第2話:魔狼
俺とヴァルセリオンは、魔狼の姿のまま森の中の大岩の上に腰を下ろいや、腰はないから“前足を折って休む”と言ったほうが正しいか。とにかく休憩していた。
深海から地上に上がって走った。
とにかく走った、さすがに疲れた……いや、疲労という概念がどれくらい俺に残ってるのか分からないが、気持ち的に休みたい。
「兄貴、これからどうするんですか」
「どうしようか……とりあえず人に会いたいよな。いるか分からないけどさ!」
深い森での休憩も終わり、俺たちは立ち上がった。
目指すは人の社会。
この世界の文明、文化、街並み……全部この目で見てみたい。
ただし今の俺たちの姿、魔狼のまま人間の前に現れたら、普通に狩られるか逃げられるかの二択だ。
まぁ、だからこそ用意してあるんだよな、俺たちには。
「……大丈夫だろ、愛くるしい振る舞いすればさ。俺だって野良犬見てもいきなり攻撃しようとは思わないしな」
俺には“犬”の擬態がある。
そして――
「兄貴、俺は猫っすよ。ウヘヘ……めっちゃ可愛いっすからね、俺」
ヴァルセリオンには“猫”の擬態がある。
どちらも魔狼の姿よりは、人に警戒されにくい。
むしろ可愛がられるレベルだ。安全性は段違いだろう。
「よし、行くか。まずは人探しだ」
「へい!!兄貴!!」
俺たちは擬態を発動する準備をしながら、森の奥へと歩き出す。
地上にも、深海とはまったく違う種類の生物がいることが分かった。
最初に遭遇したのは、鹿だった。
腹が減っていた俺とヴァルセリオンは、視線を交わしただけで意思疎通が完了する。
もちろん、食べすぎないように注意しつつだ。深海のときみたいに生態系をブチ壊すわけにはいかない。
ふたりで仕留めて、仲良く分けて、そして――食べた。
「美味いっすね……」
ヴァルセリオンはパクパクと夢中で食っている。
生肉だし、抵抗あるかなと思ったが、よく考えれば俺たち、
生魚を生でバクバク食って生きてきた。
もはや今さらだった。
……なんか「頭痛が痛い」みたいな表現になるが、まぁいい。
そして鹿を吸収したことで、俺たちは新しい擬態を獲得した。
鹿のしなやかな身体能力 スキル『俊敏』 を。
「へへ、兄貴。これ、足めっちゃ軽くなるっすね」
「だな。地上生活、案外快適かもな」
地上という世界、まだまだ未知が多い。
だがその分、“情報”は無限に転がっている。
俺とヴァルセリオンは、新たな力を得た喜びを噛みしめつつ、次に現れるであろう未知の生物へ期待を膨らませながら森を歩いた。
さっき手に入れた鹿の擬態を使い、俺は白い毛並みの鹿に、ヴァルセリオンは黒い毛並みの鹿へと変化している。四本足で静かに森を進む感覚は、魔狼のときとはまた違う軽やかさだ。
「兄貴……この鹿の脚、めっちゃ軽いっすね。跳ねるたびに風が切れる感じがしますよ」
「だな。俊敏って能力、文字通りすげぇわ……重力を忘れるような感覚だ」
俺は一度だけ、軽く地面を蹴った。
バシュッと、空気を裂く音がして身体がふわりと跳ね上がる。
人間の頃じゃ絶対に味わえない、軽快さと自由。
森の木々は陽の光を浴びてきらきらと輝き、微かな風が草原を撫でて流れていく。
そのすべての中に、俺たちも自然の一部として溶け込んでいた。
「兄貴、オレら……森の生き物になってません?」
「まぁ、擬態ってそういうもんだろ。悪くないけどな」
鹿の耳は人型よりもずっと鋭い。
ミリ単位の枝の揺れから、遠くの足音、虫の羽音まで――すべてが、鮮明に聞こえる。
森の奥から、また新しい生物の気配が近づいてくる。
未知の気配だ。
強いのか、弱いのか、それとも……食えるのか。
俺とヴァルセリオンは自然と視線を合わせた。
「兄貴、次はどんな生き物っすかねぇ……」
「さぁな。」
だが、目論見は甘かった。なんせ、そこにいたのは無数の狼達だった。
「グルル……珍しい鹿が二匹……てめぇら、久方の食事だ。逃がすんじゃねぇぞ!!」
茂みの奥から現れたのは、明らかにボス格の魔狼だった。
鋭い牙を剥き、俺たちを完全に獲物として見ている。
白鹿に擬態した俺と、黒鹿に擬態したヴァルセリオン。
向こうは鹿だと思っているが──こっちは中身、怪物二人組である。
「兄貴、殺しますか?」
ヴァルセリオンは楽しそうに笑っている。怖い。
確かに応戦した方が早い。
だが、俺はすでに気づいていた。
(こいつらだけじゃない……周囲に無数の気配……!)
ここは完全に魔狼のテリトリー。
海と違って視界が開けてるわけでもない。
何が潜んでいるかもわからん上、相手は高い知性を持つ群れの動物だ。
ここで戦うのは……さすがにリスクが高すぎる。
「一旦、開けた場所まで逃げるぞ」
「りょーかいっす!兄貴!!」
俺が言うと同時、ヴァルセリオンは一切逆らわずに即座に隣へ並ぶ。
――加速する二頭の鹿(擬態)
後ろでは魔狼たちが咆哮する。
逃走戦の始まりだ。
「兄貴、1回二手に別れますか?!」
「ありだな!」
俺とヴァルセリオンは、同時に左右へと散開した。
鹿の擬態というのは本当にすごいもので、身体が軽い。弾む、跳ねる、滑るように進む。森の木々を縫いながら、鹿の脚力を活かして急旋回を繰り返す。
「グルルルル!! 逃がすなァァ!!」
狼どもは完全に狩りのテンションだ。
遠吠えを合図に、森の奥からぞろぞろと影が増える。小隊規模じゃねぇ。中隊規模で来てる。
「……って多くない?! お前ら俺らになんの恨みあるんだよ!」
もちろん返事なんかない。あるのは殺意だけ。
俺は木々の間を滑りながら、状況を冷静に解析する。
数は多い。が、まだ囲まれてはいない。
このまま直進すれば開けた場所に出る。
問題は、ヴァルセリオン側にも同じくらい行ってるってこと。
(兄貴、こっちは20匹ほど追いかけて来やしたぁ!!)
『遠吠え』を使った情報共有が、脳に直接響いてくる。便利だよなこれ。
俺は群れと行動するのが性に合わない。
だから今回も一人で駆け抜ける道を選んだ。
「っち、めんどくせぇ」
そう吐き捨て、俺は人気のない岩陰へと身を滑らせる。
そして、深く息を吸い込み、魔力を巡らせた。
魔狼への擬態。
黒い毛並み、しなやかな四肢、夜の気配を纏うような気配。やはり、この姿の方が格段に動きやすい。
さあ、行くか。そう意気込んで戦場へ踏み出そうとした、その瞬間。
俺は一人で駆け抜ける。っち、めんどくせぇ。
そう吐き捨てながら、群れから距離を取った俺は、静かに姿を変える。肉体が軋み、骨格が沈み、毛並みが黒く波打つ。魔狼への擬態だ。
やはりこっちの方が動きやすい。体が軽い、視界が広い、匂いの届く範囲も段違いだ。
そして再び群れへ戻り、魔狼達に紛れて立ち向かおうとした、その瞬間だった。
魔狼達がぴたりと動きを止めた。
「ん? 鹿はどこいった!」
……まさか、気づいてないのか?!
色は同じとはいえ、まさかこんなに雑だとは。
一頭の大柄な魔狼が俺を見下ろし、低い声で唸った。
「おい、貴様。鹿は見なかったか?」
「え……と、見てません」
と、とぼけてみたりして。だってね、俺だって戦闘を好むわけじゃない。それに、さっきの魔狼はもう食った。同じ種類を何度食べても得られる情報量はたかが知れてる。
だから今は、目の前の群れにバレずにやり過ごすほうが得策ってわけだ。
「ふん、そうか……しかし貴様、見た事が無い魔狼だな……」
左目に一本の大きな傷を走らせた魔狼が、ずしり、と地面を踏みしめながら近づいてくる。群れの中でも格の違いを感じる威圧感。喉の奥で低い唸り声が震え、空気が張り詰める。
や、やばい。これ絶対ボス枠のやつじゃん。
「お前、まさかあの者じゃあないよな?」
ジロリ、と俺を射抜くような視線。
……あの者?どの者?
俺の中の辞書に載ってないんだけど???
「知らん……お前も、お前らが指してる者もな。」
言い切った瞬間、自分の喉の奥で小さく鳴った心音まで聞こえた。虚勢だ。けれど、虚勢だって剥き出しになれば牙の代わりになる。前世で嫌というほど学んだ、弱さを見せた瞬間、人は、いや“群れ”は容赦なく喰ってくる。
左目に傷のある魔狼は、俺の言葉を受けて一歩だけ前へ出た。地面がわずかに沈む。そいつの纏う威圧が、たった一歩でこれだ。
「……ふむ。随分と口が回るじゃないか、得体の知れん奴め。」
低く唸る声。単なる咆哮ではなく、理性と野性が同時に擦れ合うような、群れの長にしか出せない声音だ。
その視線が俺の偽装の毛皮をなぞるように滑り、尾の先、爪の形まで品定めされる感覚があった。まずい……擬態は完璧のはずなのに、コイツは“匂い”以外の部分でも何かを読み取ってきている。
だが、退くな。臆するな。弱気は死だ。
「気に障ったか?」
わざと鼻で笑ってみせる。
「お前みたいな奴は嫌いじゃない。お前も魔狼だろ、どうやって今まで姿を隠していたのかは分からないが、その辺は気にしてない。どうだ、お前、俺の仲間に入らないか?」
そう言って、魔狼は俺に声をかけた。
返答はどうするか……。ヴァルセリオンがどこにいるか分からないし、遠吠えで距離を確認したいが、ここでいきなり遠吠えなんて完全に怪しい。いや、怪しいどころか“狂った新参”扱いされて、そのまま囲まれて終了だ。
……くそ、考えろ俺。
下手こけば即バレ、しかし断っても不自然、かといって即加入もリスク高すぎる。
「仲間、ねぇ……」
俺は少しだけ顎を上げ、魔狼らしい“余裕ぶった態度”を装う。
中身は完全に一般人だけど、外見は歴戦の魔獣、いける。いけるはず。
「悪いが、俺は群れに属する気はない。長くひとりでやってきたからな。急に群れに入るのは性に合わん」
できるだけ堂々と。
お前らが指してる謎のあの者とも関係ありませんよ〜、ただの放浪魔狼で〜す、を必死で演技。
魔狼は鼻を鳴らし、俺の周囲の匂いを嗅ぐ。
やべぇ……バレるなよ……俺、今、鹿の匂いしないはず……いや、するか?え、どうだ?
「……なるほど。ならば無理強いはしない」
よし、通った?!通ったか?!
「だが、貴様、この辺はうろつくな。ここらは我が一族の領土だ。今度、貴様の顔を見かけたら最後、殺す」
「待て……やはり加入する」
「……おめでとう、入門だ。」
♢♢♢
流石に加入した、いや、加入するしかなかったが正しい。ここは完全に奴らのテリトリー、下手に断ったてまた敵対関係になったら厄介だ。
それに……うまく立ち回れば、この群れに便乗して人の世界に戻れる可能性だってある。利用できるものは利用しないと、前世の俺が泣く。
左目に傷のある魔狼、あの歴戦感ぷんぷんの男の名は『ジギー』というらしい。
名乗れって言われたけど、魔狼ネームなんて持ってねぇし、とりあえず適当に濁しておいた。
ジギーは俺を気に入っているのか、他の魔狼達にも軽く紹介してくれた。ただ、周りの視線は好奇心と警戒心が入り混じっていて、正直居心地は悪い。
(ヴァルセリオン、どこ行ったんだよ……!)
心の中で叫びつつ、俺は群れの中心へと歩を進める。こうなったら、しばらく“魔狼ライフ”を全力で演じるしかねぇ。




