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処の境界 拮抗篇  作者: 成橋 阿樹
第二章 陰と陽
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第13話 自悟

「……お言葉ですが、慈悲なくして法など説く事は出来ないのでは」


 やはり……認めはしない……か。

 羽矢さんは言葉を続ける。

 明鏡に言うその言葉は、既に僕たちに伝えていた事だった。


「自らの(とが)を見ず、戒に於いて欠漏(けつろ)あり……法を誹謗した事が、逆にその道へと進む事になる……お前……逆縁だろ。そして……」

 羽矢さんの手が、地をなぞるようにスッと動いた。

 地底から震動が湧き上がってくる。

 地を震わすその音が、次第に大きくなってきた。

 バリッと地が割れる音に、明鏡が振り向く。


 地が割れると、そこに仏塔が現れた。

 仏塔は地に(とど)まらず、空中に浮いた。

 仏塔を見上げる明鏡の手が、グッと握られたのを見逃さなかった羽矢さんは、止めた言葉を続けた。


「慈悲があると言うのなら、お前が何処から来たのか……答えてくれないか。突然、現れた理由も……な」

 羽矢さんの言葉に、明鏡は羽矢さんへと目線を戻した。

 互いに目を合わせる中、少しの間、言葉の間が開いた。

 羽矢さんが仏塔を見上げる。


「それに答える事が出来るなら、開ける事が出来るだろう? 開けて確かめてみたらどうだ……?」


 ……確かめる……って……。

 羽矢さんは、明鏡をじっと見据え、はっきりとした口調で言った。


「『我が身を供養せんと欲すれば、一の塔を起こし、()()()()()()全身を納めよ』」

 そう言葉を続けた羽矢さんに、明鏡の表情が一変した。

 明鏡の手が、羽矢さんの胸元を掴む。

「羽矢……! やめろ、明鏡!」

 回向が止めようと動いたが、羽矢さんは逆に回向を止めるように、そっと手を向けた。


「……蓮……」

 不安になる僕は、蓮を振り向く。

「経典の数は(およ)そ八万四千……だがそれは正確な数を表すものではない。神の道でも八百万(やおよろず)と言うのも同じように、神の数を示すものでなく、それだけ多くあるという事だ。それでも羽矢の頭の中には、存在する全ての経典があるんだよ……文字数にすれば、相当な数になる。経典一冊といえども、文字数は多いからな。それが頭の中にあるというんだから、(まさ)に神の域だ。流石は『死神』……羽矢には敵わねえよ、絶対にな」

 蓮の言葉に回向が反応を示し、口を開いた。


「紫条……お前には経典も聖典もないと言ったよな」

「ああ」

「口伝で授けられる秘術だと」

「それはお前にもあっただろう、回向」

「ああ。依……」

「はい」

 回向の目線が僕に向く。

「廃仏毀釈……廃寺となった寺に置かれた仏像は様々だ。仏の教えを(こわ)す……それが毀釈だと、依……お前の言った通りだが、それは釈迦如来に限った事ではないのは知っての通りだろう。多くの仏像を破壊し、経典を焼いた……だが、そもそも仏の道の始まりに、経典などない。開祖というものが教示であり、その教示を受けた者が経典を作った。だから大抵の経典は、『如是我聞(にょぜがもん)』で始まる。『このように聞いた』ってな……全ては口伝が始まりなんだよ」

 回向は、そう言うと、明鏡が羽矢さんを掴む手を、グッと掴んだ。


「智慧も慈悲も、師と弟子の『問答』なんだよ、明鏡……そしてそれは、お前だけにあるものじゃない。同じ門から出ているというのは、そういう事だ。そこに門派などなかった。門を出た弟子が師となり、師が増える事で門が分かれていった。それは一つの教えがあったからこそであり、その一つの教えが始まりだろ……明鏡……」

 回向に目を向ける明鏡は、掴まれた腕を振り(ほど)くと同時に、羽矢さんからも手が離れた。

 力を落とした手が、ゆっくりと下りる。

 回向は、静かにも宥めるような口調でこう言った。


「『後継に値せず、僧侶となった』……前聖王が、お前の本当の師だったんだろう……?」

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