第43話 厭魅
「早く上がって来いよ……紫水 明鏡」
え……明鏡……?
不思議に思う間も少なく、思考が何とも結びついてくれない。
穴からまた黒い煙が噴き出すと、その煙を突き破るように龍が飛び出してきた。
驚く事の連続で、予想のつかない現実は、ただ言葉を作らなかった。
だけど……蓮と羽矢さんは違う。
「羽矢、依を頼む」
「任せておけ。依、少し離れるぞ」
どうすればどうなるかという、起結が見えている。
「……はい」
僕は、羽矢さんに腕を引かれ、後方に下がった。
蓮は、宝剣を構え、龍が鳴き声をあげると、宝剣をぐるりと回すように動かし、大きく横に振った。
カッと光が宝剣から放たれ、龍へと伸び、龍の動きが止まる。
再度、蓮は宝剣を振り、龍へと向けた。
「……殿上に上がる気はありません」
穴の中から明鏡の声がする。
蓮は、宝剣を龍へと向けながら、言葉を返す。
「だろうな。上がればお前も『対象』だからな」
「そこまで分かっているのに、よくその宝剣を手にしましたね」
「そうだな……」
蓮は、手にする宝剣を、もう片方の手でそっとなぞった。
「これ……宝剣とは言うが……厭魅が掛かっているんだよな。人を呪い殺すという術が……ね?」
蓮の言葉に驚く僕は、蓮の元へと行こうとしたが、羽矢さんに止められる。
「羽矢さん……蓮が……厭魅が掛かっていると言うなら、あれ自体が蠱物ですよね……それに触れるという事は……」
「蓮を信じろ、依。分かっているから、触れる事が出来るんだろ」
「ですが……僕は、蓮から離れないと……それなら僕が代わりに……」
僕のその言葉に、羽矢さんは怒った表情を見せた。
「代わり? それが善意だと思っているのか? 身代わりになって報われる者は、ここには誰もいない」
「……羽矢さん……」
「高宮と回向を見てきたお前にも、それは分かるはずだろう?」
「……はい」
そうは答えても、気持ちがどうにも治まらない。
そんな僕の心情を理解している羽矢さんは、僕の肩をポンと叩いた。
「心配するな」
「……羽矢さん」
「蓮ならそう言うだろ?」
そう言って笑みを見せた羽矢さんに、僕は頷いた。
「ああ、そうだ……」
蓮が再度、口を開いた。
「断壊は二派同時に行われたんだよな…… 一派は、法則通りに、もう一派は、そこに厭魅を加えて行った……」
蓮は、明鏡の声が聞こえてくる穴へと、宝剣を向けて言葉を続ける。
「ただでさえ、破る事の出来ない法だ。成就を絶対とするこの法に、厭魅が加えられれば、それもまた成就へと繋がる……か。成程、上手い手だ。流石は『黒僧』だな」
蓮はそう言うと、穴を切るように宝剣を振った。
ドンッと大きな音が弾け、穴から炎が噴き上がった。
その炎が宝剣へと向かい、宝剣を持つ蓮の腕まで伸びていく。
「蓮っ……!」
声と同時に僕の体が動くが、羽矢さんが止める。
「今は……抑えろ」
僕の腕を掴む羽矢さんの手から、震えが感じ取られた。
羽矢さんだって……僕と同じ思いでいるんだ。
何も出来ない訳ではない……。
だけど、手を出す事は許されない……手を出せば、蓮が行った事、全てが無駄になる。
その思いは、たった扉一枚を隔てて、当主様を見守っていた蓮には、苦しい程に分かる思いだ。
そしてそれは……。
蓮の腕まで伸びた炎が、衣の袖を焼いた。
蓮が宝剣を強く振ると、炎は宝剣に留まったが、露わになった蓮の腕に模様が描かれた。
……鱗の痣……。
僕は、あまりの恐怖に気分が悪くなり、口を押さえた。
……そんな……。
「紫条……!!」
回向の声が響いた。
ゆっくりと回向を振り向く蓮は、回向に宝剣を見せた。
「紫条……お前……」
「高宮は見つかったか?」
「ああ……ここにいる……」
回向の背後から高宮が顔を見せる。
「紫条さん……」
こんな時でも……蓮は笑う。
「じゃあ……間に合ったな」
そう言って、笑っていた。




