第37話 向上
蓮の呪を受けて、回向が膝をついた。
その様を見ると蓮は、ふっと笑みを見せ、ゆっくりと手を下ろした。
「……依……悪いな……これだけは譲れない」
……蓮……。
衝撃を受ける僕は、その心情を抑制する為の理由を探す間もなく、羽矢さんの声が耳に飛び込み、目を見張った。
「蓮っ……!!」
羽矢さんが蓮へと向かって来る。
『例え……お前が俺から離れたとしても』
その言葉を僕はどう受け止めればいいのだろう。
ただ……それでも分かっている事は……。
回向へと攻撃したような蓮。回向は力尽きたようにも地に膝をつき、そのまま動かない。
それでも僕は……。
「羽矢さん……! 待ってください……」
僕が止めるより先に、羽矢さんの手が伸びる。
「待てる訳……ねえだろ。依……いくらお前の頼みであっても、それはお前が思う結果とは程遠い」
「羽矢……さん……それは……どういう意味……」
愕然とする僕。蓮が目を閉じる。
羽矢さんの手が蓮の肩を掴み、蓮を軸にくるりと体を回転させて飛び越えた。
……え……? 蓮を飛び越えた……。
僕の目が羽矢さんを追う。
「なあ? 黒僧」
羽矢さんが蓮を擦り抜けた時に、蓮の口元には笑みが見えていた。
……明鏡。
僕たちの後ろで倒れていた明鏡が立ち上がっていた。
蓮を飛び越えた羽矢さんが、明鏡の腕を掴んでいる。
だけど今……黒僧って言った……。
そして。
「回向っ……!!」
羽矢さんの呼び声に、声が返ってくる。
「向上……! 九会! 成身より、仏果流動……!」
回向の声が大きく響き、ドンッと強く地を叩いた瞬間、バリバリと音を立てて地を何かが張っていく。
蓮は、僕の腕を引き、羽矢さんは明鏡の腕を離すと、それを避ける。
次の瞬間、蔓のようなものが地から浮き上がって伸び、明鏡に絡みついて身動きを封じた。
回向がこっちへと歩を進めて来る。
その足取りは、さっきまでの疲労感を見せる事なく、力強いものだった。
蓮の隣に立った回向は、明鏡へと目線を向けながら蓮に言う。
「援護が遅いんだよ、紫条」
「はっ。援護も何も、血を吐くまで気づかなかったくせに、よく言うな。自分の体の状態は自分が一番分かってんだろうが」
「……お前、早い段階で気づいていたな? それでも羽矢が止めるまでが合図だと、他力に依った訳じゃねえだろうな?」
「ああ、当然だろ。 お前、死神のあの目、見たか? 生者の魂まで狩る勢いだったぞ。なあ、羽矢?」
「はは。策士が得意の罠張ってんだから、それに乗らない訳にはいかないだろう? 依まで騙しちまうくらい本気だったんだからな。なあ? 依。驚いただろう?」
「あ……えっと……はい」
にっこりと笑みを見せる羽矢さん。僕は困惑していたが、蓮が穏やかな笑みを見せて僕の頭をそっと撫でた。
「騙すとか言うな。実際、流れが変わる直前に比和になった。同じ力が働いた事によって循環出来なくなったんだよ。俺は流れを元に戻しただけだ。それに気づかれる訳にはいかねえだろ。俺の直ぐ後ろにいたんだからな。 逆相剋……侮ったのはどっちかな……?」
蓮の目線が明鏡へと向いた事で、僕は全てを察する事が出来た。
蓮は、空に向けて切るように手を振った。
降り出した雨が止むと、月が顔を出し始めた。
うっすらと辺りを照らす、柔らかな光が降り落ちる。
地に溜まった水に月が浮かんだ。
「雨は天より降り落ち、水面に落ちて泡沫を作る……泡沫は水を離れず、生滅の理由は自業の裁……」
回向が明鏡へと歩を進めながら言葉を続ける。
「……水面に映る月は、鏡のように見えても偽物。身に宿る自我も同じ事……」
回向の手が、印契を結ぶと言った。
「まだ門は開いたばかりだ。門を下るまでの全てを……開示する」




