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第1話:いざ、森へ

 俺とヴァルセリオンは、はじめて 地上 に足を踏みしめた。


「……これが、地上か」


 太陽光が真上から降り注いで、海の中とはまるで違う。

 深海の冷たさでもなく、浅瀬の優しい光でもない──全てを炙り出すような、生命そのものの熱を持った光だ。


 ヴァルセリオンは眩しそうに目を細めている。


「すっげぇ……兄貴、ここ、めちゃくちゃ明るいっすね……!」


 俺たちの目の前には、果てしなく続く森 が広がっていた。


 濃い緑の天蓋が空を覆い、木々の葉が風に揺れるたび、ざわざわと波のように音を立てる。

 湿った土の匂い、草の青い香り、花粉の甘い香り──嗅いだことのない匂いが一気に押し寄せてくる。


 足元の土が柔らかく沈む感覚がなんか懐かしい。

 前世で、何度も歩いたあの森の感触が不意に蘇った。


「いや〜兄貴、ここには海とは違って美味しそうな獲物が沢山いますね〜」


 ヴァルセリオンは俺の横で、木々の向こうにいる小動物たちを見ながら、ダラダラとヨダレを垂らしていやらしい笑みを浮かべている。


 せっかく深海から抜け出してきて、初めての地上。

 懐かしい森の匂いに包まれて、「あぁ、ついに異世界らしくなってきたな」って感傷に浸ってたのに──


 こいつのせいで全部吹っ飛んだ。


「おい、ヨダレ垂らすな。ここは海じゃねぇんだぞ。地上の奴らは繊細なんだ、多分」

「えへへ、兄貴。獲物は獲物っすよ」


 しっぽをブンブン振ってる。

 完全に狩りモードじゃねぇか。


「いいか、ヴァルセリオン。ここでいきなり食い荒らしたら、この世界の文明も人も生き物も、全員敵になるからな?」

「……え、だめなんすか?」

「当たり前だ!!!」


 やれやれ、地上に来た途端これだ。

 こいつを連れて異世界ライフを謳歌するって……もしかして、俺、前途多難すぎないか?


 また、生き物を狩り尽くして、アリシア達と喧嘩になるようなことが起きたら面倒だ。

 深海で散々やらかしたんだ……今度は慎重にいこう。

 そう心に決め、俺たちは森の奥へと歩を進める。


 木々の間から射し込む光は海のそれとはまるで違う。

 濃厚で、温かくて、生命の匂いが満ちている。

 土の感触も、葉の揺れる音も、全部が新鮮だ。


「兄貴、兄貴……あれ見てくださいよ。絶対うまいっすよ」


 ヴァルセリオンが指差す先には、リスだ。

 ちょこまかと動き回って木に登っていく。


「食うなよ」

「……分かってますって」


 ぜんっぜん理解してない顔をしてる。

 しっぽパタパタしてるし。


「ヴァルセリオン、森は海よりも面倒だぞ。

 でかいのから小さいのまで色々いるし、文明もある。人間もいるかもしれない」

「へぇ、人間って……美味いんすか?」

「食う前提で聞くな」

「へへ、冗談っすよ兄貴」


 絶対冗談じゃねぇ。


 森の中は静かで、海とは違う息遣いがある。

 風が草を揺らし、どこか遠くで鳥の声がして、地面を踏めば柔らかい。


 すごく、いい。


 こんな場所を壊すわけにはいかない。

 深海で得た”反省”というやつが、少しだけ胸を刺した。


「とにかく、まずは周囲の調査だ。狩るのはダメ。絶対だ」

「……絶対、ですかぁ?」

「絶対」

「………はぁい」


 ヴァルセリオンは肩を落としつつもしっぽは元気だった。

 まぁ、こいつなりに我慢してるんだろう。



 その刹那、森の気配が一変する。葉擦れの音は途切れ、虫の羽音すら消え失せ、まるで世界そのものが息を潜めたかのようだった。

 風が止まったのではない。止まったように錯覚させるほど、張り詰めた空気が空間を支配していたのだ。

 念のため、俺は数値化(パラメーター)を発動する。

 視界の隅に浮かび上がる測定結果――「150」。

 ……は?

 思わず内心で声が漏れた。

 弱い。拍子抜けするほど、信じがたいほどに低い数値だ。

 野犬どころか、下級魔物としても評価に値しない。警戒するまでもない雑魚――本来なら、そう結論づけて終わるはずだった。

 だが――。


 目の前の二匹は背を丸め、地を掻くように前肢を踏みしめながら低く唸っている。その眼光は確かに獲物を狙う捕食者のものだ。牙も爪も、殺しに十分な鋭さを備えている。

 

それでもなお、動きの端々に“揺らぎ”があった、踏み込みの間が不自然に長い。

 視線が一瞬だけ逸れる、唸り声に、微かだが震えが混じる。

 それは、戦い慣れた獣が決して見せない挙動だった、経験からくる自信も、獲物を仕留める確信もない。ただ衝動だけが先走り、恐怖を押し殺すように殺意を膨らませている。何かに追い立てられ、逃げ場を失った末に、牙を剥くしかなくなった存在のようだった。


 しかし俺は油断しない。

 数値化(パラメーター)が全てではない。

 あれはただの“(エネルギー)の量”。

 技量、経験、種族特性、能力の相性――それらは数値化されない。


 だからこそ慎重にいく。


「兄貴、どうする?やっちまいます?」

「……様子見だ。」


 魔狼は俺たちを観察している。飛びかかる隙を伺いながら、低く低く身を沈め――


 ドッ!!


 跳んできた。

 だがその速度は俺達から見れば、亀以下。


「遅ぇ」


 俺は軽く身体をズラし、右へ。

 ヴァルセリオンは左へ。

 魔狼は二匹同時に空を切り、そのまま草むらへ突っ込んだ。地面が揺れるほどの激突音が響く。


「おいおい……」


 森の静寂を切り裂くように、俺は思わず呟いた。

 薄暗い木々の隙間から現れたのは、二匹の魔狼。毛並みは逆立ち、黄金の瞳は鋭く俺たちを射抜いている──はずなのだが。


「兄貴、これ、マジで戦闘になるんすか?」


 横にいるヴァルセリオンが、目を輝かせながら聞いてくる。完全に戦う気満々、いや……食う気満々だな。


「ふぅん……おい、ヴァルセリオン」

「……はい!兄貴!!」


 俺は一呼吸置いてからゆっくりと告げる。


「訂正点がある。相手が“殺そうとしてきた時のみ”食うのを許可する」

「へっへっへっ、兄貴……その言葉、待ってましたよ……」


 喜びを噛みしめるようにしっぽをブンブン振り回すヴァルセリオン。こいつ……完全に期待してるな。

 まぁ、相手が明確に殺意を持って襲いかかってくるなら、それはもう自己防衛の範囲だ。俺だって聖人じゃないし、むしろその逆寄りだ。


 ただ、魔狼たちをよく見てみると……なんか、さっきより距離取ってねぇか?


 後ずさりしてる。尻尾、下がってる。

 もしかして怯えてる……?


「……あれ?こいつら、弱気じゃね??」


 俺はひとまず状況を受け入れた。

 まぁいい──。


 次の瞬間、俺は即座に能力を展開する。


深界冷絶(しんかいれいぜつ)』。


 俺を中心に半径一〇〇メートルの世界が、一瞬にして“死の冷気”に飲み込まれた。

 空気が弾け、白い霜が爆発し、森全体が凍り付く。


 魔狼の一体は、声を上げる間もなく氷像と化す。


「ギャ──」


 音は途中で消えた。凍り付いたからだ。


 もう一体の魔狼は逃げる暇すらない。

 横からヴァルセリオンが影のように飛び込み、笑いながら能力を発動する。


混沌喰者(カオス・イーター)


 ドシュッ……と闇が牙となって噛み砕き、魔狼を丸ごと喰らう。

 血も音も残らない、跡形もなく飲み込まれた。


 はい、制圧完了。


 俺とヴァルセリオンが得た能力は、意外にもシンプルなもの──


『遠吠え』。


 ただし情報を奪ったことで、魔狼への擬態能力まで手に入れた。


「ぐへへ……」


 俺とヴァルセリオンは同時に擬態する。

 骨が鳴り、情報子が書き換わり、体が伸び、毛が生え、次の瞬間、俺は白い毛並みの魔狼に。

 ヴァルセリオンは黒い毛並みの魔狼に変わっていた。


 俺の瞳は深い蒼。

 ヴァルセリオンの瞳は獣の黄金。


「おい……目の色も変わるのかよ」


 妙にリアルな変化に、少しだけ笑ってしまった。


 そして、お互いに新たに得たスキル『遠吠え』を試してみることにした。


「ウォオオオオォォン!!」

「ガルルルォォォォン!!」


 森に響き渡る、狼の咆哮。しかしその効果はただの音ではない。効果は遠吠えする事で仲間の情報を正確に共有することができる、普通の音声ではなく空間をすり抜ける為、音声遮断されたとて、聞こえるのだ。すごい能力や!!


「へへ、兄貴。今日からこっちにしましょうや」

「ありだな……」


 四足歩行になった瞬間――世界が変わった。


 地面を蹴るたび、土が砕け、風が裂ける。

 筋肉の流れ、重心の移動、爪の沈み込み、視界の低さすら全部が心地いい。

 まるで「本来こうあるべきだった」と身体が歓喜していた。


 人類が二足歩行に進化したのは、スタミナ節約や道具使用のためだ。

 だが――


 俺にはそんな制約、一切関係ない。


 エネルギー効率?

 筋繊維の限界?

 酸素供給量?


 全部、人間の話だ。


 俺は情報生命体。

 弱点も欠点も存在しない。

 ただ長所だけを選び、吸収し、上位互換に書き換えることができる。


「兄貴、見てくださいよ!」


 ヴァルセリオンが黒狼の姿のまま、木々の間を音もなく飛ぶように走っていく。

 黄色の眼光が夜獣のように煌き、影そのものと化していた。


「お前……速すぎだろ……!」


 思わず呟いた俺だが、走り出した瞬間すぐ理解した。

 俺も同じだった。

 身体が地面を滑るように進む。

 空気が裂ける音が心地よく、周囲の景色が線のように流れていく。


「なぁ、競走しようぜ!」


 俺がそう提案すると、ヴァルセリオンは牙を見せて笑い、嬉しそうに頷いた。


「へへ、兄貴! 俺ぁ兄貴だからって手加減しませんぜ!」

「望むところだ。――能力の使用は禁止。純粋な身体能力だけで勝負だ」

「了解!」


 次の瞬間、俺とヴァルセリオンは地面を蹴り、同時に走り出した。

 風が肌を裂くように抜けていく。木々の影が矢のように後方へ流れていく。


(速い……!)


 さすがはヴァルセリオン、四足で駆けるあいつはまさに疾風だ。

 だが、俺だって負けてられない!


 川を一気に跳び越え、岩肌を蹴って山を駆け上がり、

 枝を弾き飛ばしながら森を抜ける。

 崖沿いの細い道を滑るように走り、陰の裂け目へ飛び込むように身を沈め――

 それでも互いの距離はほとんど変わらない。


 まったく、大した奴だ。


 森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。

 広大な草原――地平線まで続く、起伏の少ない天然の直線コース。


「兄貴ィ! ここからが本番だァ!」


 ヴァルセリオンが雄叫びじみた笑い声を放ち、一段階速くなる。

 地面を蹴るたび、その巨躯がまるで雷撃のように前へはじけ飛ぶ。


(っ……まだ伸びるのかよ!)


 俺も負けじと前傾姿勢を深め、呼吸を極限まで整える、空気の壁が顔を叩き、足裏は地面をえぐるように進む、鼓動が速すぎて、もはや痛い。


 やがて、草原の先に巨大な裂谷が現れた、真っ直ぐ進めば確実に落ちる。

 左右へ迂回するか、それとも


「兄貴、どうすんだ!?」

「決まってる!」


 俺は地を強く蹴り、裂谷へ向かって跳んだ、空中で足の力を最大限に絞り出し、反対側の崖壁へ飛び移る。

 指先がわずかに崖を掠めたが――届いた。


 ヴァルセリオンもほぼ同時に飛ぶ。

 その跳躍は、完全な獣のそれ。

 着地と同時に体勢を崩す俺の横を、音を裂いて駆け抜けていく。


(……やばい、完全に抜かれた!)


 ラスト、ゴールは森の端にある一本の巨木。

 そこへタッチした者の勝ち。


 視界の端で、ヴァルセリオンの尻尾が揺れる、距離、半歩。いや四分の一歩。

 勝負を決めるには、十分すぎる差。


「兄貴ィ! 貰ったァ!!」


「……まだだ!」


 俺は残った全エネルギーを脚に叩き込み、

 身体が壊れても構わないという勢いで加速した。


 風景が一瞬だけ白く飛んだ。


 次の瞬間、俺の指先が巨木の幹に触れた。


 カンッ。


 遅れてヴァルセリオンの掌が、俺の少し横に叩きつけられる。


「……は、ぁ……っ、兄貴……まじかよ……」


 ヴァルセリオンは息を荒げ、信じられないという顔で俺を見る。


「僅差、だな。お前、強ぇよ」


「くっそ……ッ、でも、最高に楽しかった!」


 息が切れて笑うその顔は、まるで少年のようだった。

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