第6話 器界
「気づいたのなら……行きなさい」
住職の言葉を受けて、僕たちは立ち上がった。
内陣へと体を向けて座り直す、住職の背中を見つめて頭を下げた。
僕たちは本堂を後にし、既に日が落ちて暗くなった空を見上げ、門へと向かう。
僕たちを送る羽矢さんは、門を前に立ち止まると、門を見上げた。
頭に浮かぶのは、あの時の事だろう。
明鏡が開いた門が、この門に重ねられた時の事だ。
月明かりがうっすらと、この界の『器』の輪郭を差し示す。
この世の全ては依報……生きとし生けるものの、拠り所となる器のある……『器世界』だ。
「……蓮」
門を見上げながら、羽矢さんが蓮を呼んだ。蓮の目線が羽矢さんに向く。
蓮は、ふうっと息をつくと、口を開いた。
羽矢さんが何を考えているのか、蓮には分かるのだろう。
浮かんでいるだろう思いを、蓮が口にした。
「たった一人のその存在だけで、神仏混淆が成り立っている……だろ」
蓮の言葉に羽矢さんは頷く。
「ああ。だがそれは、神とか仏とか、神仏判然令に対処してのものではなく、仏道に於いての化導……つまりは教化だ。その教えは、迹門を水辺に映る月とし、本門を天に浮かぶ月と譬える、譬喩品だ」
「上手い譬えだな。天に浮かぶ月が『本体』で、それを映した水辺の月は『現象』……それが本地垂迹という訳か」
「ああ、そうだ」
羽矢さんは、深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせるようにもゆっくりと息を吐き出した。
「……ジジイには、やっぱり敵わねえ。別に張り合うという意味ではないが、追いつけねえんだよ……ジジイはいつでも俺の一歩先にいる……」
「それは……お前が住職の期待に応えようとしているからだろ。だが、一歩先なら、そう遠くないだろ。手を伸ばせば届く位置だ。住職はそうやってお前を導いているんじゃないのか。一歩先ってそういう事だろ。見失う事などないんだからな。そして住職は、ちゃんとついて来られているか、必ず振り向いてお前を見ている」
「そう……だな。ああ……そうだ」
羽矢さんは、蓮を振り向き、穏やかな笑みを見せた。
「そもそも、お前、口癖になっているぞ。この間も連発していたな。まあ……住職は、そこにはもう重点は置いていないようだが」
「はは。その方が呼び易いもんでね」
「……まったく。お前の父親でもあるが、師でもあるだろ」
「分かっているって」
「ふん……まあ、お前の事だからな、悪意はないのは承知の上だ」
「それはどうも」
そしてまた、羽矢さんは門を見上げると、口を開く。
「少し話が逸れちまったな……戻るとしよう。気づいたか、蓮。ジジイのあの言い方に……だ」
「ああ、気づいたよ……そして、さっき言ったお前の言葉にもな」
蓮は、ふっと笑みを見せると答えた。
「本地垂迹の割には、『迹が先』なんだよな」
迹が先……確かに、住職も羽矢さんもそんな言い方だった……。
『正覚と言うは迹門であり、本覚と言うは本門であるが故……』
『迹門を水辺に映る月とし、本門を天に浮かぶ月と譬える……』
羽矢さんの目線が月を仰ぐ。
そして、月を眺めたまま、羽矢さんは言った。
「ああ。迹から始まるんだよ……その物語は……な。だから……」
「ああ。現象があるのは本体があるから……か。確かに最もな話だ。宝剣の時もそうだったな。それならば『迹』から攻めてみるか、羽矢。住職は、何も起こらないのなら、そうしてみろと言っていたんだろ」
羽矢さんは、蓮へと視線を戻す。
目線を合わせる二人の表情には、何にも恐れを見せない強さがあった。




