第46話 無記
住職と黒僧の目線が、真っ直ぐに互いを捉えている中、神祇伯がスッと静かに後方に下がった。
バサリと大きく翻った住職の黒衣が、背後に立つ羽矢さんを隠すように包む。
住職と黒僧の声が同じに重なった。
「「開示」」
翻った住職の黒衣がゆっくりと下りると、羽矢さんの姿はそこにはなかった。
「え……羽矢さん……」
驚き、思わず声を漏らした僕は、辺りを見回したが、羽矢さんの姿を捉える事は出来なかった。
だけど、蓮と回向には分かっていたのだろう、互いにふっと笑みを漏らしていた。
「……親父」
何かを察したような回向の声に、神祇伯へと目線を動かした。
神祇伯の手が印契を結ぶのが目に映る。
その様子に蓮は、目を見張りながらこう言った。
「……本気かよ……二門どころじゃねえ……三門だ」
緊張感を持った蓮の声が流れた後、体を押されるような圧を感じた。それは一瞬の事で、直ぐに解放されたが、その感覚は三度続いた。
空に高く昇った月は、明るく光を放ち、降り落ちる光は辺りを白く染めるように広がりを見せ、霊山を囲うようにも光が這う。
それぞれに門が開かれたというのが、五感に伝わった。
「親父……何も言わずに門を開きやがった……」
「本当に秘密が多いな……お前と神祇伯は」
「お前だって同じだろ、紫条」
「さあ……どうかな」
クスリと笑って蓮はそう答えた。
「ふん……秘密を持たなくて、親父が門を開いたのが分かるかよ」
「本当の秘密は、これからだろ」
「まあ……そうだな……」
一度に三門……。
だけど……気づいた時には一門って……。
そう思った瞬間に、パッと視界が落ち、何も目に捉えられなくなった。
光が消えたのか、門が開かれた事で処が変わり、見えなくなったのか……。
そう考えている内に、パラパラと紙を捲るような音が耳に捉えられた。
その音の元に、大きな姿が目に入る。
ジロリと睨むようにも見る大きな目が、僕たちを見回すように動く。
目を逸らす事など出来はしない、秘める事も、当然、嘘をつく事も出来はしない、真実のみがある処だ。
そこには……閻王がいた。
一門って……。
そして。
閻王の背後から、姿を現した羽矢さんが閻王の隣に並ぶ。
前を向いたまま両手を合わせ、ゆっくりと瞬きをすると手を解く。
その姿を見る住職は、よろしいと言うようにも、満足そうに小さく二度、頷きを見せた。
閻王の目線が住職と黒僧へと動いたが、その目は神祇伯を見る事はなかった。
……あの時と同じだ。
以前、神祇伯とここに来た時にも、閻王は神祇伯に目を向ける事も、言葉を交わす事もなかった。
黒僧の表情は、険しくもあったが、閻王を目前に驚いているようにも見えた。
閻王は、ふっと鼻で笑うと口を開く。
「……まるで……地獄のみこそが、辿り着くべき処であるかのようだな」
体の中にまで響きを与える低い声が、ゆっくりと流れた。
先程の答えを求めるように、閻王の言葉が羽矢さんに向く。
「それでお前はどうする、藤兼」
瞬きをし、ゆっくりと目を開けた羽矢さんは、真っ直ぐに前を向いたまま、閻王に答える。
「閻王……鬼籍を見てもお分かりのように、この門は後に開かれたもの……なれば、この門が開く以前、その問いは無記であり、つまりは否定も肯定もせずに捨て置かれる、答えるべきでない問いであるという事。この門はその答えを明確にする為の処……」
羽矢さんは、黒僧へと目を向けながら手を差し出し、掬うような動きを見せると、こう言葉を続けた。
「三界を有するという、その地獄……覚りを得なければ出る事が出来ないならば、我が門は救いに重きを置く。無論…… 一つも漏らす事なく、だ」




