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処の境界 拮抗篇  作者: 成橋 阿樹
第二章 陰と陽
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第40話 真妄

 神祇伯と黒僧の様子を見守る中、羽矢さんの雰囲気が、蓮と回向に比べて少し違う事に気づく。

 真剣な表情で神祇伯の言葉を聞いているのは、皆、同じであったが、何か思うものがあるのだろうか、僅かにも翳りが見えた。


 神祇伯の問いが、落ち着いた口調で静かに流れる。


「記別を与えたにも関わらず、出口へと向かえないのは何故でしょうか」

 神祇伯はそう問うと、黒僧に答えを求めるように、ゆっくりと瞬きをした。

 黒僧が神祇伯に答える。

(くう)()(ちゅう)三諦(さんだい)(ことわり)を以て実相とする。つまりは存在を示す要素的存在が、互いの障りなく溶け合うという円融。それを知らずして、覚りは得られない」


「それは、()()を含めての事と、問わざるを得ません。然し乍ら、師僧が教主の身としての役割を得てとの事であるならば、機根(きこん)を疑うべきものは何処にありましょう」


 機根を疑うべきもの……その能力と性向(せいこう)、つまりは気質を疑うと……こんなにも直接的に問う事が出来るなんて……。

 流石は……というべきなのだろう。

 

 堂々とした立ち振る舞いは、今までも見てきたが……怖いくらいだ。思わず息を飲む程に。

 問いの中に疑問があるのは当然だが、神祇伯は理解を求める為のものではなく、境界を含めての問いをしている。

 おそらく、この後に口にする言葉は、その境界を明らかにし、対比しながらも結びつけるものとなるはず……。

 そしてそれは。


 否定する事が出来なくなる。


 神祇伯の問いに黒僧が答える。

「ならば、差別の現象は諸法に於いてのものと知れ」

「諸法……。では……私は『実相(じっそう)』の真妄(しんもう)を明らかにし、(じゅ)を示し、顕色(けんじき)を添え、可能力を示す諸法をここに(あらわ)しましょう」


 神祇伯のその言葉に、黒僧の表情が怪訝にも眉を(ひそ)めて歪む。

 同時に、羽矢さんの目がピクリと動いた。


 全ての存在のありのままの真実の姿を、ここで明らかに……?


 差し出すように動いた神祇伯の手。深緋の衣の袖が、存在を示すようにバサリと音を立てた。

 回向にしても思うものがあるのか、神祇伯をじっと見つめる回向の息遣いが深く、長い。

 だがそれは、心を落ち着かせようと、不安を見せるものではなかった。

 僕から見ていても、黒僧と対峙する神祇伯との間に、緊迫は感じられない。

 余裕の(あらわ)れとは違う、この感覚は……。


「瑜伽……」

 そう口にしたのは、回向だった。

 回向は、神祇伯の手の動きを見つめながら、ゆっくりと静かな口調でこう呟いていた。


「分けられない結合関係……同一の処に存在する存在要素……色声香味触(しきしょうこうみそく)……眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)……地水火風空……」


 これが……。


 圧巻だった。


 新たに五輪塔が現れた。


 水景 瑜伽。

 その力の大きさを改めて知る。

 印契を結ぶ手と共に唱えられる真言が、声の響きを持って、その存在を顕現するようだった。

阿毘羅吽欠(あびらうんけん)


 そして、羽矢さんの表情の変化の理由が明らかになる。

 それは、次に唱えられた真言によっての事だった。


唵阿密㗚多帝際賀羅吽おんあみりたていぜいからうん


 あ……。


 羽矢さんがゆっくりと背を向ける。

「おい、羽矢。なんでそっちを向くんだよ?」

「呼ぶな、蓮。放っておいてくれ」

「あ? なんでだよ? だって……お前、『師僧』……」

「だから、言うなって」

「やめてやれよ、紫条。まあ、依を式神同然に扱っているお前には、違和感もないだろうがな」

「回向。お前こそ、その言い方やめろ」

「はは、そうだな。悪かった」


 緩やかに流れゆく風が揺らす……黒衣。落ち着きを持った、穏やかな風貌が真の強さを物語る。

 神祇伯への元へと向かう足取りは、地の感覚を掴むようにもゆっくりとした足取りだった。


 足を止めると手を合わせ、黒僧へと向かって頭を下げる。

 神祇伯に並ぶその姿をじっと捉える黒僧は、睨むような目を向け、その名を口にした。



「……奎迦」

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