第15話:真のボス
ヴァルネスと俺は真正面からぶつかった。
骨の顎がギリギリと鳴る。水流を裂くたび、白い残像が海を刻む。
速い。けど──遅い。
俺はサメ形態へ擬態し、同じ速度域で並走する。
互いに肉薄し、擦れ違いざまに噛みつき、触手を伸ばし、距離を取ってはまた衝突する。
海が揺れた。轟音が水の中でも響いた。
「カラカラ……!」
ヴァルネスが笑ったように見えた。
骨だけのくせに妙に感情がある。
俺は『毒液生成』を撃ち込んでみるが──
効かない。
液体が骨に染み込まず、そのまま海に散っていく。
(……なるほど。死んでる奴には“状態異常”は無意味か)
だが焦る理由はない。
パワーで押し潰せるなら、ただそれをすればいい。
海中で互いに反転し、正面衝突へ向けて加速した瞬間。
俺は触手を背後へ何百本も伸ばし、推進力へ変換する。
水がひしゃげ、俺の影が一瞬で消える。
「カラ──?」
次に現れたのは、ヴァルネスの背後だった。
遅い。
ザリュドスはともかく、こっちは俺の敵じゃない。
「圧殺だ」
俺は触手で海中を包囲し、骨のサメを中心に“球体の檻”を形成した。
逃げ場はゼロ。
触手の壁が迫り、圧力が水を震わせる。
ヴァルネスがようやく危険を察した瞬間には、すでに遅かった。
「カラァァァ──ッ!」
乾いた悲鳴。
触手が音もなく閉じ、海が沈黙した。
次の瞬間──
ヴァルネスの身体は砕け、骨片が海に舞った。
消滅。
幽鰭王は、ここに終わった。
俺は静かに構えを解いた。
残るはただ一人──冥紺王ザリュドス。
ヴァルネスとザリュドス、残る二柱の王は──
俺とヴァルセリオンの前に立った瞬間、もう勝敗は決していたのだろう。
◆◆◆
ヴァルネスと対峙した俺は、海の奥底まで響く速度で互いに海流を切り裂き合う。
死人ゆえに毒も麻痺も通じない。ならば力で押し潰すだけだ、と顎を開いた瞬間──
「兄貴ィ!! 全部食っときました!」
いつの間にか背後からヴァルセリオンが飛びかかり、
骨のサメ・ヴァルネスの残骸をバリボリと豪快に完食していた。
「何してんだお前!!」
「えへへ、カルシウム多いんで」
……いや、そういう問題じゃない。
「てか、ザリュドスは──」
言いかけて振り向くと、
既にクールな冥紺王ザリュドスは海底に沈んでいた。
「終わりましたよ兄貴。こいつ、思ったより美味かったっす」
おい、速すぎるだろ。
……まぁいい。
残り物をもらい受けるか。
俺はザリュドスの魂の残滓を引き裂き喰らう。
瞬間、海が静まり返った。
『深界冷絶』
──周囲の水温が生物活動を奪うほど“無温”へと落ちる。
凍結ではない。生命そのものを静止へ追い込む死の冷気。
これは強い。
「……ふん、私たちの出番ではなかったか」
少し離れた暗い海層からアリシア達が姿を現した。
レッドは口をパクパクさせ、
カインは呆れたようにため息、
ルナはきらきら目を輝かせ、
エミナは震えている。
アリシアは目を細め、そして小さく呟いた。
「まさか……“深淵の王群”を二人で制圧するとはな」
海を覆っていた恐怖は、
今この瞬間、完全に払われたのだ。
俺とヴァルセリオンは軽く拳をぶつけた。
次の瞬間だった。
海そのものが「揺れた」。
潮流でも衝撃でもない、“意志を持った何か”が海を叩いたような振動。
「……ッ!?うおおっ!!」
俺とヴァルセリオンの体は、何が起こったのか理解する暇もなく、凄まじい圧力とともに海中を弾き飛ばされていた。
骨を軋ませる衝撃。体を貫く重圧。視界がぐにゃりと歪む。
「兄貴っ!!」
ヴァルセリオンの声が聞こえたが、その声すら海の振動に掻き消される。
イルカ達は少し離れていたため衝撃を避けられたようだ。しかし、俺達だけが“狙われて”吹き飛ばされたのは明白。
水中を転がるように数百メートル流され、ようやく体勢を整えた俺は、衝撃の方へ視線を向けた。
「……今の、なんだよ……?」
ヴァルセリオンでさえ息が上がっている。
イルカ達が俺たちへと泳ぎ寄ってきたが、その顔は青ざめていた。
普段どれだけ余裕を見せても、その表情だけは隠せない。
「な、なんだあれ……アリシア、知ってるのか?」
アリシアは唇を噛み、震える声で言った。
「……来てしまった……“本物”が……」
「本物?」
アリシアはゆっくりと目を見開き、俺たちの背後を指さした。
「……あれが、海の最奥に眠る──
深淵の王群の“原点”……
メガドロン:ボスだ。」
振り返った俺とヴァルセリオンは、
**そこに広がる“絶望の存在”**を見た。
海が暗く沈む。
巨影が海底から昇る。
光が吸い込まれる。
──そこにいた。
全長150メートルを優に超える、
深海色の装甲で覆われた“海の怪物”。
左目に刻まれた巨大な傷。
肉が裂けたまま固まったような無数の傷。
口を開けば、海水が震えるほどの咆哮が漏れる。
ただ漂うだけで、海の温度が下がっていく。
生物の悲鳴が遠くで聞こえた気がした。
メガドロン──「ボス」。
先ほどの吹き飛ばしは、攻撃でもない。
ただの“威圧”。
水圧の波一つ。
それだけで俺とヴァルセリオンは弾かれた。
「……ジャマダ。」
その一言は、
この海全部を震わせた。
そして俺とヴァルセリオンを、確実に“殺すための気配”が襲いかかってきた。
メガドロンのボスは辺りを悠然と見渡した。
「ふぅん……ウマソウナレンチュウ ガ タクサン イルナ、スベテ クッテヤル」
その一声と共に、巨大な体が揺れるたびに海面が波立ち、濁流が巻き起こる。次の瞬間、メガドロンは口を大きく開き、ホホジロザメを数十体、一斉に召喚した。巨大な影が海中に広がり、周囲の水流がねじれるように渦を巻く。
「おいおい、こいつもやりがいありそうだな!」
「そうね!!」
アリシア達イルカも瞬時に戦闘態勢を取り、尾鰭で水流を切り裂き、互いに間合いを取りながら周囲を警戒する。海中全体に嵐が巻き起こる。理由は明快だった――イルカたちとサメたちが、自由自在に海中を駆け回り、衝突と攻撃の連鎖を生み出しているのだ。
暗く深い海に、光と影が入り混じり、巨大な波と水柱が衝撃音を伴って立ち上がる。その光景はまさに、深海の戦場そのものだった。
レッドの炎が海中を赤く染め上げ、サメたちの群れに猛威を振るう。炎は海の中でも燃え盛るかのように暴れ、触れたものすべてを焼き尽くしていく。
カイルは静かに水中を舞い、鋭利な水の刃を自在に操る。その刃はサメたちの硬い鱗も容易く切り裂き、翻弄される群れに混乱を巻き起こす。
ルナはその瞳でサメたちを惑わす。キラリと光る大きな瞳に見つめられたサメは互いを敵と誤認し、混乱の中で互いに牙を剥く。魅了の力が渦となり、海中はサメ同士の共食いで悲鳴と血潮が飛び交った。
エミナは後方で静かに癒しを放つ。傷ついた仲間たちに生命の流れを送り、戦線を維持させる。彼女の存在がなければ、この嵐の中で仲間たちは容易く力尽きていたことだろう。
そしてアリシア。白と黒のツートンカラーのイルカは群れの前線に立ち、その圧倒的な戦闘力でサメたちを蹂躙する。彼女の固有能力『黒根源』は特殊な力で、対象者の体力や精神力を徐々に削り、戦意を奪う。
そして──
「メガドロンに攻撃を仕掛けろ!!」
「おうよ!!」
指示が飛ぶや否や、レッドが炎を全力で放ち、カイルの水の刃が高速で飛ぶ。ルナの瞳が輝き、魅了の力が海中を渦巻く。アリシアは圧倒的な力で黒根源を最大限に解放し、巨大なサメの群れのようにうごめくメガドロンに攻撃を叩き込む。
しかし──。
メガドロンは微動だにしない。その巨大な体はまるで海の底に根を下ろしたかのように静まり返り、傍観しているかのようだった。炎も水の刃も、魅了の力も、黒根源も──まったく通じない。
「ワズラワシイ」
たった一言、しかしその威圧感は海を震わせるようだった。発せられた瞬間、メガドロンは海中から一瞬で姿を消した。
「な──?!」
信じられない速度。図体に似合わず、メガドロンはルナに狙いを定め、巨大な口を開く。
「ルナ!!」
レッドの叫びが海中に響く──その瞬間、俺は本能的に飛び出し、ルナを抱え込む。ドン、と轟く衝撃音と共に、右足に衝撃が走った。
「アルくん?!!あ、あし!大丈夫?!」
「大丈夫だ、再生する」
触手と体液の再生能力が瞬時に働き、切断された部分は元通りに戻る。だが、そんな余裕はない。
ルナを安全な位置に置き、俺は深く息を吸い込み、巨大な敵、メガドロンと真正面から向き合う準備を整えた。
「クク、ソウカ、オマエカ、コノウミノシハイシャ
ヲ クイコロシタノハ──タスカッタゾ。オカゲデ、テマガ ハブケタ!」
カタコトで、発音も歪んでいて、何を言っているのかほとんど分からない。
まるで“異種の言語”を無理やり人語に押し込んだような、そんな不気味さがあった。
「喋るのが辛いなら、喋らなくていいぜ」
「ソウカ、ソレハ──アリガタイッッ!!」
その瞬間──海中が一変した。
爆ぜるような水圧のうねりと同時に、俺と“ボス”メガドロンの戦いが始まった。
でかい。硬い。恐ろしく強い。
だが──
速い。
見た目からは絶対に想像できない速度だった。
カジキの突進どころじゃない。
あの四名の怪魚たちよりも、さらに一段上──いや、数段上の速さだ。
海中を裂く音がする。実際には水中でそんな音はしないはずなのに、こいつの動きは物理法則を歪めているとしか思えない。
影が消え、次に見えた時には背後。
背後にいたと思えば、前方から噛みつきが迫る。
「っと…やるじゃねぇか」
水と闇が交錯する殺意の奔流。
まさに海の化け物の頂点。
だが、逃げる気なんざ、さらさら無い。
俺の触手が形を変え、刃と槍と杭のように展開していく。
「ソノテイド カ!!!!」
海を震わせるような怒声。
「うるせぇ、こっからだ!!」
ギアを一段上げようと、身体の奥に眠る“核”を開放しかけた、その瞬間だった。
海流を裂き、蒼い残光が一直線に飛び込んでくる
ヴァルセリオンだ。
「兄貴!!!」
ヴァルセリオンの声は焦りと苛立ちが混じり、いつもの余裕は一切ない。
メガドロンがこちらを向き、二つの眼が細くなる。
その目は、理解している目だ。敵の強さを測る捕食者の目。
「ヴァルセリオォォォォォン!!」
水中が揺れるほどの咆哮が漏れた。メガドロンの尻尾一撃──あれは冗談抜きで海底ごと砕く威力だ。
ヴァルセリオンの姿は遠くの暗い海へ吸い込まれるように消えた。
……さらば、お前のことは忘れない──
って、いやいやいや、忘れないけど今はそんな感傷に浸ってる暇がねぇ!!
目の前の化け物が問題だ。
「サア、ツギハ オマエダ……シハイシャヨォ……」
メガドロンの巨大な影が海を覆う。
その口が、さっきルナを喰おうとした時よりもさらに大きく開く。
周囲の水圧が音を立てて歪み、海そのものが怪獣の呼吸に脈動するようだった。
「調子に乗んなよ、化け物……!」
再生した右足を蹴るように水を裂き、俺はメガドロンに突っ込む。
メガドロンの眼がギラリと光る瞬間、
背後でアリシアの声が飛んだ。
「アル!! バフ掛ける!!
『黒根源・注入』!!」
黒い霧が俺の身体にまとわりつき、筋肉が異様な熱を帯びる。
視界が研ぎ澄まされ、世界がスローモーションに見えた。
「……いいね。これなら殴れそうだ」
「クルゾ、シハイシャアアアア!!」
メガドロンの巨体が弾丸のように迫る。
カジキより速い? 冗談だろ。
海そのものが避けてるレベルの速度だ。
だが、負けるわけねぇ。
「ガアァァァァァァァ!!」
メガドロンの咆哮が、海全体を揺らした。水圧が震えて、鼓膜が破れそうなほど響く。次の瞬間、その巨体が水を裂いて突っ込んできた。
速い。
見た目の何倍も、いや──海に存在する“速さ”の概念すら食って進化した化け物。
「クソッ……ッ!!」
アルセリオンは即座に触手を展開する。背中から黒い影のように十数本が伸び、蛇のような動きでメガドロンを拘束しようと飛ぶ。
だが──
バキンッ!!
一瞬で噛み砕かれた。
「おいおいマジかよ……!!」
触手再生、即座に再展開。
アルセリオンは間髪入れずスキルを叩き込む。
『触手連鎖刃』!!
『振動穿孔』!!
触手の先端が刃状に変形し、振動で水を裂きながらメガドロンの顔面へ連撃を叩き込む。
しかし──
ギギギギギ!!
硬い。こいつの皮膚、冗談抜きで海底金属より硬い。
メガドロンは片目すら動かさないまま、尻尾を振った。
ズドォォォォン!!
衝撃だけで海が爆ぜ、アルセリオンの身体が岩盤に叩きつけられる。
「ぐ、ぉ……ッ!!」
内臓が逆流し(ないけど)、血が喉から吹き出す(血もないけど)、再生しても追いつかないほどの衝撃。
だが、止まれば死ぬ。
俺は歯を食いしばり、触手で岩盤を突いて強制的に体勢を戻す。
「ハァ、ハァ……こっちはまだ……やれるっつーんだよ……!」
メガドロンはゆっくりとこちらを振り返る。
その動きだけで、海が揺れた。
圧倒的捕食者の視線。
殺意だけが凝縮された赤い光。
「アァ……コロス……」
「上等だよ……来いよ、海のバケモン……!」
メガドロンの巨体が再び消えた。
“見えない”
速すぎて動きが分からない。
次の瞬間、腹部を何かが貫いた。
「……ッ、がは……っ!」
見下ろすと、メガドロンの尾びれが槍のように突き刺さっている。
「いてェェェェェ……って、あれ? 痛くない?」
自分の腕を見て、俺は思わず固まった。普通なら、今の攻撃で骨の一本や二本は逝ってるはずだ。けど──
「……あ、そっか。俺、見た目もう完全に化け物だし、血もないし、内臓もないし、そもそも身体に“機関”とか無いんだったわ」
自分で言ってて怖くなった。
なら、俺って――何で出来てんだ?
そう思った瞬間、頭の中に響く声。
『……情報子です』
「じょ、情報子……?」
声によると、“情報子”というのはこの世界でも極めて特殊な因子らしい。物質でも魔力でも精神でもない。もっと根本的な、存在そのもののデータを形作る最小単位。
そして俺の身体は、その情報子だけで構築されている。
肉体ではない。
魂でもない。
情報そのものが形になった、“情報生命体”。
なるほど……そりゃ痛みもねぇし、血も流れねぇわけだ
理解した瞬間、逆に背筋がゾワッとした。
けど同時に、不気味なほどの納得感があった。
俺はもう“人間”ですらない。
でも、だからこそ、まだ戦える。
そして戦闘はいよいよ佳境に入った。




