第5話 悪世
「……成程」
そう声を漏らしたのは、羽矢さんだった。
ゆっくりと瞬きをして、そう言った羽矢さんは、その後にこう言った。
「像法に留まらず、末法にまでとの時の流れ……なればこそ我が門は……」
そう言いながら、羽矢さんの目線が住職へと向き、住職を見つめたまま言葉を続けた。
「悪世に通じ得る一門……その門を開いた我が『師僧』に、恭敬の意を示します」
その言葉を聞く黒僧は顔を伏せ、ふふっと笑う。
そして、顔を伏せたまま、黒僧は口を開いた。
「末法……悪世に通じ得る一門……成程、聖道を捨て置く意とは……ははははは………!」
顔を上げたと同時に、黒僧の笑い声が響き渡った。
……誰も声をあげなかった。
黒僧の笑い声はいずれ止む、誰かが口を挟めば、黒僧が吐き出すであろう言葉が聞けなくなる。皆、そう思っていた事だろう。
僕たちは、たたじっと黒僧を見つめたまま、時を待った。
天を仰ぐように顔を上げ、笑い声をあげていた黒僧だったが、次第に声が弱まってきた。
思っていた通り、黒僧の笑い声が止み、長く息をつくと言葉を発する。
「門を違えようとも、修したものは内と外にあるという訳か……末法に於いての五濁の対処故と、衆生に聖道を捨てさせる……。それは覚りを得るのが難しく、覚りを得ずとも、記別を得る事が出来るという訳か。お前たちの門は……己が聖道を捨てた訳でもなく、聖道を知ったからこそ、機根を疑う事もない門……だからこその『摂取不捨』と……そうか」
一人、納得を示す黒僧は、一呼吸置くようにふうっと長く息をつくと、閻王を、そして羽矢さんを見つめながら、言葉を続けた。
「出家したのも、後継に値しないという理由でもあるが、そもそも義絶された身の上、後継に値しないのは明らか……だが、義絶したとはいえ、他よりも……他にはない力を持つ者は、信頼など成り立たずとも立場が得られる事で、その領域が現世で身を置ける処となるというもの……」
黒僧のその言葉に、蓮と回向の目線が合い、互いに苦笑を見せる。
ああ……あの時の……。
『なあ、紫条。お前さ……相性合わないと思っても、付き合わざるを得ない状況って分かるか?』
思い出す僕も苦笑が漏れた。
『そいつにしか出来ねえもん、持ってるって事だろ』
「だが……私に与えられた処とは、死というものに結びつく因を滅するが為の調伏と、絶対的な存在の証を確立させる為に、障壁となり得る存在の調伏のみに重きを置く。仏の道に於いての葬送など、官僧でいる限り無用なもの。智慧を得るが為に長い道を歩んだというのに、仏の道に於いて辿り着くべき処への導きなど、国の中では適わぬ事だ……」
因を滅するが為と、障壁となり得る存在の……調伏……。それが断壊を行う事になったというのは、直ぐに分かった。
黒僧は、淡々とした口調で話を続けた。
「国に囲われる事によって、寺を維持する事に難はなくなったが、そもそも、死は穢れ……神聖であるという神の概念が、葬送という儀礼を遠去ける。官僧は、穢れともなり得る罪業を滅するが為の教えを説くが、弔うという手立てはまた別の話……遁世する気にもなるだろう。地獄という、死後の界が明確になっていく中で、末法という時の訪れは……」
弔うという手立てはまた別……。
……明鏡が口にしていた事と同じだが……流れるように運んでいくような黒僧の言葉は、辿り着く答えが所以となって表れている事に、僕の鼓動が速度を増した。
はっきりと告げられた黒僧の言葉に、神祇伯と回向の表情が険しくなる。
それは……。
迹から始まる物語……になるというのだろうか。
「救済願望を高める、『本地垂迹』の意図になるのだからな」




