第2話 迷道
「……藤兼」
黒僧と距離を縮め、歩を進める羽矢さんを閻王が呼んだ。
羽矢さんは足を止めたが、閻王を振り向きはせず、その声を背に聞いていた。
閻王の呼び声に反応してか、黒僧を真っ直ぐに見る羽矢さんの表情に、笑みが見える。
鬼籍を黒僧に見せるように開いたままの姿勢で、羽矢さんは閻王の言葉を待った。
閻王が自分を呼ぶ事も、閻王ならばそう言う事も、分かっていたのだろう。
「我の目に、偽りは映さぬぞ」
閻王の言葉に羽矢さんは、黒僧をじっと見つめながら、ニヤリと笑って口を開く。
「ならば……」
……偽り……そうか。
黒僧と言ってはいても、その姿は明鏡なのだから。
やはり……閻王には全て分かっている。
「その『正体』を明かすとしましょうか……無論、嘘偽りなく」
羽矢さんは、黒僧に向けて開いていた鬼籍を両手で挟み、パンと音を立てて閉じた。
その瞬間に、鬼籍から文字が飛び出したかのようにも浮かび上がり、黒僧の周りを囲むと、体の中に入り込んだ。
……あの文字……黒僧の名……?
瞬間的に文字が動いた事で、はっきりと捉える事が出来なかったが、その文字が魂を追うように向かったように見えた。
だが、それは直ぐに体の中から抜け、黒僧と分離されたのか、明鏡の体がガクンと落ちる。床に倒れ込む前に、蓮と回向が明鏡の体を支えた。
「まあ……意外ではないが、平気で限界を超える奴だよな……」
蓮は、そう言って溜息をついた。
蓮の言葉に回向は頷くと、明鏡を見つめながら言う。
「限界を超えないと分からねえんだよ……麻痺しちまって、痛いとか苦しいとか、そういう感覚が限界を超えないと響いてこない……」
「普通、逆じゃねえのか。限界を超えると麻痺するんだろ」
「それだけ……普通じゃなかったんだよ。環境的にもな」
「…… 一人で抱え過ぎなんだよ。そもそも、一人で抱えるもんでもなかっただろ」
「一人だろ……」
悲しげに呟くように言った回向へと、蓮は目線を向けた。
「…… 一人だったんだよ、ずっと」
再度、そう呟く回向に、蓮の表情が少し険しくなる。
「回向……お前、裏切りになった、などと思っているんじゃねえだろうな? 明鏡がお前に言った事、気にしてんのか? それは、お前の選択だったと」
「……どうだろうな」
回向はそう呟いて、深い溜息をつくと苦笑を漏らす。
蓮は、強い目を向けて回向に言った。
「その曖昧な言葉……高宮の前でも言えるか?」
回向の目線が蓮へと動いたが、言葉は返さなかった。
蓮は再び問う。
「言えんのかよ? お前、この件に関わる事を、高宮に隠そうとしていたよな? 本当はお前、明鏡との事を知られたくなかっただけなんじゃねえのか」
「なにを馬鹿な事を……明鏡の事は、もう右京も知っているだろ」
蓮が何を思っているのかは察しているのだろう、はぐらかすようにもそう答えたが、蓮には通用しない。
「そうじゃねえ」
「……」
「明鏡がお前の手を振り切る事がなかったら、お前は」
「やめてくれ。そんな選択をした訳じゃない」
蓮の言葉を遮って回向は言ったが、蓮は口を噤む事なく、はっきりとした口調でこう言った。
「迷う事なく高宮の手を掴む事が出来たか」
蓮のその言葉に回向は、衝撃を受けたようにハッと短く息を漏らした。
回向の目線が、気を失い、目を閉じたままの明鏡へと戻る。
「明鏡……」
回向の声に、明鏡の指が僅かにも反応した。
ふうっと長く息をつくと、明鏡の口が静かに動く。
「……勘違いをするな」
明鏡は、目を閉じたまま、回向に言った。
「同じ道を進んだと思っていたが……突然現れた分かれ道に……俺が迷っただけだ」
……分かれ道……。
その言葉に、僕の目線は蓮へと動く。
続けられた明鏡の言葉に、蓮はふっと笑みを漏らしていた。
「俺の迷いの足止めに……お前を巻き込みたくなかっただけだ」




