【4】心配と魔獣と友達と
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翌朝、俺よりも遅く寝た筈なのに俺よりも早く起きたらしい魔導人形──ファルセに文字通り叩き起され、俺は無事に目覚めることが出来た。立ち上がり、身体をぐいぐいと様々な方向に伸ばしてみると、何とも節々が小さく悲鳴を上げている気がしなくもない。
──どうか今日は、ふかふかのベッドに寝転がれますように……。
そんな俗っぽい願いを抱きつつ、ファルセを定位置である左肩に乗せて、俺は一夜を過ごした拠点──とは言っても、無事鎮火された焚き火と簡易的な寝床くらいしかないが──に別れを告げた。
昨日と同じように、ファルセが指示してくれる方向に向かってひたすら足を進めていく。暫く前進し続けた後、定期的な浮遊偵察を済ませたファルセは俺の左肩にそっと着陸し、そして告げた。
「この調子であれば……あと一時間もしない内に、目的地には到着出来るかもしれませんね」
「ホントか!? ようやく、この変わり映えしない森から脱出出来るんだな……!」
「……目的地の村も森に囲まれていますから、脱出か、と問われれば微妙なところですけどね」
「……い、いやまぁ……新しい景色が見られるなら十分だよ、うん」
実際、昨日人里を目指して出発してからは、どこまで行っても視界は大して代わり映えしない緑色に占められていて、最初こそ音を立てて震えていた冒険心もいつの間にやら、なりを潜めてしまっている。そんな何処か作業じみてきた旅路ではあるが、ファルセが居てくれるおかげで寂しくはないし、楽しくないこともない。ただ目新しい何かを欲しているのも、間違いなく俺の本心の一つだった。
取り敢えず、今向かってる村はどんな所なんだろうか、とか、村に着いたらどうしようか、とか考えて色々と妄想を膨らませていると、ふと湧いてきた疑問があった。
「……なぁ、ちょっと聞いていいか?」
「なんでしょう?」
「ファルセはさ、今向かってる村に着いたらどうするつもりなんだ? 俺は生活の為に色々やらなきゃだろうけど、ファルセは魔導人形だし、そういうの必要ない…んだよな?」
「…そうですね。貴方と違って、確かにやることは少ないでしょう。貴方と同じ理由で今目指している村に立ち寄る必要もないでしょうね」
「そうだよな…」
俺の質問に対するファルセの答えは、殆ど脳内で予想していたものと同じだったが実際にそう言われると、胸の中に寒々しい隙間風が吹き込んでくるような感じがした。
もうコンビ解散の時が近いのだろうか。そう文字にして頭の中で浮かべてみると、寂寥と納得とが同時に首をもたげてくる。元々、ファルセに必要なのは長距離を移動出来る手段だ。小さな村とはいえ、俺よりも高性能な移動手段などごまんとあるだろう。俺にとってファルセが必要でも、ファルセにとって俺が必要とは限らない。
──ファルセがいなくなっても……俺は、大丈夫なんだろうか。
何とはなしにチラリと自分の左肩に視線を投げると、ジトッとした……というよりは力の抜けたような目でこちらを見ているファルセに気付く。
「……そんな顔をしないで下さい。私は別に、貴方と別れて行くだなんて口に出してはいませんよ」
「え……え?」
自分の考えていたことが呆気なく見抜かれたことに、俺は思い切り動揺した。
「はぁ〜……貴方、自分が先程までどんな顔をしていたのか、分かっていますか?」
「……どんな顔、してました?」
「例えるなら……土砂降りの雨の日、道端に捨てられている子犬と言ったところでしょうか」
「忘れてくれ……」
俺の懇願に対して、「さあ? どうしましょうかね」と怪しげな笑みを浮かべる恐ろしき人形少女は、一通り肩を上下に動かした後、普段の真面目らしい態度に居直ってわざとらしく咳払いをした。
「……コホン。とにかく、村に着いた時にまた改めて話したいところではありますが……昨日私達が結んだ協力の約束に関わらず、私は暫く貴方と共にいます。貴方一人は少々心配で放っておけませんし……」
「そんなことはないと言いたいけど……反論しづらいな」
「それに……ん? 止まりなさい、ルカ」
何事か話し始めようとしていたファルセは、しかし手振りで俺のことを制しつつ話を中断した。恐らく初めて名前で呼ばれたことに戸惑いながら、俺は反射的に問い返す。
「あ、あぁ。一体どうしたんだ?」
ファルセはすぐには答えず、俺の肩からふわりと飛び立ち、俺から見て左の方角を向いたまま何やらじっと集中し始めた。やがて、ファルセは内緒話でもするかのような声量で俺の問いに答えた。
「姿は見えませんが、この先に魔力の反応があります。恐らくは……魔獣でしょう。どうやら、本格的に人里に近付いてきたようですね」
「え? 人里に近いと魔獣が多いのか?」という質問が喉の辺りまで込み上げたが、俺はどうにかそれを呑み込んだ。今大事なことは、見えないながら確実に目の前に迫っているのだろう魔獣に対し、どうするかだ。上手く気付かれずに避けるのか、あるいは討伐するのか。
やはりと言うべきか、ファルセも同じことを考えていたのだろう。暫しの沈黙を挟んだ後、口を開いた。
「魔力反応の大きさからして、決して強い魔獣ではないでしょう。それに、魔獣は通貨である《オルド》を核としています。討伐出来れば、この後の資金源にもなりますね。ですが、実際に戦うかどうかは……貴方に委ねます。どうしますか?」
僅かに逡巡した後、俺は腹を決めた。
「…戦おう。この後使うお金も欲しいし、何より、俺がどこまで戦えるのか、この剣を満足に振るえるのか確かめたい」
「分かりました。では、戦況を見つつ私も援護します。ひとまずは、自由に戦って下さい!」
「あぁ、やってみる!」
俺はファルセの様々な忠告に耳を貸してから、前方の樹木の隙間を駆け抜け、少し開けた場所で件の魔獣を見つけた。体長は優に一メートルを超えようかという大きさの猪型魔獣。身体の至る所に仄かに発光する太線が走っているのに加え、目も同様の光を放っているのが、ファルセ曰く魔獣の証だそうだ。
見つけた時はこちらに背中──というよりは尻を向けていた《アジリス・ボア》というらしい大猪は、人の気配を感じとったか、「ブゴォ?」と不機嫌そうに鳴きながらおもむろにこちらに振り返り、俺という敵の存在を認めると、「ブギィィッ!」と雄叫びを上げて、一瞬の躊躇もなくその殺意を剥き出しにした。
昔の俺がどうだったかは露知らず、だが今の俺にとっては間違いなく初めての実戦に少々緊張しつつ、俺は剣の柄に手を掛け、そして音高く抜き放った。その瞬間、ファルセが息を飲んだような音が背後から聞こえる。振り返りたい衝動が不意に湧くが、目の前の猪のような魔獣は、きっとそんな隙を与えてはくれないだろう。
アジリスと睨み合いつつ、俺は無意識に腰を落として、左手を前に突き出し、剣を握る右手を後ろに下げる構えを取った。互いに戦闘態勢が整った、その瞬間。先に仕掛けてきたのはアジリス・ボアの方だった。
──速いッ!
大猪の繰り出した無造作な突進は、しかし必殺技の如き速さを備えていて、俺は驚愕に目を見開いた。そうして驚いている間にも、アジリスは彼我の距離をぐんぐんと詰めてくる。「このままじゃマズい!」と心の中で叫ぶのと、俺の身体が勝手に動き出したのは殆ど同時だった。
俺は構えの状態から実に滑らかに、右斜め前方への回転回避を敢行。数秒前まで俺が悠然と構えていた場所を、猪が凄まじい速度で駆け抜けて行くのを肌で感じる。俺がバネ仕掛けの玩具のような勢いで立ち上がると、ズゴォン! というような派手な音が後方から鳴り響く。
それは、アジリス・ボアが超スピードのまま大樹に頭から突っ込むことで生じた衝突音だった。見れば樹木の幹は明らかに抉れ、突っ込まれた方に僅かに傾いているようにも見える。それ程の衝撃を自らも喰らっている筈なのにも関わらず、そこは流石魔獣と言うべきか、アジリスはフラつく程度で済んでしまっているようだ。
とはいえ、それが致命的な隙であることには間違いない。俺はすかさず片手剣を頭上まで振りかぶり、大きく踏み込みつつアジリスの背中目掛けて思い切り振り下ろした。
「せあああッ!」
「ブギィヤァァッ!?」
ザシュッという音を立てながら、俺の剣は大猪の背を大きく斜めに切り裂いた。血の代わりに大量の黒い靄が傷口から溢れ出し、程なくしてアジリス・ボアの身体全体も、夜を凝縮したような色の細かな粒子となって空中に霧散していった。そしてちゃりちゃりと音を立てながら、アジリスの核となっていたらしいオルド硬貨が地面に落ちる。
「ふぅ……」
一息ついて納刀し、アジリスから落ちた硬貨十枚程を拾い上げていると、ファルセがふわふわと近付いてきた。
「お疲れ様でした、良い戦いぶりでしたね。知らせたとはいえ、あの突進を避けられるか心配していましたが……どうやら杞憂だったようです」
「いや、そうでもないよ。何て言うか……身体が勝手に動いたような感じだったんだ。突進を避けた時も、アジリス・ボアを斬った時もさ……。変なこと言うけど、あんまり自分が倒した気がしなくて」
身体のすぐ近くを危険が走り抜けた緊張感も、アジリス・ボアを斬りつけた時の重い手応えも、間違いなく自分の身体に刻まれている。でもそれが、まるで自分のことのように思えなかった。
「もしかすると、今の貴方……というよりは、身体に染み付いた剣士としての経験が貴方の身体を操っていたのかもしれませんね。何にせよ、剣が使えないよりは良かったのではないですか?」
「それは……そうだな。俺の剣が、少し頼もしく見えてきたよ」
「ところで、その剣について何か覚えは?」
「この剣に……?」
まずはベルトポーチの空いているポケットにオルド硬貨を仕舞い込む。そして剣を抜き、その刀身の先から柄頭までをまじまじと眺めてみる。装飾は少なく、決して華美ではないが流麗な印象を持つ片手直剣。先程一戦交えたが、刀身は曇り一つなく陽光を照り返している。名剣かまでは分からないが、とにかく粗雑な作りのものではないことは俺にも分かる。
しかしこの剣が誰によって造られ、何処で手に入れたものなのか……なんかについては全く心当たりがない。鎧などと同じく、俺にとってはいつの間にか所持していたものの一つに過ぎないのである。
「……悪い、俺が覚えてることはなさそうだ。何か気になることでもあったのか?」
「そうなんですが……語るまでもないことかもしれません。……忘れなさい」
「……そう言われると、逆に気になるんだけど……」
俺の未練がましい声を黙殺したファルセは、浮遊偵察により改めて進行方向を確認する。その後俺達は、再び道無き道を進み始めた。そうしてひたすら足を進めていると、先程ファルセが無理やり終わらせた俺の剣についての話が気になり、どうしようもなくなってくる。その欲求に耐えかねて、話をしてくれないか頼み込んでみると、ファルセは少し考え込むような素振りをしつつ口を開いてくれた。
「その、貴方の剣について気付いたことがあるのですが、私にも分からないことが多く……ですから、話すのを躊躇ったのです。そんな話でも構いませんか?」
俺はこくりと頷き、肯定を返した。
「……実は、貴方の剣から魔力を感じたのです。……より正確に言うならば、貴方が手にしている間だけ、その剣は仄かに魔力を帯びるのだと思います。最初は勘違いかとも考えたのですが……先程貴方が剣を見ている時にも魔力を感じましたから、気のせいではないでしょう」
「魔力って……でも、戦ってる間は特に何も感じなかったよ?」
「魔力と言っても、その剣に込められた魔法がどんなものなのかも分からない位には微弱なものです。見下す訳ではありませんが、魔法や魔力に鋭敏な魔導人形という訳でもなく、ましてや魔法を扱わないような貴方では、気付けなくて当然……かもしれません」
「そ、そういうことか……」
それなら仕方ない。そう思いつつも、魔法に関してはあまりにも門外漢すぎる事が少し悔しかった。こんな俺でも何かしら努力をすれば、魔法が使えるようになるのだろうか……。
悶々と考えていると、ファルセは俺の左腰の辺りにススッと移動し、俺の剣に注目した。
「とはいえ、どれだけ弱くとも何らかの魔法が込められた《魔法武器》……貴重なものには変わりません。この剣の出元を探れば、あるいはあなたの素性も分かるのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「《魔法武器》は、そう簡単に市場に出回るものではないのです。大抵はオーダーメイド品……ですから記憶を失う前の貴方と、この剣を作成した鍛冶師か魔法使いが知り合いである可能性はあります」
「だとしたら、この剣が俺の正体を確かめる手掛かりになるかもしれないってことか」
「そういうことです。貴方に自分の正体を探る気があるならば、ですが。……魔獣と戦う前、今向かっている場所に着いた後はどうするかという話をしたと思いますが、貴方こそ、 この先どうするつもりなのです?」
「この先か……」
俺は村に行った後は、どうするべきなのだろう。衣食住の問題を解決出来れば、俺は…一応自由になる。何処かに留まることも出来るだろうし、自分の素性を明かす為に、世界を巡る旅に出ることだって出来るだろう。どんな選択をするかは、どこまでも自分次第。
この先、俺は──。
『色んな人を助けて、強くなって、世界を救うんだよ』
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんできた。それは俺の言葉ではなくて、あの謎だらけの『影』が俺に告げてきた言葉だった。あの時は、漠然としすぎてよく分からなかったその言葉は、今この時の為のものだったかのように、突然強烈な意味を帯びてくる。つまるところ、『旅をしろ』ということだ。
それが果たして、本当に世界の為になるのか、一体何にどう繋がっていくのか、というのは一切分からない。それでも、旅をすれば。いつかは影の言葉の意味や、俺が記憶を喪失してあの浜辺で寝転がっていた経緯も、知ることが出来るのかもしれない。
今はまだ、分からないことだらけだ。一所に留まるのはきっと楽だろうが、それでは何も分かることがない。このまま自分についても世界についても知らないまま、ずっとモヤモヤし続けることになる。影がどんな存在なのか分からない以上、彼の言葉全てに従うつもりもないが……そんなのは、御免だ。
「……俺は旅を続けたい、かな。分からないことが沢山あるから、この世界を色々見て回りたいんだ。出来れば、この剣で人の役に立ちながらさ」
「……そうですか。では──」
ファルセは突然俺の肩から降りたかと思うと、わざわざ浮遊して俺の前に向き直り、困惑する俺の目の前にずいっと掌を差し出してきた。
「──改めて、協力の約束をしませんか、ルカ」
いきなりどうしたのだろうか、と思いつつ足を止めて目を瞬かせていると、ファルセは説明口調で話し始めた。
「話しそびれたことですが……私は、私を作った人を見つけたいのです。その為にはやはり、貴方と同じく各地を旅する必要があります。ですから……最寄りの村に立ち寄った後も、これまでと同じように協力して旅をしたいのです。悪い提案ではないでしょう?」
「……断る」
「なっ……何故です!? 貴方とて、私と別れるのは名残惜しそうにしていたではありませんか! もしや私の心を弄んでいたのですか!? 魔導人形にだって心は──」
「ちっ、違う違う! その……違うんだ」
断られることを予期していなかったのだろうか、凄まじい勢いでまくし立ててくるファルセを慌てて宥める。やがて、ハッと我に返ったらしいファルセは、バツの悪そうな表情を浮かべてそっぽを向き、まるで拗ねた子供のように呟いた。
「……何が、違うというのです」
「えぇと……俺も、ファルセとは一緒に旅がしたいんだ」
そう言った瞬間に、ファルセの「は?」という言葉が数百個程詰まっていそうな刺々しい視線が俺に向かってすっ飛んでくる。冷や汗をかきながらもかろうじてそれを受け流し、続ける。
「ただ……協力っていう契約みたいな言葉で、繋がりたくなくてさ。例え互いに提供できるようなことがなくて、協力が出来そうになくっても…仲間か友達として、これからも一緒に旅がしたい。そう思ったんだ」
「仲間か、友達……。まぁ、そこまで言うなら、考えないでもありませんよ」
「それじゃあ……!」
「貴方一人で旅をさせるのは、危なっかしくて心配ですから…………その、仲間として……」
「……何か、仲間ってより母さんみたいな……」
「……妙なことを言っていると、反故にしますよ」
「わ、悪かったって! ……じゃあ取り敢えず、改めてよろしくな、ファルセ!」
ファルセに向けて、俺は手を差し出した。
「仕方ありませんね。よろしくお願いしますよ」
ファルセは、熱の感じられない小さな掌で俺の人差し指を握った。両手で握り返すかわりに、親指で優しくつまむようにすると、自分の親指と人差し指からは、不思議と仄かな温かさを感じるような気がした。
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