第24話 召喚
『三界を有するこの身こそ、その地獄を留まらせるに明かせるものなど有りはしない』
「成仏……してくれ」
回向の声が静かに流れる中、羽矢さんが手を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。
だが、羽矢さんの体の向きは、河原を背にしている。その姿勢は、女性の姿が現れた時も同じだった。
そして、羽矢さんの口元は動きを見せておらず、経を唱えてはいない事も分かったが、法衣に変わる事なく黒衣を纏ったままで、数珠も手にしてはいなかった。
……門を開ける事が出来ると、蓮は言っていたけど……それは浄界へと導く為という訳ではなかったのだろうか……。
羽矢さんが断ち切った血の脈は、渦に巻かれて河原へと沈み、再び絡みつこうと伸びてくる事はなかったが、その女性の姿はいまだ、渦に巻かれる事もなく、河原に身を浮かべたまま、そこに留まっている。
回向は、少しの間、その姿を見つめていたが、目を伏せると、ふうっと小さく息をつく。
そして、目線を河原に戻し、その姿をまたじっと見つめた。
「……その地獄を留まらせるに明かせるもの……か」
回向は、そう呟くと、ふっと笑みを見せた。
「成程」
覚ったようにも晴れた表情で、回向は明鏡を振り向く。
明鏡は、身を起こす事なく、仰向けに寝転んだままだったが、目線は回向へと向いていた。
回向に向ける明鏡の目線は、言葉なくとも何かを伝えているようで、回向は分かったと言うように、小さく頷きを見せた。
目線を河原へと戻す回向は、呟くようにも静かに口を開く。
「あの棺の中にあった……」
……棺……神殿の床の中に埋められていた……。
まさか……。
僕の目線が河原に浮かぶ姿に向くが、この女性……。
羽矢さんも血脈を断ち切っただけで、その姿に影響を及ばせる事はなく、誰も攻撃しようとはしていない。
『そこの死神と話をつけてくる』
……そうだったのか……。
蓮がそんな風に言った事も、羽矢さんが手を合わせながらも河原を背にしている事も。
分かっていたからこその言葉であり、見せる仕草なのだろう。
ましてや蓮は、棺の中に納められていた、それも厭魅が掛かっていたという宝剣に、一度、手を触れている。
呪いを掛けた者が誰であるのか、辿り着けていたはずだ。
……それに、この女性を呼び寄せたのは、蓮と羽矢さんであるのだから。
察した事が事実であるならば、導くという事は‥‥‥。
だけど……回向は成仏を口にしている。
でもそれは、確かにこの女性に向けられている言葉であるだろう。
何処から来たのか‥‥‥何故……姿を現したのか。
ああ……そうだ、塔……。
『我が身を供養せんと欲すれば、一の塔を起こし、分つ事なく全身を納めよ』
あの時の回向の言葉も……。
『設害三界一切有情 不堕悪趣……それを修得する事は……許されなかったはずです』
「殺したのは……あんたか。宝剣に掛けた呪いも……な」
回向が口にした言葉は、僕も察した事だった。
それは、蓮と羽矢さんは、既に気づいていた事だろう。
回向の手が河原へと向き、睨むような目を見せ、強い口調で言った。
「黒僧」
誄詞の際に諡号が贈られた。
それは高位の者といっても、国主に限られる。
そして、誄詞を奏した者は、高僧……。
羽矢さんには、その誄詞も諡号も見えていた。
手を合わせ、目を閉じていた羽矢さんが、ゆっくりと目を開ける。
後ろを振り向く事はなかったが、羽矢さんには分かるのだろう。
全ては自分の中に注ぎ込まれた、各々の思念でしかない。
その無数の思念は執着を生み、その存在の成就を願う。
元々の存在理念は、存在現象の有り様で区分され、個々の区分とは縁起によって示される……か。
河原を背後にしたまま、目を開けた羽矢さんの口元がニヤリと笑みを見せる。
強さを見せるその笑みに、あの時の言葉が聞こえてくるようだった。
『後一つ…… 一つなんだろう……? だけど……悪いな。その一つだけは……』
羽矢さんの口が声を発する事なく、一文字一文字を伝えるように、ゆっくりと動いた。
僕の頭に浮かんだ、羽矢さんのその言葉と重なるように……。
(渡せない)




