第17話 三句
回向の腕に種子字が一つ二つと浮き上がってきた。
種子字がはっきりと腕に刻まれると、霊山を見下ろすように立ち、その腕を上へと伸ばした。
空を這うように伸びる光が、霊山の中腹へと流れ込んでいく。
「大悲。界を説く。中台八葉、中核主尊、阿字」
回向はそう言うと、腕を下方へと振った。
中腹に流れ込んだ光の色が、赤く変わっていく。
その光が中腹に留まると、回向の手が再度、上に向き、東方へと右手を振ると、言葉が続けられた。
「中台八葉より、真上、初重東方、一切遍智、成道実相」
すると、中腹に留まった光が東方へと脈のように伸びていく。
間を置く事なく、回向の左手が北方へと動き、言葉が唱えられた。
「中台八葉、初重北方、普眼蓮華、成就」
声に反応して、赤い光が北方へと脈を伸ばしていく。
「中台八葉初重南方、薩埵。持金剛慧者、第一継承」
回向は、直ぐに南方へと右手が動かし、その動きに合わせて南方に向かって赤い光が伸びていくと、今度は西方へと左手が動いた。
「中台八葉真下、初重西方。持明者を示す」
カッと辺りが一瞬、真っ赤に染まった。
霊山の中腹を中心に、四方に赤い光が伸びている。次第に広がりを見せていく赤い光は、炎のようにも見えた。
回向の手の動きと、唱えられる言葉は止む事なく、また東方へと手が振られる。
「一切遍智真上により、中台八葉二重東方、変化、実践。中台八葉真上により、三重東方、王子」
更に赤い光が脈を伸ばし、まるで霊山に血脈を作っているようだった。
回向の声が尚も続く。
「普眼蓮華により、北方、大地蔵。大悲、展開」
方向を変えつつ、手が振られ続け、その度に言葉が発せられる。
「持金剛慧者により、第一継承南方、除蓋障。抜苦除障、無畏。持明者により真下、西方虚空。虚空により真下、西方、蘇悉地、成就」
……回向は、処を示している。
そして……これは……曼荼羅だ。
全てが……目覚める。それどころか、この数は……僕たちが思っている数よりも上をいく。
それは、神も仏も分ける事なく、この処に集まる。
そんな思いが、確証をもって体中に響いた。
そう思ったのは、僕だけではないだろう。
霊山中腹に留まる赤い光が、生きているかのように光の強弱を見せる。まるで……そこが心臓でもあるかのように。
明鏡は、回向の声に反応し、光が大きく広がりを見せていった事に、表情を歪ませていた。
「回向……何のつもりだ」
明鏡の声に回向が振り向きもしない事に、明鏡の手が回向へと伸びる。
「黙って見ていろ、明鏡。お前にこれが理解出来るならな」
羽矢さんが明鏡の手を掴んで止めた。
「理解だと……? そんなもの……」
明鏡は、掴まれた手を力任せに振り解いた。
回向の声が尚も続いたが、その声は唱え続けられた中でも、一番強い響きを持っていた。
両手を使い、四方に振られる手。その両腕には、無数の種子字がはっきりと表れている。
「最外、四方。三界、天界……眼、耳、鼻、舌、身、意を以てして『処の境界』を説くが故に、方便を成す」
霊山全体に張り巡らされた赤い光の脈が、回向の赤茶色の長い髪を、より赤く染めた。
「明鏡……お前に大悲を与えてやる。それでも足りないと言うのなら……」
回向は、ゆっくりと明鏡を振り向いた。
「入口と出口……その上下の門を開いてやるよ。お前が理解出来ない、その一つを含めて……な」




