【6】小さな村と夕食と
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俺達が二人揃って記憶喪失であることや、その為にどこから来たのかは全く知らないこと(寧ろこっちもそれを知りたいこと)、これから向かうフォルの故郷であるアプドマーレを含めた、この辺りのある程度の地理なんかについて話していると、やがて進む道は鬱蒼とした森を抜け、集落の門前まで辿り着いた。
「さぁ、着いたよ!ここがアプドマーレ。ちっちゃな村だけど、良ければゆっくりしてってね!」
フォルは歓迎の言葉を口にすると、村の前に佇む、金属製の重厚な全身鎧に身を包んだ仏頂面の衛兵の方に、パタパタと走り寄っていった。恐らく、俺達のことを説明してくれるのだろう。
「おぉ〜…!」
一方の俺は、感嘆の声を漏らしていた。俺の肩に腰を下ろしていた魔導人形も、そんな声を出すようなことはなかったが、軽く飛び回って、村の様子を確認しているようだ。
ちっちゃな村、と言われるだけあって、確かに集落の規模としてはこじんまりとしていた。活気がない訳ではないのだろうが、特に往来が賑々しいということもなければ、道の両端に売店が軒を連ねている、なんてこともない。部外者の来訪というのは、あまり想定していないのだろう。
とはいえ、それが気を落とす理由にはならない。チラホラと見える村人の姿に、俺はただただ、言いようがない程の安心感を覚えるばかりだった。暫くぽけーっとしながら村の様子を眺めていると、話を終えたらしいフォルが、やはりパタパタと戻ってきた。
「お待たせ!衛兵さんに二人のことは説明しておいたから、自由に出入りして大丈夫だからね」
「ああ、助かるよ」
フォルに礼を言いつつ、ふと衛兵の方に視線をやると、俺が見ていることに気付いたようで、微笑みながら小さく会釈をしてくる。見ず知らずの放浪者たちにも好意的な反応をしてくれることに安堵を覚えつつ、俺も控えめに頭を下げた。
「それじゃ、行こっか!」
そう言って歩き出したフォルの背中を追いかける。後ろに見慣れない人と人形のコンビを従えている為か、フォルが道行く村中の人々に話し掛けられ、随分と時間は食ったものの、暫くすると一つの住居の前に到着した。
先導するフォルはこちらに振り返り、ニコッと笑顔を向けると、その家の玄関扉を躊躇いなく押し開け、「たっだいまー!」と元気よく言い放った。多少の躊躇を押し殺した俺も続き、挨拶をする。
「お、お邪魔します!」「お邪魔します」
部屋の中に入ると、さらに奥の方にある部屋から誰かが出てきた。
「おかえり、フォル!……って、見ない顔だね?そちらさんは?」
やや短めに整えられた深い緑の髪をたくわえ、金色の瞳を備えているその人は、見た目からしてフォルの母親であろうか。
「こっちがルカ、こっちがファルセだよ。さっき森の方で魔獣から助けて貰って、お礼がしたかったから、連れて来たんだ!」
「そうかい、娘が随分世話になったみたいだね!……礼っていうなら、取り敢えずご飯でも食べて行きなよ」
やはり天真爛漫なフォルとは性格もそこまで違わないのか、かなり急な話だったにも関わらず、フォルのお母さんは殆ど悩むような素振りすら見せないまま、俺達を食事へ誘ってくれた。
チラッと右肩に乗るファルセの方を確認してみると、即座にこくりと頷きを返してくれた。ファルセは食事を必要としない魔導人形である為、その横で自分だけ美味しい食事にありつくのはどうかと思ったのだが、その位は織り込み済みだったようだ。
「それじゃあ…ご馳走になります」
「…って言っても、食事が用意できるまではもう少し掛かるんだ。その間、何があったのか聞かせてくれないかい?」
俺達は快諾すると、暫くフォルと会話するような形で、先程までの出来事や、自分達のことについてをフォルのお母さん──マテルさんというらしい──に聞かせた。
それに加えて、フォルは自分達のことについても教えてくれた。フォルの一家は三人家族であること。フォルとマテルさんが木こり仕事を行う一方、お父さん──メルクスさんというらしい──は普段、ここから北の方にある街や、さらにその北に位置する《王国》の方まで出向いていて、アプドマーレの特産品を売り出したり、アプドマーレでは手に入らないものを買ったりする、商人仕事に精を出しているらしいこと。その為、今は家を空けていて、フォルとマテルさんの二人で暮らしているということなどなど。
一通りそんな話が終わると、俺達が向かっている円卓の上に、マテルさんお手製の料理が並ぶ。中央には瑞々しい野菜のサラダ、そして各人の前には、程よいサイズに切られたパンと、色とりどりの具材がゴロゴロと入っているシチューが置かれた。昨日からまともな食事にありつけていなかった俺にとっては、あまりに刺激的すぎる匂いと光景に、思わずお腹が盛大に鳴る。それを他の三人に盛大に笑われてから、俺達は皆揃って手を合わせ、食材とマテルさんに感謝を述べ、食事を始めた。
人の家で出された食事にがっつく、というのは、流石に礼儀上はあまりよろしくないのだろうが、今の俺に体裁を気にする余裕はなかった。忙しなく木のスプーンを動かし、口の中にシチューを放り込み、反対の手で持ったパンを噛み締める。それを夢中で繰り返していると、隣で小さなシチューを食べているファルセ──必要はないが、どうやら多少の食事を摂ることは可能らしい──に「がっつきすぎですよ」と困惑気味に声を掛けられた。「だって、美味しすぎてさ……」などと反論すると、マテルさんには「まだ沢山おかわりはあるから、喉に詰まらせないようにゆっくり食べな」などと笑いながら諭される。まるで二人のお母さん(実際一方はお母さんな訳だが)に注意されたような不思議な気分になりつつ、俺は食事を楽しんだ。結局、俺はシチューとパン両方ともおかわりを貰った。
皆の前の皿も空になり、食事も後片付けの段階に入った頃。ふとマテルさんは、フォルに向かって真面目な口調で聞いた。
「…そういえば、魔獣が出たってのは、どの辺りのことなんだい?」
「んーと…南の方にちょっと進んだ辺りの森の中だよー。普段はあんな所に魔獣なんて居ないからびっくりしちゃった」
確かに、フォルは魔獣を見つけた時には、かなり大袈裟に驚いていた。樹木型の魔獣なんて、森に囲まれたこの辺りの土地では頻繁に見掛けそうなものだが。
「うーん…ちょっと衛兵の子達に知らせといた方が良いかもしれないね」
「…魔獣の行動範囲が拡大している、という訳ですか」
マテルさんの呟きに反応したのは、俺のことを宥めつつも、自身もかなりの勢いでシチューとパンを平らげていたファルセだった。
「あぁ、皆が魔獣に出会ったような場所じゃ、フォルの言う通りこれまで魔獣なんか見なかった。出るとしても、魔獣が比較的活発になるっていう、夜だけだった筈さ。だから何か……嫌な予感がしてね」
そう言うと、マテルさんは空になった食器を重ねて、厨房へと運んで行った。やがて、食器を洗うような音が聞こえてきた所で、フォルが何かを思い出したかのように手を叩く。
「二人共、《ルベレ》は飲む?」
「ルベレ……というのは?」
そう聞き返したのは俺ではなく、隣の博識(の筈の)魔導人形だ。今まで彼女が知らないことなんて殆どなかったような気がするので、何とも意外である。
「えっと、略さず言うと《ルベレセンス》だね!森の方にも実ってるルベリーっていう果物を加工したジュースで、甘酸っぱくて美味しいんだ〜。私は食後に飲むことが多いから、二人もどうかなと思ってさ!」
ルベリー、と言われれば思い当たる節があった。昨日飢えを凌ぐ為に口にした、あの赤々とした小さな果実のことで間違いないだろう。そのままでは、噛み潰すと思わず渋い表情を浮かべてしまう程には酸っぱく、甘みはついでのようなものだったが、飲み物に加工されるとどうなるのか。つい味を想像してしまったからか、俺の喉がごくりと鳴った。
それを聞いてか聞かずか、ファルセは指を二本立てて「では、一杯ずつ頂いてもよろしいですか」と注文した。それを受けたフォルは、大きく頷いて厨房の方へ移動すると、すぐに木製のジョッキを三つ持ってきて、各々の前に置いた。ファルセのだけは、細管が刺さった特別仕様になっているようだ。
礼を言って受け取り、中身を見てみると、やはり見覚えのある色の液体がなみなみと注がれていた。勢いよくルベレを口に流し込むフォルに倣い、そそっかしくジョッキに口をつけ、味を確かめてみる。
──美味っ!!
俺は目を見開き、心の中でそう叫んだ。砂糖か何かで調整しているのだろうか、野生のルベリーとは甘味と酸味のバランスが逆転している。それでいて決してくどくなく、むしろ酸味のせいか、次の一口を欲しがってしまうような絶妙な味付けだ。俺はジョッキを大きく傾け、躊躇なくあおった。
あっという間に一杯のルベレを飲み干してしまった俺は、性懲りも無く厚意に甘えておかわりを貰った。そしてフォルの何気ない一言をきっかけに、取り留めのない──とはいえ、今の自分にとっては全てが真新しい情報で彩られている──談笑が始まる。やがて後片付けを終わらせたらしいマテルさんも参加してきて、時間は溶けるように過ぎていった。
二杯目のルベレを最後の一滴まで自身の口に流し込みながら、ふと村の中心部を望むことが出来る、大きめの窓に視線をやると、風景全体がすっかり夕焼けの色に染っていることに気が付く。それと同時に、今日の寝床のことについて、何にも考えていなかったことにも気付き、俺は思わず目を見張る。例え俺達が宿を取っていようが取っていなかろうが、無慈悲に陽は落ちるし、魔獣は活発になる。
取り敢えず、宿を取らねば。そう思い立った俺は、フォルとマテルさんにとある質問を投げ掛けた。
「……そもそもここに宿なんかあったっけ?」
「いーや、ないね」
「ええぇっ!?」
問いに対して返ってきたのは、俺の予想の斜め上……この場合は斜め下になるのだろうか、とにかく予想外の返答だった。俺のした質問は「この辺で良い宿はあるか」というものだったが、それに対する答えが「そも宿なんかないよ」というものだったのだ。俺の脳裏で『野宿確定』という四文字が弾ける。
「…当然ではありませんか?見たところ、ここ…アプドマーレは自給自足の側面が強い集落のようですし、皆それぞれ持ち家があるでしょうから、こんなところで宿屋を営むだけ、損というものです」
俺と同じ立場にいる筈の魔導人形の少女は、驚く俺のことを何故か冷ややかな正論で打ち据えてきた。「まぁそういうこったね」とマテルさんも同調する位には、正論である。実際、あまり来訪者を想定していない村だろう、とは俺も当たりを付けていたので、宿があるものと決めつけたのは俺のミスだ。もう少し優しめに指摘して欲しかった感はあるが。
しかし、宿泊場所がなければ、ファルセも困るんじゃないのか……とまで考えて、ハッとする。もしや、ここに泊まらせてもらうつもりなのだろうか。俺はともかくとして、ファルセ程の小さな人形体であれば、フォルかマテルさんの寝台の一角を間借りするというのも難しくはないだろう。そう考えると、ファルセが妙に落ち着いているのも、不思議ではないことのように思えてくる。
それじゃ……俺は?
残念なことに、俺はファルセと同じ術は使えない。身体の大きさはもちろん、それ以前に、出会ったばかりの異性と同じ寝台で一夜を共に…など、出来る訳がない。となれば野宿をするのは必定だが、果たしてファルセの援護なしで、無事に夜を明かせるか…と言うと、全く自信がないというのが正直なところだ。ぐーすか寝ていたら、魔獣に襲われ、そのまま今度は二度と覚めない眠りにつく……なんてオチは少し、いや大分洒落にならない。それじゃここは、再三ご厚意に甘えてリビングの床を借りるしか───。
「それじゃあウチに泊まっていきなよ!」
顎を指でさする俺の思考を中断させたのは、これでもう何度目かも分からなくなってきた、ありがたい申し出という奴だった。驚きつつも顔を上げてみると、緑髪の女神が溢れんばかりの笑顔を浮かべ、机の上に身を乗り出し手を挙げていた。馬鹿げたことを思ってしまうくらいには、フォルは優しく、何だか眩しかった。
その眩しさに目を灼かれながらも、俺は色々と問い返さずにはいられなかった。
「い、いいのか?………というか、泊まれるのか?」
俺が発した二つの問いを、フォルは「いいよね?」という言葉と共に、そっくりそのままマテルさんへと横流しする。マテルさんはほんの一瞬だけ視線を宙に泳がせた後、口元を緩めた。
「もちろん良いさ。どーせウチの旦那もすぐには帰ってこないだろうし、この村にいる間は、そこの部屋を好きに使ってくれて構わないよ」
マテルさんは玄関口から見て一番左の方にある部屋を指差した。つまりは、あそこが一家の大黒柱であろうお父さん──メルクスさんの部屋なのだろう。いくら普段使っていないとはいえ、部屋を丸ごと一つ貸してくれる、というのは太っ腹が過ぎるような気がしないでもなかったが、野宿を嫌がる気持ちに打ち克つことの出来なかった俺は、結局フォルとマテルさんの厚意に甘えることにした。それについてファルセに意見を求めてみると、「貴方がそちらと決めたなら、それで良いと思いますよ」という、皮肉ってるんだか、それとも純粋に背中を押してくれてるんだか、絶妙に判別出来ない返答をされた。
少々迷いながらも、改めて暫し世話になる旨を伝えると、家主である二人は顔に笑みを湛えたまま、首を縦に振った。フォルはすぐさま俺達をメルクスさんの部屋に連れていくと、使って良い調度品と触ってはいけないものなんかについてを事細かに教えてくれた。とはいえ、メルクスさんの仕事に関連するもの以外は好きに使ってくれていい、というのが簡単な結論だった。
一通り部屋の紹介を終えたフォルは、「後は…着替えとかタオルとか持ってくるね!」と言うや否や、部屋を飛び出して行ってしまい、唐突に俺とファルセは二人きりになった。感覚としては置き去りにされたような感じだ。俺が思わず呆けていると、急にファルセがクスッと笑みを漏らす。
「…優しいですね、あの方々は」
「同感だよ。優しさに甘えすぎて、結構申し訳なくなってきた位だ」
俺は鎧を繋ぎ合わせるいくつかの留め具に手を掛け、ずっと装備しっぱなしだった軽鎧を一つずつ身体から外しながら、そう応えた。人一人の命を助けた。そう考えればこれくらいの歓待も、あるいは当然なのかもしれないが、既に俺の胸中には罪悪感にも似た申し訳なさが渦巻いている。
「私もそれについては…同感です。とはいえ、素直にオルド硬貨を渡して受け取ってくれるような方々とも思えませんから…何かしら時機があれば良いのですが」
「そうだなぁ…」
今度は腰から剣やポーチ付きの腰帯を外しながら、俺もファルセと全く同じことを考えた。フォルやマテルさんは少々優し過ぎるが故に、素直に「宿泊料(+その他諸々料)です!」と言ってお金を手渡しても、「自分で使いな(よ)!」という声と共に返ってくるような気がして仕方ないのである。あるいは、案外あっさり受け取ってくれる可能性もあるにはあるが……不思議とそんなことにはならない気がしてしまう。
終わりのなさそうな問答に見切りをつけ、自分が存外汚らしい格好をしている──砂浜に倒れたり、魔獣と交戦していたりしたのだから、当然と言えば当然である──のに気付き、辟易しながら全身の汚れ具合を確かめていると、不意に部屋の扉がコンコンと叩かれた。
ファルセが「どうぞ」と応えると、ギィと音を立てながら扉が開き、フォルが「失礼しまーす!」という言葉と共に現れた。腕の中には、いっぱいの衣料品とタオルの類を抱えている。それをメルクスさんの作業椅子の上にドサッと重ね置いたフォルは、こちらに向き直り、突っ立っている俺の全身を上から下まで抜け目なく、まじまじと見つめてきた。何かついてるのか、とまで考えて、フォルが部屋を訪れる前に自分がしていたことが脳裏に浮かぶ。
続いて、ファルセの方にも俺に対してのそれと同じような視線を向けてから、フォルはにこやかに切り出した。
「お風呂、入りに行こっか!」
その言葉を否定する権利を、俺はおろか隣の魔導人形でさえも、持ち合わせてはいないのだった。
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