なりきれなかった者たちへ、
初投稿です。
春の新生活と聞くと読者は何を思い浮かべるだろうか。もしあなたが学生であれば、新たな学校、新たなクラス、新しい仲間に見慣れぬ教室などがあげられるだろう。もしあなたが社会人であれば、新たな職場などが思い浮かぶのだろうか。では春の景色はどうだろうか。艶めかしい緑、野原に咲くたんぽぽと戯れる蝶。
ああ、後はやはりなんといっても桜だろう。桜は、一年のうち二週間ほどしか花を出さない。その花は下向きに咲き、人々を優しく包み込んでくれるのだという。だけど、私はこの花が嫌いだ。なぜだろう。寒い冬をやっと乗り越えたと思ったのに、二週間という刹那の間だけしか咲かず。しかも、空の綺麗さにも雄大さにも気づかず。下向きにしか咲けない事実を憂いているのだろうか。それとも、春の季節が私にとって絶望の季節だからなのか。
「・・・・・・っ!」
覚悟はしていたことだった・・・と思う。中二終わりの春休み、担任に言わせてみれば”三年0学期”。
将来のためと勉強することの良さを熱く語ったその、一言一句を模倣するために図書館へと向かう道すがら。カツアゲされていた(というように私には見えた)おそらく小学生であろう少年を庇っただけ。そう、ただその相手が私と同じ中学校のいじめっ子として有名だっただけなのだ。それだけなのに。
「はあ・・・。」
どんなご都合展開なんだ、と(おそらく)油性マーカーで自分の机に机に所狭しと書かれたバカ、だのアホ、だのといった単純明快な罵詈雑言の数々に私のこころが深海に落ちていくように否応なく黒く、沈められたのをかんじた。しかも、ご丁寧に椅子には画鋲がまきびしかのようにその鋭利な刃を光らせている。
(朝登校するときに、上履きがゴミ箱に入っていた時点で察していたんだけど、やっぱりつらいものはつらいな。)
教室を見渡すと男子4、5人ほどの塊がこちらを見ながら、肩をふるわせているのがみえた。その塊の中には、顔は見えないけどあの小学生の少年にカツアゲをしてした”同じ中学校のいじめっ子”によく似ている人もいる。昨日の始業式の時は気づかなかったけど、どうやら同じクラスになってしまったらしい。多分、昨日の時点で彼らには私のことが気づかれて目をつけられてしまったのだろう。昨日、私は私の知らないところで恨みを買っていたのだから。帰り道で何も起きなかったのはある意味奇跡だろう。
そう思うと背筋が寒くなった。また、それと同時に、自らの尊厳を笑いながら踏みにじる彼らにふつふつと憤りが沸いてくる。
怖い気持ちと少しの悲しい気持ちそして、それ以上の怒りを抑えきるのに必死で、机の前に立ち尽くしたまま言葉が出ない。このままだとその複雑極まりない感情の結晶が目からあふれ出てきそうでしかたない。
なんとなく、この後私がどうなるのか予想はつく。がしかし。
(ここは無視するのが一番よね?無視すればあの人たちもそのうち飽きるだろうし。)
私はここで、何があっても動じない道化師になりきると誓った。このときは親に心配かけたくないとかいう気持ちでそう誓っていたと思っていたけど、今になって思ったら小学生の頃から皆勤賞、先生やクラスメートの前でもずっと優等生になりきっていた私の小さなプライドが彼らに屈するのを許せなかったのかもしれない。
熱くなってきた目頭から意識をそらすように、新学期の持ち物に書いてあった、未使用のまっさらな雑巾ををバックの奥底から力ずくで引っ張りだし、”奴ら”がいる反対側のドアから足早に水道にむかった。
廊下の外には少し花が散り始めた、学校のシンボルになっている桜の木がある。校舎の二階のこの廊下からはその花がくっきりと見えた。
桜の花は下向きに咲く。まるで人々を優しく包み込んでくれるかのように。私のおばあちゃんがこの時期になるとそんなことをよく言っていた。けど、私のこころにはそんな下向きの花びらが、お前は下向きにうつむいているのがいいさ、と嘲笑ってくるかのようだった。そんな惨めったらしい感情が私の目頭をさらに熱くさせ、歩く歩幅を大きくさせる。
(絶対に・・・っ負けない!)
いままで、いじめのようなことさえ受けてこなかった私のこころはすでに折れかかっていた。
4/20(火曜日)春の新学期編 二日目




