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メメント・モリの溟海  作者: 閑野叶夢
第1章『黎明 and リフレイン』
9/10

【9】嵐来る夜と

 ***


 アプドマーレに帰ってきた俺とファルセは、すっかり顔馴染みになった衛兵の人達の横を通り、元気に木の枝を振り回して遊ぶ小さな子供達とぶつからないように気をつけながら、厄介になっている場所へ向かった。


 目的の家屋まで辿り着くと、俺は躊躇なく玄関扉を押し開けた。二人で異口同音に「ただいま」と告げると、俺達の挨拶に比べれば元気四割増かつ二人分の「おかえり」が返ってくる。


 俺達がもう既に三日間は世話になっている家には、ほんのりと何かが焼けるような匂いと、うっすらした煙が漂っていた。きっとマテルさんが何かしらを焼き、料理をしているに違いない。


「…今日のご飯は?」


 俺は尋ねた。問いを受け止めたフォルは、にぱっと顔を輝かせた。


「私が釣ってきた魚だよ!」


 そう言って、フォルは壁に立て掛けてあった釣竿をひっ掴むと、俺達に見せ付けた。「ちゃ〜んと皆の分、釣れたからね!」とフォルが嬉々とする一方、俺は膝から崩れ落ち、情けなく両手を床に垂らしていた。多分…恐らくだが、俺の隣で浮遊している魔導人形は、今頃勝ち誇ったような顔を浮かべているだろう。


「ふふ………信じていましたよ、フォル」


「あっ、もしかしてまた晩御飯の予想してたの?ごめんね、ルカ。今日は沢山釣れちゃったんだよ〜!」


 フォルは俺達が何をしていたのか察し、てへっと笑ったようだった。俺とて、フォルの釣りが上手く行って嬉しくない訳はない。それは当然だ。


 しかし──。


「私の二連勝…のようですね?」


 ───二連敗は、したくなかった………!!!


 昨日の探索帰り、俺とファルセは帰り道で献立予想……もとい『献立予想勝負』を始めた。特に褒賞も罰もない、ただの遊びに過ぎないが、たまには何かしらでファルセに勝ちたい、という邪な想いから俺が発案したものだった。


 初回の結果は、今日で二連敗という戦績の通り、敗北。フォルが釣りへと出掛けていたことを踏まえ、夕食は魚料理だという予想を打ち立てた俺であったが、なんとフォルの釣果は皆無(ゼロ)だったのである。結局食卓に並んだのは色んな野菜とベーコンがふんだんに用いられたマテルさん特製のパスタで、献立予想勝負は『魚以外の料理』に票を投じたファルセの勝利で幕を閉じた。何であんなにもズルい票の入れ方を許可してしまったのだろうか。


 そして今日の俺は、「今は魚の少ない時期とかなんじゃないか」という実に浅い想像を基に、それならばフォルの釣果は今日も芳しくない筈だと考え……敗北(いま)に至るという訳だ。


「さ、魚が焼き上がったよ!ルカとファルセちゃんはさっさと手洗って席に着いちゃいな!フォルはこのサラダお願い!」


「はっ、はい!」「わ、分かりました!」「は〜い!」


 厨房から飛んでくる声に、俺達三人はすぐに反応した。あのファルセですら、少し慌てた様子で俺と一緒に手洗い場へ直行するのだから、やはりマテルさんは凄い。


 ドタバタと食事の準備を整えた俺たちは、皆で丸卓を囲み、叩くように手を合わせた。






 夕飯の焼き魚は、どんな調理が施されていたのだろうか。外側はカリカリの衣、内側はフワフワとした柔らかい白身の絶妙な食感の違いには舌鼓を打つばかり。濃厚な白色のソースとの相性も抜群で、俺は瞬く間に平らげてしまった。


 後三日、四日もすれば、こうした美味しい食事とはお別れと考えると、途端に名残惜しい気持ちが湧いてくる。食材は旅先でも良いものを揃えられるのかもしれないが、肝心のマテルさん(腕の良い料理人)が居なければ、こうした食事にはありつけない。本来は栄養摂取を必要としないらしい魔導人形(マドール)の少女が、夕食だけは欠かさず口に運ぶのも、きっと『マテルさんの料理は美味しいから』という単純な理由あっての事だろう。


 ───そう言えば、ファルセって料理出来るのかな。


 ふと、そんな疑問が降って湧いた。何処か高貴さすら感じさせる佇まいに、絹糸のような艶のある黄金色の長髪、そしてぱっちりとした花緑青(はなろくしょう)の瞳も相まって、見た目からすればご令嬢という言葉が似合うファルセ。その博識ぶりもあって、出来ないことなんてなさそうな、ぴしりとした雰囲気を醸し出しているが───。


「…む、私の顔に何か付いているのですか」


 俺の不躾(ぶしつけ)な視線は、すぐに気取(けど)られた。


「あ、あぁ、いや、そういう訳じゃないんだけど…その、マテルさんのご飯って美味しいよなぁって考えてたら、ファルセも料理って出来るのかなぁ、なんて急に気になってきちゃってさ……」


 思ったことをありのままに語った俺の言葉に、マテルさんが「嬉しいこと言ってくれるじゃない」と笑う間、ファルセは暫し迷うように黙っていたが、やがて、


「料理…は出来ないでしょう。この身体では」


 と淡々と告げた。そして、「それ以上、何を言う必要もない」とでも言いたげな様子で、ルベレの注がれたジョッキに刺してある細管(ストロー)に口を付ける。何だか言い方が少し回りくどいような。


「……この身体ではって……あ」


 ファルセが意味ありげに放った言葉の末尾を切り取り、口の中で転がしながら、改めて隣の魔導人形の少女へ目線をやって───非常に単純な、ファルセの言わんとする答え、その理由に思い至った。


「…小さい身体じゃ、包丁で何かを切るのも、皿を運ぶのも至難の技だ。ファルセちゃんの料理の腕の善し悪しはさておくとして……そりゃやりづらいだろうねぇ」


 ファルセの考えを代弁したのは、苦笑い気味のマテルさん。魔導人形の身体は、人間のそれに比べれば遥かに小さい。色々不思議な所、すごい所はあるにせよ、見てくれは掌規模(手の平サイズ)の人形、それ以上でもそれ以下でもないのだ。人間に合わせて拵えられた道具や調度品は、使いづらいに違いない。ファルセが頼りになり過ぎるからだろうか、そうした当然のことが頭からすっぽり抜けていた。


「…ま、旅先でも美味しいご飯が食べたいって言うんなら、飯屋に行くなり、自分で上手いこと作るなりしなきゃいけないね。……それか、ウチの子でも連れてくかい?」


 ──連れてっていいんですか!?


 と叫び出しそうになるのを、危うく抑え込む。ここでそんな反応をしてしまっては、恐らくマテルさんの思うツボなのである。そうして、ルベレ入りの木杯を口に運ぶ途中の、実に中途半端な体勢で俺は(しば)し硬直した。そして、「冗談だよ」というマテルさんの言葉を待った。


 しかし、ついぞ待ち望んだ言葉が俺の耳に届くことはなかった。かわりに聞こえてきたのは、「お母さんよりは上手くないけどね〜」なんていうフォルの呑気な声だ。彼女も彼女で否定をするつもりはないらしい。まるで冗談でないように聞こえるのは…気のせいなのか?


 言葉を失う俺の隣で、魔導人形の少女は僅かな身動ぎすらもしないまま、沈黙を保っていた。もう少し何か反応してくれても良いのでは……と思わずには居られない。それとも、小揺(こゆるぎ)もしない鉄面皮の裏には、実は驚きの表情が隠れていたりするのだろうか。


 眉を顰めつつ、話す内容を頭の中で纏めることもしないまま、ぞんざいに口を開こうとした、その瞬間。


 ガシャアッ!という、金属が何かを叩いたような、とにかく尋常ではない音が耳朶(じだ)を打った。


「!」


 各々の息を呑む音を合図にして、先程までは賑やかだった室内に、唐突な静けさが満ちる。耳を澄ませてみれば、人のざわめきらしきものも外から聞こえてくる。何が起こっているのかは分からないが、アプドマーレで何かしら異常なことが起きている、ということだけは間違いなさそうだ。


 玄関から程近い席に腰を下ろしていた俺が、先行して腰を浮き上がらせると、玄関扉が何の前触れもなく、いっそ乱暴とも思えてしまう程の勢いで開け放たれた。皆が目を見張る中、緊迫感を伴う問い掛けが部屋中を叩く。


「…剣士の坊主と人形の嬢ちゃんは!」


 俺とファルセは互いに顔を見合わせ、胸中に嫌な予感を宿しつつ、突然訪問してきたおじさん──誰かと思えば、つい先日、俺達が魔獣が多く現れる場所を教えてもらった農夫の人だった──を落ち着かせ、状況の説明を促した。


「村の中に、この辺りじゃ見たこともねぇ魔獣が入り込んで来たみたいなんだ。衛兵の連中も戦ってくれちゃいるが、さっき吹っ飛ばされてるのを見てよ………」


 そう説明するおじさんの顔は青ざめ、何処か呆然としているようで、声も確かに震えていた。先程の大きな金属音は、全身鎧を着込んだ衛兵の誰かが吹き飛ばされ、そして地面に叩き付けられた音…?そんな馬鹿な、と思ってしまうが、それ以外には説明がつかない。


「…この村にゃ、衛兵を軽くあしらっちまうような魔獣と正面切って戦えるような冒険者(ヤツ)は居ねぇ。だから、頼む。この村の為にも、あの衛兵共の為にも、力を貸してくれねぇか」


 深々と下げられた頭に、つい二つ返事を返しそうになったものの、寸前で思いとどまる。俺は、自分の右掌に視線を落とした。果たして俺は、衛兵よりも強くて、頼りになる存在なのだろうか。俺がこの手で剣を振るって、勝てる相手なのだろうか。訥々(とつとつ)と湧き出るのは不安ばかりで、自信も保証も見当たらない。


「…衛兵の人が勝てないような相手にどこまで戦えるのかは、正直分かりません。俺が力を貸してみたところで、どうにもならない、かもしれません」


 どんな魔獣かはいざ知らず、この辺りに出没する数々の《エピ級》魔獣を相手取ってきた筈の衛兵が、手も足も出ないような相手というなら、それは《メソ級》以上の魔獣である可能性が高い。そうなると、勝率は最早限りなく低い…と言ってしまっていいだろう。


「…でも、俺はこの村を──この村の皆を守りたい。だから、任せて下さい」


 主観的に見ても、客観的に見ても、勝てる見込みは少ない。けれど、こんな状況で逃げるという選択をしたなら、誰よりも俺自身が、きっと自分のことを許せない気がした。


「…戦わない、だなんて言っていたら、見損なうところでしたよ。無論私も、力を貸しますから」


 俺の決断を待っていた、と言わんばかりの声音で、ファルセは俺に続いた。


「…ありがとう、二人共。私達は先に行って負傷者の手当てをしよう。悪いけど、魔獣の相手は二人に任せる。装備を整えたら、外に来なよ」


 おじさんに代わって、マテルさんはそう言い残すと、フォルとおじさんを引き連れて足早に家から出て行った。


「外に居る魔獣が何かって、分からないのか?」


 俺はメルクスさんの部屋に戻り、防具一式を身に付けながら問う。

 ファルセには、一度会敵した魔獣であれば、魔力を感知してその数や正体を把握出来る能力がある…らしい。どうやってるんだかは全く分からないにしろ、探索においては幾度となく助けられてきたものだ。


「それが、魔力探知の…範囲外のようなのです」


「……()()()?知らない魔獣とか、そういう訳じゃなく?」


「何となく気配は分かりますが……その程度です。逆に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に、ここは襲われている、ということです」


 ぞくっ。


 そんな音が、俺の背中から聞こえてきたような気がした。


 ファルセの魔力探知が可能な範囲は、決して小さくはない。ファルセと出会ってからの冒険を通じて、それが身に染みている俺は、少なからず衝撃を受けてしまった。そんな俺の動揺を見抜いたのだろう、ファルセは即座に、


「怖気づきましたか?」


 なんて問い掛けてくる。人を煽るような質問ではあるものの、普段とは違って意地悪めいた響きを感じ取れない。俺は何となく、この人形少女の問いの中にある真意を察した。


「……いいや、怒った時のファルセよりは怖くないよ」


 刹那の空隙の後、ペシィッという音を伴って、俺の頭に小さな掌が叩き付けられた。「いてっ!」と声を上げると、ファルセは「当然の報いです!」と言い放ち、膨れっ面を俺に向けた。まぁ、当人の言う通り当然の報いだ。


 しかし、俺の気持ちもある程度は伝わってくれたのだろう。ファルセはそれ以上、文句を垂れることも、何を聞くこともなかった。


 抜け目なく防具を身に付けた俺は、最後に壁に立て掛けてあった剣へ手を伸ばした。そして、その鞘を握った瞬間。


「…!」


 目の前が真っ暗になった。いや、真っ暗などという言葉では全く足りていない。真っ黒だ。例え明かりで照らそうとも、何も見えやしないと分かる程の純黒。でも、こんな光景には不思議と見覚えがあった。


 二度三度、首を回して。二度三度、身体の向きを変えて。待ち望んだ存在は、ようやく現れた。


「…あの時の影…なのか?」


 目の前に現れた、影のようなモノ。それは、浜辺で目覚めてファルセと出会う前、今足を踏み入れているのと全く同じような謎めいた空間の中で、俺に一方的に話し掛けてきた存在。


「誰かを助けるために、何かを守るために剣を取る………それで良いんだ」


 今回も当然のように俺の質問については答えないまま、影はそんなことを言ってきた。突然のことに何を話せば…というかどう反応していいやら分からず、答えに窮していると、影は勝手に続ける。


「…それが出来る人間こそ、お前が憧れていた英雄なんだ」


『英雄』という言葉に、胸がドキンと跳ねる。何だか、他人に知られたくない恥ずかしい秘密でも暴露されたかのようだ。それを味わうのと同時に、頭の中で朧気な映像が浮かぶ。二本の剣を携えて、どんな苦境にあったとしても、最前線で戦い抜く──正に絵に描いたような英雄の戦い様。


 彼は、臆することがあった。悩むこともあった。()(つくば)ることだってあった。けれど……それでも諦めることなく、絶対に立ち上がった。彼が守りたいモノを、彼が守りたい世界を、守るために。それこそ俺が認めた『英雄』の生き様であり、そして、俺の憧れそのものだった。


そう、他の誰でもない、『俺』の。


 影の言葉が引き金となって、どうして忘れてしまえていたのか疑問に思ってしまう程の、強烈な憧憬(しょうけい)(よみがえ)る。これはきっと、記憶と共に失っていた、俺が俺である為(アイデン)に必要な想い(ティティ)だ。


「…なぁ、どうしてあんたは、俺の事を…?」


「今のお前にとっては、必要な事だと思った。それに、前に聞いてきただろ?『どうして自分が』って」


 今度の問いには、影はあっさり返答してくれた。確かに俺は、前にこの影と話した時、最後に聞いていた。世界を救えという言葉に、『どうして俺がそんなことをしなきゃいけないのか』と。その理由が……まさか、俺がそうしたかったから、だったなんて。


「…そろそろ時間だな」


 やはり突然、影はそう告げてきた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!あんたにはまだ聞きたいことが──」


 そう口走る内に、視界の外から爆発的な速度で白い波が迫り、先程までは漆黒の色に染っていた空間を、正反対の色で塗り替えてしまった。俺は反射的に瞼を閉じて、漆黒の世界へ逃げ帰り、やがて目を開いてみると………怪訝な顔を浮かべる小さな妖精の姿が、程近くにあった。


「おわぁっ!?」「 はにゃっ!?」


 驚きのあまり、情けない声を漏らしながら尻もちをついてしまう。そんな俺の姿に驚いたのか、目の前にいたファルセも謎の声を挙げ、そして先程よりも怪訝そうな…本気で心配しているような表情で俺のことを見下ろした。


「ど…どうしたのです」


「あ、あー……いや、ちょっとぼーっとしてた」


 ファルセには申し訳ないけれど、ありのままに起きたことを話すには時間が足りない。俺は実に怪しげな言い訳をしながら、こめかみの辺りを指で掻いた。ファルセの表情はより一層曇ったが、すぐにため息一つをついた後、よく見る呆れ顔に戻って言った。


「いつまでも呆けてないで、ほら、早く行きますよ」


 疑問や叱責のかわりに俺に向けて投げられたのは、急き立てる言葉だった。素直に頷き、立ち上がって、浮遊するファルセの後に続いてメルクスさんの部屋を後にする。


 自分のこと。影のこと。分からないことはまだまだ沢山あるけれど、少なくとも今するべきことと、自分がしたいことは、分かった。新たにした決意を胸に、俺は戦場となりつつあるアプドマーレ中央広場へと踏み出した。


 ***

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