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アルセリオンの神話  作者: エスケー
樹海編
37/58

第6話:均衡する

 俺は今、四人の強者を同時に相手取っている。

 一対一ならどうとでもなる、だが、これは別だ。役者が揃いすぎている。


 まず、フロウィン。

 かつて脅威だった氷帝は、もはや戦線の外に近い。

 氷刃、氷壁、氷結領、次々と放たれる冷気の奔流は、俺の身体に触れた瞬間、意味を失う。

 すでに氷の情報は俺の中に取り込まれ、解析され、無効化された。

 フロウィン自身もそれを理解しているのだろう。攻撃のキレは鈍り、霧の揺らぎに焦りが滲んでいる。


 厄介なのは、腐森王(ふしんおう):ヴァル=ロトだ。大地そのものを操る存在。

 木々が蠢き、根が地中から飛び出し、枝が刃となって襲いかかる。それだけではない。

 ヴァルは自身の分身体を次々と生み出し、森の至る所に“自分”を配置する。

 どれが本体か、そもそも本体という概念が存在するのかすら曖昧だ。攻撃を叩き込んでも、腐敗と菌糸が蠢き、別の場所から再生してくる。

 持久戦になれば、確実に不利、まさに森そのものが敵だ。


 そして、夜喰らい(ナイトグラトン):ミゼル。

 理屈も戦術もない。あるのは純粋な暴力だけ。

 すでに完全に凶暴化し、獣の姿へと変貌している。

 影を引き裂き、地面を蹴り砕き、重い一撃を叩き込んでくる。単純な物理攻撃、だが、その一撃一撃が重い。直撃すれば、こちらも無傷では済まない。

 スピード、膂力、殺意。その全てが研ぎ澄まされている。


 だが、一番不気味なのは、目の前で静かに佇んでいる“それ”だ。


 黒い服装。

 歪んだ仮面。

 性別は判別できないが、声色からして男だろう。

 概念歪曲者(コンセプト・ベンダー):イオ=ラズ。


 こいつだけは、動かない。

 攻撃も、防御も、指示すら出していない。

 ただ、そこに“いる”。

 それが、逆に恐ろしい。


 まぁ、いいか。

 あいつが動かないなら、それはそれで好都合だ。


「いい加減、鬱陶しいぞ!」


 俺は狙いを定め、フロウィンへ向けて**『毒液生成』を解放した。

 空中で膨張した毒は霧状に拡散し、触れたものの“内部”から侵す、純然たる属性攻撃。

 物理無効だろうが関係ない。耐性の薄い霊魔にとっては、紛れもなく致命打**――


 ――の、はずだった。


「ふん!」


 割り込むように、地面が隆起する。

 腐敗した巨木が軋む音を立て、ヴァル=ロトが前面に躍り出た。


「俺は状態異常耐性を保有している!

 そんな、ぬるいものが効くか!」


 毒霧がヴァルの身体を包み込む。

 だが、腐森王の体表を覆う菌糸が蠢き、毒を吸収、分解、そして――土へ還す。

 腐敗と分解の王。

 毒や酸は、こいつにとって“餌”に等しい。


「チッ……なるほどな」


 舌打ちする俺に、ヴァルは嗤った。

 枝が刃となり、無数に展開される。


「学べ、小僧。

 この樹海で“耐性”を舐めるな」


 次の瞬間、

 地面から無数の木槍が突き上がり、

 同時に背後の影が蠢いた。


「――遅い」


 ミゼルだ。

 闇を裂いて飛び出した獣の爪が、俺の側面を掠める。装甲が軋み、衝撃が内側にまで響く。


「ははっ!いい反応だァ!」


 獣の咆哮、暴力の塊が、息をする暇すら与えない。


 その上空では、

 フロウィンが距離を取りながら、冷たい視線をこちらに向けている、氷は通じないと分かっていながら、霧と浮遊で戦場を支配し続けるつもりだ。


 三方向同時攻撃。


 本当に厄介だ。

 腐森王ヴァルは分身体を無尽蔵に生み出し、数で圧をかけてくる、一体を潰せば、背後からもう二体。

 攻めれば再生し、守れば包囲される、このままでは、いつか必ず隙を突かれる、どこかで、勝負を仕掛けないといけない。


 そう思った、その時だった。


 ……あれ?


 視界の端で、何かが繋がった、敵の動き、間合い、攻撃の癖。完全ではないが、次に何が来るかが――分かる。


 霧に包まれていた情報が、一本ずつ糸となり、

 絡まりながらも、ほどけていく。


 まるで、複雑に絡まった紐を指先でなぞるだけで、構造が理解できるような感覚。


(……読めてる)


 俺は情報生命体だ、見る、感じる、覚えるだけじゃない、情報を統合し、意味へ昇華できる存在。


 脳裏に、使わずにいた能力が浮かぶ。


 『新情報(ニューギット)


 情報と情報を融合し、まだ存在しない“新しい答え”を生み出す能力、だが、難易度が高すぎて、今まで使ってこなかった。失敗すれば、素材にしたスキル情報は消滅する、取り返しは、つかない。


(……でも)


 今なら分かる、今なら、いける。


 俺は深く息を吸い、体内に保存されたスキル情報を引きずり出す。


『麻痺』

『腐食』

『毒』

『酸』


 共存できないはずの四種の状態異常。だが、無理やり、混ぜる。


 情報が軋み、暴れ、悲鳴を上げる、頭の奥が焼けるように痛む、それでも、構造は崩れない。


新情報(ニューギット)』発動。


 統合開始、生成完了。


四種状態(フォーステイト)


 麻痺・腐食・毒・酸。

 四つの異常を“順番”ではなく、

 同時に叩き込む強化スキル。


 俺はその情報を、拳へと付与する。


 白い拳の表面に、

 紫、黒、緑、鈍い銀の光が重なり合い、脈動する。


 触れた瞬間、神経を止め、装甲を溶かし、内部を侵し、存在を削る、四重状態異常攻撃。


「……いいだろ」


 俺は拳を握りしめ、

 ヴァルの分身体群を真正面から見据えた。


「次は、俺の番だ」


 白い獣が、一歩、前へ出る。

 その動きに無駄はなく、感情の揺れもない。

 ただ、決定事項を実行するための前進だった。


「俺に毒の攻撃は効かぬぞ」


 ヴァル=ロトはそう言い切る。

 それは虚勢ではない。

 腐敗・分解・再生を司る存在としての、事実に基づいた判断だ。

 毒は分解され、酸は中和され、

 状態異常は再生によって上書きされる。


「……だろうな」


 俺は淡々と応じる。

 否定も、挑発もない。


「毒に見せかけているだけだ」


 拳を構える。

 その表面には、目に見えない情報が幾重にも重なっている。

 単一の属性ではない。

 複数の異常情報を、無理やり束ねた歪な塊。


 次の瞬間、拳がヴァルへと衝突した。


 衝撃音は遅れて響いた。

 空気が弾け、地面がわずかに沈む。

 だが、破壊が起きたのは物理層ではない。


「……ご、これは……」


 ヴァルの声が途切れる。

 樹皮の色が変質し、菌糸の動きが鈍る。

 異常が、同時に侵入した。


『麻痺』

 判断と再生を司る伝達経路を遮断。


『腐食』

 菌糸ネットワークを内部から書き換え、自己修復の基盤を侵害。


『毒』

 制御系にノイズを流し込み、統制を崩壊させる。


『酸』

 外殻と内部構造を溶解し、形状維持を不可能にする。


 四種の状態異常が、順序を無視して重なり合い、

 耐性が反応する前に、すべてが成立した。


 ヴァルの再生が、止まる。

 増殖も、分裂も、行われない。

 それは「効いた」のではない。

 前提条件が破壊されただけだ。


 同時に、俺は内部へと意識を伸ばす。


 菌糸を通じた情報伝達。

 再生のための分岐構造。

 分身体生成のアルゴリズム。

 ヴァル=ロトのDNA情報を、抵抗を許さず、取得する。


 解析完了。

 保存完了。


 これで条件は揃った。


対情報攻撃ブレイク・インフォクリプション

 再生という概念そのものを、情報レベルで破壊可能。


 ヴァルは、その場に膝をついた。倒れてはいない。

 だが、立ち上がる意味も失っている。


 勝負は、すでについていた。

 それを宣言する必要すらないほど、結果は明白だった。


 俺はヴァル=ロトの前に立ち、何の感慨もなく、その存在を喰らった。抵抗はない。再生もない。かつて樹海そのものと同化していたはずの王は、ただの捕食対象へと成り下がっている。


 樹皮が砕け、菌糸が断ち切られ、腐敗と再生の情報が、咀嚼とともに失われていく。乾いた音が規則正しく響く。ボリ、ボリ、と。


 周囲にいる者たちは誰一人、動こうとしない。止める理由も、止める力もない。ただ、仲間だった存在が、淡々と食われていく光景を見つめているだけだ。


 その視線には恐怖もあるが、それ以上に理解が含まれている。逆らえば同じ末路を辿る。そういう単純な結論に、全員が辿り着いていた。


 咀嚼を続けながら、俺は冷静に評価する。情報の密度が高い。


 再生と腐敗が複雑に絡み合った構造は、噛むたびに別の層を見せる。


 単なる力の塊ではない。長い時間をかけて環境と融合し、積み上げられてきた強さだ。それが、味としてはっきりと分かる。


 やはり、いい。


 強い存在ほど、内部に蓄えた情報が濃く、価値がある。そして、美味い。それ以上でも、それ以下でもない。


「この化け物がぁぁぁ!」


 ミゼルが吼え、地を蹴る。

 恐怖を振り払うために声を張り上げ、理性を押し潰し、ただの暴力へと身を委ねた突進だった。獣としての完成度は高い。速度、質量、殺意、そのどれもが十分だ。だが、それはあくまで“届けば”の話に過ぎない。


 ――同時に、俺の内側で淡々と処理が進む。


『スキルを獲得』

『分身体』:(エネルギー)を消費し、自己と同質の分身体を生成可能。

朽樹支配(デカイ・フォレスト)』:周囲の自然物――木、草、落ち葉、土壌をゆっくりと腐敗・変質させ、菌類および植物を活性化させる領域支配能力。


 なるほど、分身体は実用性が高い。


 状況を選ばず、消耗戦や索敵、囮にも使える。朽樹支配(デカイ・フォレスト)は場面依存だが、地形が噛み合えば十分に脅威になる。腐敗と活性化を同時に扱えるのは、制圧向きの能力だ。


 評価を終える頃には、ミゼルの攻撃が届いている。

 爪が振るわれ、牙が迫る。だが俺はそれを片手で受け止め、流し、いなす。


 力をぶつける必要はない。軌道をずらし、重心を崩し、攻撃を空へ逃がす。それだけで十分だ。


 それでもミゼルは止まらない。

 恐怖を怒りで塗り潰し、理性を切り捨て、何度も何度も突っ込んでくる。その動きは荒く、速いが、すでに洗練を失っている。力任せの連打は脅威ではあるが、読み切れないものではない。


 ……流石に、しつこいな。


 俺は一度だけ息を整え、意識を切り替える。

 少しだけ、気合いを入れることにした。


『呪飲』を発動。


 五鬼たちから奪い取った能力。

 対象に宿る怨念、呪い、負の感情を“飲み込み”、自らの糧へと変換する異質なスキルだ。


 呪飲によって吸い上げた負の感情は、静かに力へと転化されていく。

 身体の内側で(エネルギー)の密度が一段階上がるのが分かる。過剰でも不足でもない、ちょうどいい強化だ。


 次の瞬間、俺は踏み込んだ。


 狙いは正確に、無駄なく――みぞおち。

 拳が沈み込み、衝撃が内部へと抜ける。吹き飛ばすほどの力は使っていない。逃がさないためだ。


 同時に、触手を伸ばす。

 影のように地を這い、空を裂き、ミゼルの四肢と胴を絡め取って固定する。力の逃げ場はない。拘束は完全だ。


「――ッ」


 声にならない音だけが漏れる。

 抵抗はない。怒りも恐怖も、すでに呪飲によって削ぎ落とされている。


 俺はそのまま、勢いを止めずに喰らった。


 闇を栄養としてきた肉体は、思った以上に濃い。

 夜の気配、月光に同調する情報、影を渡るための構造。咀嚼するたびに、それらが崩れ、俺の内側へと吸収されていく。


 処理は即座に終わる。


『スキルを獲得しました:月光・・・夜間、または月光下において、身体能力および(エネルギー)の出力が上昇。』


 なるほど、と短く納得する。

 樹海の夜で強かった理由が、これではっきりした。さて、残るのは二つ。

 氷帝フロウィンと、概念歪曲者イオ・ラズ。


 だが、実質的に数える必要があるのは一人だけだ。

 フロウィンはもはや脅威ではない。氷属性はすでに解析し、完全に無効化している。力の規模も把握済みで、今の俺に届くものではない。戦力としては、場に立っているだけの存在に近い。


 問題は、イオ・ラズ。


 距離は近い。視界にも入っている。

 それでも、奴は動かない。


 戦闘中であるにもかかわらず、呼吸すら乱れず、殺気も波立たせない。ただ、そこに“在る”。

 攻撃の予兆も、退く気配もない。まるで、この戦場そのものを観測しているかのようだ。


 不自然だ、これほどの混乱と破壊の中で、何もしないという選択自体が、すでに行動と言える。


 力を溜めている様子はない。だが、油断も見せない、「まだ条件が揃っていない」とでも言うように、沈黙を保っている。



「……ッチ!こんな相手がいて勝てる訳ねぇだろ!」


吐き捨てるように叫び、フロウィンは背を向けた。

逃走。判断としては正しい。氷は通じず、数値も拮抗どころか劣勢。生存を最優先に据えれば、あれ以上場に留まる理由はない。


俺が踏み込み、仕留めに移ろうとした、その瞬間だった。


視界の端。

それまで“存在していないかのようだった影”が、わずかに揺れた。


――イオ・ラズ。


今まで一切の行動を見せず、沈黙を貫いていた概念歪曲者。

彼は、追うでもなく、構えるでもなく、ただ一歩、位置をずらしただけだった。


次の瞬間。


ぐちゃり、と嫌な音がした。


フロウィンの首が、消しもぎ取られていた。

切断ではない。破壊でもない。

「首という概念」が、途中から存在しなかったかのように消失している。


血は噴き出さない、断面もない、頭部と胴体が、理由も過程もなく分離し、それぞれが別の物体として地面に落ちただけだ。


「食え」


その一言と共に、イオ・ラズはフロウィンの亡骸をこちらへと滑らせた。

投げた、という動作ですらない。因果の上流から“配置し直した”だけのように、死体は俺の足元に転がっていた。


首を失った躯体。

だが、(エネルギー)はまだ濃い。氷帝として蓄えた概念と経験が、完全には霧散していない。


「……何がしたい?」


思わず、そう問いかけていた。

警戒でも挑発でもない、純粋な疑問だった。


イオ・ラズは静かに答える。


「今のお前じゃ、俺には勝てない。食え」


声に抑揚はない、侮蔑も、嘲笑も、慈悲すら含まれていない、ただの事実を、事実として告げているだけだ。


フロウィンは、そのための餌、俺は、その餌を食う側。


「……傲慢な野郎だ」


呟きながらも、俺は躯体に手を伸ばす、拒否する理由はない、ここで意地を張るほど、俺は綺麗な存在じゃない。


顎を開き、牙を沈める、氷の概念が、舌の上で砕け、喉を落ちていく、冷たさはない。あるのは情報と経験、敗北の記録。


イオ・ラズは、それを無言で見ていた。


評価するでも、警戒するでもない。

ただ、進行状況を確認する観測者の目で。


『氷操作』を獲得した。


体内を巡る情報(データ)が再構築され、氷という概念が“外部の力”ではなく“自前の選択肢”として定着する。生成、変質、制御。攻撃でも防御でもない、ただの操作権限。氷帝フロウィンが王座と共に失ったものが、今は俺の内側で静かに待機している。


「さぁ、始めようか」


言葉は自然と漏れた。宣戦布告というより、確認に近い。自分自身への合図だ。


イオ・ラズは動かない。だが、世界の方が先に反応した。


樹海最後の戦いだ。

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