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第5話:五鬼

 獣鬼衆(じゅうきしゅう)の五鬼は、一か所に集結していた。


 この森を飲み込み、魔狼族を狩り尽くすために送り出された、カルマ・ラボが生み出した最高戦力

 空気は重く、ひと息吸うだけで胸が焼けるほどの悪意が満ちている。


「……気配が途絶えた」


 静かに呟いたのは、屍譜ノ鬼(しふのおに)無律(むりつ)。古い音楽家のような黒衣、肩から垂れ下がるのは“楽器のように加工された誰かの骨”。

 閉じた瞳は一度も開かれない。だが、その周囲だけ現実の色味が濁って見える。


嘯牙(しょうが)の気配が……完全に無くなった」


 その言葉に、他の鬼たちが微かに反応する。


 ゴウッ、と熱風が揺れた。


「冗談だろう、あの馬鹿力が死ぬってか?」


 嘲るように笑ったのは、炎禍ノ鬼(えんかのおに)焦禍(しょうか)身体中の皮膚がひび割れ、そこから常に赤熱した炎が漏れている。

 足元の草は彼が立つだけで炭化していく。


「……いや。消えた、完全にだ」


 無律は薄く笑ったように見えた。目が開いていないため表情が読めない。


「おい無律、確認が甘ぇんじゃねぇのか?

 あいつは『呪力』を喰う化け物だぞ。死ぬ要素が」

「死んだ、間違いないだろう」


 唐突に別の声が割り込む。

 それは、五鬼の中でもっとも異質な存在、獄鏡ノ鬼(ごっきょうのおに)鏡斬(きょうざん)だった。

 全身が割れた鏡片のような装甲に覆われ、近づくだけで自分の姿が“ぐしゃり”と歪んで映る。


「……消滅反応があった。嘯牙の『呪力膜』が一瞬で破られている」

「破られた?あの呪力の怪物の膜が……?」


 焦禍が眉間に皺を寄せる。

 嘯牙の防御を知る者なら、あり得ないと断言するだろう。だが、真実は残酷だ。


「おもしれぇじゃねぇか」


 残る二鬼、氷の鎧を纏う 氷骸ノ鬼:凍牙(とうが) が冷たく呟き、縦に割れた瞳を持つ 獣角ノ鬼:獣皇(じゅうおう) が唸る。


「警戒しろ。嘯牙を殺した“何か”が、この森にいる。」


 湿った空気を切り裂くように、屍譜ノ鬼(しふのおに)・無律が低く告げた。

 閉じたままの瞼、無表情。肩から垂れ下がるのは、正体不明の“楽器のようで楽器でない”歪な物体。静寂を這う声には冷たさしかない。


「へぇ、いいじゃねぇか。」


 前に出たのは、狂気を宿した笑みの 焦禍(しょうか)。肩を震わせ、ケタケタと笑いながら興味に満ちた目を光らせる。


「そいつのデータ、カルマ・ラボが喉から手が出るほど欲しがるだろうなぁ……!」

「楽観的過ぎるのは良くない。ここで一度引き上げて作戦を」

「硬ぇんだよ、無律。」


 焦禍が笑いながら無律の言葉を切った。

 その軽薄な声音に、無律の眉がわずかに動く。


「お前が……楽観的すぎる、焦禍。」


 周囲の五鬼たちは、二人のやり取りに一切動じない。

 いつものことだと理解しているからだ。


 動じない、互いに反り合わず、協調心など一欠片もない──それが“獣鬼衆・五鬼”の常。


「いずれにせよ、探さないとな。俺は南方から行く」


 凍牙が無言で立ち上がる。冷気を纏うその足取りは静かだが、踏みしめる度に地面が微かに凍った。


「待て、単独行動は」


 無律が手を伸ばすも、凍牙は振り返らない。警告は届かない。その様子を見た焦禍も、舌を鳴らして立ち上がる。


「じゃあ俺は東。獲物は早い者勝ちだぜぇ」


 続いて、獣皇が巨体を揺らして北へ歩き出し、鏡斬までもが無言で西へと消えていく。


 嘯牙を殺した未知の存在が森にいるというのに、

 誰一人として足並みを揃えようとしない。


 それが、協調性ゼロ、生まれながらの破壊兵器。


 獣鬼衆(じゅうきしゅう)・五鬼の本質だった。


 残されたのは、無律むりつただ一人だけだった。


「……どいつもこいつも、クズばかりだ。」


 吐き捨てるように言ったその声音には、苛立ちだけでなく、深い疲労が滲んでいた。


 カルマ・ラボ──極秘研究施設にして、外法生命体を生み出す狂気の坩堝。その最高責任者から“現地統括”を命じられたのが無律だった。


 使命はひとつ。

 この“獣の森”を支配し、新たな研究拠点を築くこと。


 なぜここなのか、理由は単純。

 隣接するヴァルメリア王国への侵攻の足がかりとするためだ。言わば前線基地である。


 そんな重大任務にも関わらず、無律に与えられた部下は最悪だった。


 焦禍(しょうか)鏡斬(きょうざん)凍牙(とうが)

 いずれも破格の戦闘能力を備えた“獣鬼衆の五鬼”ではあるが、協調性という概念は、彼らは生まれた瞬間に捨ててきた。


 仲間意識など皆無。指揮系統など存在しない。

 気に入らなければ単独で突っ込み、仲間が死のうが知ったことではない。


 無律だけが比較的まともであり、だからこそ“リーダー”役を宛がわれていたのだ。


 本来の計画ならば、この森の制圧など“数日の作業”で終わるはずだった。

 だが、予想外に抵抗勢力が強かった。魔狼族の結束も想定外だった。


 結果として、侵攻には時間を要していた。


 とはいえ、無律は焦りはしない。

 その性格は慎重で、計画的。大胆な強襲など性に合わない。


(あと一週間……遅くとも十日以内には、この森は我らのものとなる。

 それでいい。ゆっくり確実に……それが最適解だ)


 そう確信していた矢先──


 嘯牙しょうがが殺された。


 森の支配計画の“矛”となるべき化け物が、跡形もなく消された。


 その事実に危機感を覚えているのは、結局、無律だけだった。


 他の三鬼は、おのおの好き勝手な方向へ“単独で”動き出す始末。


「……はぁ。やれやれ、本当に厄介なのは敵ではなく“味方”だ。」


 森の奥に視線を向ける。

 風が、何かの死臭を運んでくる、嘯牙の残滓か、それとも新たな異物か。


 無律は静かに指を鳴らした。


「さて……計画を修正する必要があるようだな。

 嘯牙を殺したそいつ、必ず見つけ出し、そのデータを回収する。」


 黒い魔狼は、森の影からふっと現れた。

 その目は深淵のように澄んでいるのに、光は無い。まるで闇そのものが歩いているようだった。


 無律は、鼻で笑う。


「……ちょうどいい。貴様で実験を再開してやる。」


 その瞬間、無律の周囲にぶら下がっていた“歪んだ楽器”たちがガタガタと震え始める。

 ギターに似た骨の塊、弦の代わりに生きた神経を張り巡らせたバイオリン、そして管の奥で呻き声をあげるフルート。


死音爆血(ネクロソニック)!!」


 世界が破裂した。一瞬、音という概念が崩壊したかのように、木々が震え、地面が波打つ。

 鼓膜を破壊する音圧は、もはや“音”ではなく殺戮の衝撃波だった。


 通常なら、魔狼だろうが魔物だろうが、脳が揺れ、神経が焼き切れ、そのまま死ぬ。


 無律も、それを理解している。

 逃げ場のない死。

 発動した時点で勝利が確定する、理不尽な能力。


「……終わりだ。」


 だが、バチィンッ!!


 空気が裂けた。


 黒い魔狼の周囲の空間が、歪んだ。

 何か、不可視の膜のようなものが、音圧を吸収し、盛大に砕けた。


 土煙が晴れた時、そこには無傷の黒い魔狼が、ただ静かに立っていた。


「……は?」


 無律の声が震える。


 死音爆血は、生物である限り防げない。

 それはカルマ・ラボの研究者全員が認めた“絶対の殺傷音”だ。


 それを、生きて受けた?


 黒い魔狼の瞳が、ゆっくりと無律に向く。


「今、なんかしたか?」


 その黒い魔狼の、あまりにも軽い一言。

 無律は思考が白く飛んだ。

 死音爆血(ネクロソニック)が効かない?

 あり得ない。あれは“生物”である限り、逃れられない死の音だ。


 だが、黒狼は眉一つ動かさず、まるで蚊にでも刺された程度の反応しかしない。


「……化け物、か。」


 無律は乾いた声で呟く。だが認めるわけにはいかない。再度、両手を広げ、虚空を裂くように音の奔流を構築する。


「死ね!」


 瞬間、空気そのものが震え、地面の草木が揺れ、鳥の死骸がバタバタと落ちてくる。

 音の衝撃は一直線に黒狼へ


「攻撃するってことは殺してもいいって兄貴が言っていたな。」


 黒狼は一歩も動かなかった。

 ただ、軽く首を回し、肩を鳴らしただけ。


「んじゃ、殺す!!」


 次の瞬間、黒狼の身体が“伸びた”。

 正確には、ただ一歩踏み込んだだけなのだが、無律には地面ごと消えたように見えた。


 風圧が爆発し、無律のマントが破れ、視界が黒い影に塗り潰される。


 姿が変わっていた、四足の魔狼ではない。


 二足歩行の魔人狼。


 身長は180cm程度だが、存在感は山のように重い。

 漆黒の毛並みは闇夜のようで、尾は太く、しなやかに揺れ、

 眼光は獣の黄色のまま鋭い線を描き、

 そして頭には黒く湾曲した角が生えていた。


「……な、なんだ……貴様のその形態は……」


 無律の足が無意識に下がる。


「有り得ぬ、俺の能力は神経を破壊する! 生物である以上、俺には勝てねぇ!!」


 無律(むりつ)は叫び、狂気じみた怒号を森に響かせた。

 しかし、対峙する黒い魔狼──ヴァルセリオンは首をかしげただけだった。


「神経? なんだそりゃ!」


 その声は本気で不思議そうで、そして何より──恐ろしく無防備だった。


 無律は理解できなかった。

 眼前の魔狼は、自分の必殺が通じない理由を本気で理解していないのだ。


 だが真実は単純だった。


 ヴァルセリオンの身体は、生物として“異質”すぎる。

 彼には神経という概念が存在しない。

 細胞と情報だけで形成された。


 ゆえに、神経破壊の波動は、最初から意味を成していなかった。


「……クハッ、ならもういい。食らう!!」


 ヴァルセリオンは吠えるのではなく、開いた口から“音の圧力”そのものを放った。


浪震咆哮(ろうしんほうこう)!!」


 空気が割れた。

 大気が震え、森が唸り、地面が揺れる。

 ただの咆哮ではない。“震動する衝撃波”が音速を超えて一直線に無律へ襲いかかった。


「──ッ!!?」


 瞬間、無律の鼓膜が破裂した。

 世界がキーンと鳴り響き、視界がブレ、身体が自分のものではなくなる。


(こ……これは……! 俺の、音を……超えている……ッ!?)


 自律神経がバラバラにかき乱され、平衡感覚が崩壊し、思考が断線する。


 無律の得意分野である音の支は、この咆哮の前では無力だった。圧倒的な物理震動の暴力、それは彼の技術体系とは別次元の怪物の所業。


 黒い魔狼がゆっくりと歩み寄る。

 黄色い双眸が、無律の震える体を静かに見下ろした。


「攻撃してくるってことは……殺してもいいって兄貴が言ってた」


 ヴァルセリオンの声が、日常の雑談のように軽い。その軽さが、無律には底知れぬ恐怖だった。


 そして、ヴァルセリオンは食らうと。能力を獲得した。『死音爆血(ネクロソニック)』だった。


「ぐへへ、これで俺はまた強くなったぜ。」

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