第3話 慧眼
羽矢さんが再度、鬼籍を開き、パンと音を立てて鬼籍を閉じる。その音に僕たちの目線が動いた。
蓮と回向は、起き上がれそうにない明鏡を床に寝かせ、立ち上がる。
羽矢さんは、閻王の隣へと戻り、鬼籍を返した。
鬼籍を手に取る閻王は、目を通すとニヤリと口元を歪ませて笑う。
「ふふ……これは中々に興味深い」
閻王の目線がこちらへと真っ直ぐに向けられる。
その目線に捉えられるのは、モヤモヤと浮かんだ黒い煙のようなものだった。
羽矢さんが初めに鬼籍を閉じた瞬間に、鬼籍から文字が飛び出し、捕えるようにも黒僧へと向かった。
分離されたようにその文字が明鏡の体から抜け出すと、文字は鬼籍へと戻ったが、そこに黒い煙が浮かんでいた。
……だけど……霊山に河原が広がった時に浮かび上がった姿……顔は霧に包まれていて見る事は出来なかったが、紫衣だけは、はっきりと見えていた。それが今、この冥府でも同じように紫衣だけが見えている。
閻王の目線が羽矢さんに向き、頷きを見せる。
閻王の頷きに、羽矢さんは口を開いた。
「あまりにも名が多過ぎて、辿り着くまでに時を要してしまった。あんた……その諱……捨てさせられたんだな。姓も本当ならば……」
続けられた羽矢さんの言葉に、僕は驚くばかりだった。
「国主の子孫である『真人』であったはずだが、何故か臣下である『朝臣』……まあ、継承権争奪には、あんたのみならず、複数名絡んでいただろうからな。実権を握るには、氏族の力は絶対だ。力ある忠実な臣下がいなけりゃ始まらないってところだ。複雑な上に、厄介だったよ。出家し、僧侶となった上で法名を持つが、あんた……遁世する以前に一度、還俗しているんだな。その時の俗名も見つけたが……それってさ……前聖王と同じ理由からか?」
前聖王と同じ理由って……。
『後継に値せず、僧侶となった。兄即位により還俗したが……』
……兄即位……まさか……神殿の床下に埋められていた棺って……。
黒僧の……兄……。
『殺されたと意味させるものだ』
だけど……殺したのは……。
僕は、目の前の黒僧をじっと見つめた。
あまりの驚きに混乱していたが、納得は出来ていた。
神殿の床下に棺を埋める事が出来たのも、それだけに近い存在であったから出来た……。誰にも気づかせる事なく……気づかれていたとしても、黙認される立場にいた……そう考える事が出来る。
それは、明鏡が口にしていた言葉からも繋がるものだった。
『継承とは……何を維持するものなのでしょう。そこにある象徴も、時の都合で変わる……ただそこに根強くもしがみ付いているものは、血統だけです。それが例え落胤であろうとも、興起の役に立つなら表にも出す……』
……血統……。
『その血が、呪縛をもって離さない……『絆』だと騒ぎ立てるんだよ』
黒僧の顔を隠し続ける黒い煙が、更に黒さを増し、膨らんでいく。
その様子に住職と神祇伯が目線を合わせ、悲しげな表情を見せていた。
閻王の手が黒僧へと向いた。
「随分と……塗り重ねて来たようだが、我の前では通じぬぞ」
閻王の手が動き、風圧が黒煙を払った。
黒僧の顔を隠していた黒煙が消えていく。
その姿が露わになると同時に、閻王は言った。
「我の別称とも言える『死神』の名を与えた藤兼……羽矢は、我の持つ鏡同然。その慧眼から逃れる事など出来ぬぞ」




