼルは止まらない。
恐怖を怒りで塗り潰し、理性を切り捨て、何度も何度も突っ込んでくる。その動きは荒く、速いが、すでに洗練を失っている。力任せの連打は脅威ではあるが、読み切れないものではない。
……流石に、しつこいな。
俺は一度だけ息を整え、意識を切り替える。
少しだけ、気合いを入れることにした。
『呪飲』を発動。
五鬼たちから奪い取った能力。
対象に宿る怨念、呪い、負の感情を“飲み込み”、自らの糧へと変換する異質なスキルだ。
呪飲によって吸い上げた負の感情は、静かに力へと転化されていく。
身体の内側で源の密度が一段階上がるのが分かる。過剰でも不足でもない、ちょうどいい強化だ。
次の瞬間、俺は踏み込んだ。
狙いは正確に、無駄なく――みぞおち。
拳が沈み込み、衝撃が内部へと抜ける。吹き飛ばすほどの力は使っていない。逃がさないためだ。
同時に、触手を伸ばす。
影のように地を這い、空を裂き、ミゼルの四肢と胴を絡め取って固定する。力の逃げ場はない。拘束は完全だ。
「――ッ」
声にならない音だけが漏れる。
抵抗はない。怒りも恐怖も、すでに呪飲によって削ぎ落とされている。
俺はそのまま、勢いを止めずに喰らった。
闇を栄養としてきた肉体は、思った以上に濃い。
夜の気配、月光に同調する情報、影を渡るための構造。咀嚼するたびに、それらが崩れ、俺の内側へと吸収されていく。
処理は即座に終わる。
『スキルを獲得しました:月光・・・夜間、または月光下において、身体能力および源の出力が上昇。』
なるほど、と短く納得する。
樹海の夜で強かった理由が、これではっきりした。さて、残るのは二つ。
氷帝フロウィンと、概念歪曲者イオ・ラズ。
だが、実質的に数える必要があるのは一人だけだ。
フロウィンはもはや脅威ではない。氷属性はすでに解析し、完全に無効化している。力の規模も把握済みで、今の俺に届くものではない。戦力としては、場に立っているだけの存在に近い。
問題は、イオ・ラズ。
距離は近い。視界にも入っている。
それでも、奴は動かない。
戦闘中であるにもかかわらず、呼吸すら乱れず、殺気も波立たせない。ただ、そこに“在る”。
攻撃の予兆も、退く気配もない。まるで、この戦場そのものを観測しているかのようだ。
不自然だ、これほどの混乱と破壊の中で、何もしないという選択自体が、すでに行動と言える。
力を溜めている様子はない。だが、油断も見せない、「まだ条件が揃っていない」とでも言うように、沈黙を保っている。
「……ッチ!こんな相手がいて勝てる訳ねぇだろ!」
吐き捨てるように叫び、フロウィンは背を向けた。
逃走。判断としては正しい。氷は通じず、数値も拮抗どころか劣勢。生存を最優先に据えれば、あれ以上場に留まる理由はない。
俺が踏み込み、仕留めに移ろうとした、その瞬間だった。
視界の端。
それまで“存在していないかのようだった影”が、わずかに揺れた。
――イオ・ラズ。
今まで一切の行動を見せず、沈黙を貫いていた概念歪曲者。
彼は、追うでもなく、構えるでもなく、ただ一歩、位置をずらしただけだった。
次の瞬間。
ぐちゃり、と嫌な音がした。
フロウィンの首が、消しもぎ取られていた。
切断ではない。破壊でもない。
「首という概念」が、途中から存在しなかったかのように消失している。
血は噴き出さない、断面もない、頭部と胴体が、理由も過程もなく分離し、それぞれが別の物体として地面に落ちただけだ。
「食え」
その一言と共に、イオ・ラズはフロウィンの亡骸をこちらへと滑らせた。
投げた、という動作ですらない。因果の上流から“配置し直した”だけのように、死体は俺の足元に転がっていた。
首を失った躯体。
だが、源はまだ濃い。氷帝として蓄えた概念と経験が、完全には霧散していない。
「……何がしたい?」
思わず、そう問いかけていた。
警戒でも挑発でもない、純粋な疑問だった。
イオ・ラズは静かに答える。
「今のお前じゃ、俺には勝てない。食え」
声に抑揚はない、侮蔑も、嘲笑も、慈悲すら含まれていない、ただの事実を、事実として告げているだけだ。
フロウィンは、そのための餌、俺は、その餌を食う側。
「……傲慢な野郎だ」
呟きながらも、俺は躯体に手を伸ばす、拒否する理由はない、ここで意地を張るほど、俺は綺麗な存在じゃない。
顎を開き、牙を沈める、氷の概念が、舌の上で砕け、喉を落ちていく、冷たさはない。あるのは情報と経験、敗北の記録。
イオ・ラズは、それを無言で見ていた。
評価するでも、警戒するでもない。
ただ、進行状況を確認する観測者の目で。
『氷操作』を獲得した。
体内を巡る情報が再構築され、氷という概念が“外部の力”ではなく“自前の選択肢”として定着する。生成、変質、制御。攻撃でも防御でもない、ただの操作権限。氷帝フロウィンが王座と共に失ったものが、今は俺の内側で静かに待機している。
「さぁ、始めようか」
言葉は自然と漏れた。宣戦布告というより、確認に近い。自分自身への合図だ。
イオ・ラズは動かない。だが、世界の方が先に反応した。
樹海最後の戦いだ。




