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アルセリオンの神話  作者: エスケー
樹海編
32/55

第1話:樹海

 魔狼に擬態し、森をものすごい速度で駆け抜ける。

 この姿にも、もうすっかり慣れた。倒木や岩が行く手を塞いでも、身は自然と最適な軌道を描き、川に行き当たれば、助走ひとつで軽々と跳び越えられる。思考よりも先に、身体が正解を選ぶ感覚だ。


 そして、境界を越えた。

 足裏に伝わる土の感触が、はっきりと変わる。


 そこが樹海だった。


 ヴァルセリオンを探すという選択肢も、頭をよぎらなかったわけじゃない。だが、いくら気配を探っても、あいつの存在は霧のように掴めなかった。だから俺は、先へ進むことにした。


 悪いな、ヴァルセリオン。

 お前のことは……たぶん、忘れない。


 強く生きろ。


 もっとも、口ではそう締めくくっているが、実際には数時間かけて周囲を探し回った。それでも結局、影一つ見つからなかったのだから、ここで諦めるしかない。


 まあ、あいつのことだ。

 どうせどこかで、ちゃっかり生き延びているだろう。そんな確信めいた予感だけを残して、俺は再び足を前へと向けた。


 さてさて、ようやく樹海に辿り着いた。

 グレイスの言葉は誇張でも何でもない、確かに、ここは相当まずい。昼だというのに、頭上を覆う樹冠は光を拒み、森の奥は夜そのものだった。


 一歩踏み入れれば、もう戻れない。

 そんな感覚が、皮膚の内側に直接触れてくる。拒絶ではない。むしろ、誘われているような、甘い引力に近い。


 恐怖……いや、違う。

 胸の奥で蠢いているこの感情は、恐れではない。


 ――なんだ、これは。


 やっぱり俺は、どこかおかしい。

 普通なら身が竦む場面で、心臓は高鳴り、笑い出しそうになるほどワクワクしている。理屈では理解できない。ただ、不思議でならなかった。


 この闇の先に、何が待っているのか。

 それを確かめずにはいられない、そんな衝動だけが、俺を前へと押し出していた。



 樹海へ足を踏み入れた、見上げれば、樹木の高さは軽く十メートルは超えている。巨大な葉が幾重にも重なり、太陽光を容赦なく遮断するせいで、朝だというのに場所によっては夜のような闇が支配していた。空気は湿り、重く、陰湿、まるで深海だ。


 樹海を「森の海」と呼ぶのも、あながち的外れではないだろう。

 光は届かず、上下の感覚は曖昧になり、どこから何が現れてもおかしくない。


 誰かに見られている。

 そんな気配が、粘つくように俺の身体にまとわりつく。


 感知系のスキルは『水中感知』しか持っていない。海の中なら本領を発揮できるが、ここは陸だ。とはいえ、別にそれで困るわけでもない。感知自体はできる。スキルがあれば輪郭が鮮明になるだけで、無くても把握は可能だ。


 要するに、気配は、確かにそこにある。

 姿は見えずとも、この樹海そのものが、俺を試すように息を潜めている。


 夜になれば、危険度はさらに跳ね上がるだろう。

 そう直感しつつ、俺は樹海を慎重に進んだ。足取りは警戒しているはずなのに、胸の奥では相変わらず妙な高揚がくすぶっている。やっぱり、ワクワクしている。


 そんなことを考えていた、その瞬間だった。


 不意に、視界の端から“それ”が伸びてきた。

 木の幹から生えたかのような触手が、空気を裂いて迫る。


 俺は反射的に身を翻し、紙一重で回避した。


 視線を向けると、そこにあったのは――

 木に擬態した存在。


 なるほど、トレントか。

 樹海の住人としては、実に分かりやすい歓迎だ。


 いいだろう、品定めだ、この樹海の連中が、どれほどの強さを誇るのか。少し、試させてもらう。


 俺は口を開き、(エネルギー)|の奔流を解き放った。

 圧縮された一撃が直線となって走り、トレントを真正面から貫く。


 次の瞬間、木の巨体は音もなく砕け散った。


 ……一撃かよ。

 おいおい、拍子抜けにも程がある。


 俺、めちゃくちゃ強くねぇか?

 いや、冗談抜きで。自分でもちょっと引くレベルなんだが。



 トレントを喰らった結果、ひとつの能力を獲得した。


 樹皮装甲(じゅひそうこう)|

 効果:体表を覆う樹皮を硬化させ、一時的に防御力を上昇させる。


 なるほど、いかにもトレントらしい能力だ。瞬間的とはいえ、防御が底上げされるのは悪くない。樹海みたいな場所では、不意打ち対策として重宝しそうだ。


 ……とはいえ、あいつを一撃で砕いた直後に手に入ると、ありがたみよりも「おまけ感」が先に来るな。

 まあ、強くなる要素はいくらあっても困らない。次は、もう少し歯応えのある相手を期待したいところだ。


 試しに擬態してみると――トレントになれた。

 完全に木だ。幹の質感、枝の伸び、気配の薄さまで再現されている。


 わお……これは、素直にすげぇな。

 このまま動かなければ、獲物を待ち伏せする側に回ることもできるだろう。


 ……が、なしだな。


 じっと待つより、自分の足で狩りに行った方が、圧倒的にはえー。俺は獲物を待つ側じゃない。踏み込んで、踏み潰して、喰らう側だ。


 というわけで、俺は再び魔狼に擬態した。

 やっぱりこっちの方が圧倒的に動きやすい。四足歩行はいい、地面を掴む感覚が直に伝わってくるし、加速も減速も思いのまま、何よりスピードが段違いだ。


 そうして俺は、樹海の奥へと踏み込んでいく。

 だがここは、本当に厄介だ。


 進めど進めど、景色が似通っていて、方向感覚が徐々に削られていく。道らしい道は存在せず、気づけば同じ場所を回っている気さえする。


 生きた迷路だな。樹海そのものが意思を持ち、侵入者を彷徨わせている、そんな錯覚すら覚える中、俺はなおも歩みを止めなかった。


 そして夜になる。

 空は完全に閉ざされ、月明かりすら厚い枝葉に遮られ、地面に届かない。闇は「暗い」というより、重い。背中にのしかかるような圧が、呼吸のたびに肺を締めつけてくる。


 ここから、本格的に、樹海の本性が牙を剥く。


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