第35話 深秘
悉く、法力が重なっている事に、対抗心は明らかだと感じさせる。
「守護的であり、攻撃的でもある……経文を書き写し、水辺に棄て、罪穢れを祓う。滅罪経をだ」
じっと見据える羽矢さんと、少しの間、無言で目を合わせていた明鏡だったが、宝剣を下ろすとふっと笑った。
「……いいでしょう。そこまで分かっているのであれば……」
明鏡は、ゆっくりと瞬きをすると、強く目を見開き、印契を結んだ。
「当然……敵う術は持っているのでしょう……?」
明鏡の門から、再び炎があがった。
炎に囲まれる中、羽矢さんは少しも動じる事なく、じっと明鏡を見ている。
先程までとは、比べようのない激しい炎が、轟音を響かせて辺りを巡り、一瞬にして僕たちの周りを囲んだ。
神祇伯が住職の前に出ると、炎を弾き飛ばすように大きく檜扇を振ったが、勢いは治まらず、神祇伯の法力までをも利用するように、炎が大きく膨らんだ。
……熱い。
熱風が呼吸を妨げるようだ。息苦しい。
蓮が上衣を脱ぎ、僕に被せた。
「熱を抑えられる。少しの間、そうしていろ」
「それでは蓮が……」
「俺の事は心配しなくていい。だが、俺から離れるな」
「……はい」
激しく燃え盛る炎から、重くも響いた声に僕は驚く。
「私に従え。従わなければ、即刻、焼き殺す」
……この言葉……。
霊山で対峙した時と同じだ。
神祇伯が再度、檜扇を振る。やはり、神祇伯の法力を吸収しているのか、膨らんだ炎が神祇伯を襲った。
「親父……!」
回向も檜扇を手にし、神祇伯へと駆け寄るが、神祇伯を飲み込もうとする炎の速度が速い。
「親父ーっ……!」
神祇伯が炎に飲まれた瞬間、明鏡の表情に笑みが浮かぶ。
回向の叫ぶ声が響く事に、愉悦を感じているように見えた。
「ふん……」
鼻で笑ったのは、羽矢さんだった。
「足りねえな」
そう口にしたのは回向で。
悲痛に叫んでいた声とは裏腹に、それは冷静な声だった。
回向は、羽矢さんの隣へと歩を進め、法を説き始める。
それは、この場で説き伏せようとするよりも、その先を見据えて宣言しているように感じた。
「得大欲最勝成就故 得大楽最勝成就……」
大欲の成就を得るが故、大楽の成就を得る……。
流れ続ける回向の声に、羽矢さんと蓮が笑みを見せた。
「摧大力魔最勝成就……即得遍三界自在成就」
魔を摧く……最勝の成就を得る。三界遍く自在に……。
回向の手が、辺りを囲む炎へと向いた。
更に回向の声が流れた。
「究竟皆悉成就 何以故」
……悉く成就する。
回向が説く法は……明鏡には得る事が出来なかったものだ。
羽矢さんが口を開く。
「忘れたか? 俺の寺の門に、お前の門を開いた事が徒になったと……」
羽矢さんは、ニヤリと笑みを見せると、言葉を続ける。
「それに……その一つは渡さないってな……」
羽矢さんの言葉を聞くと、蓮がクスリと笑みを漏らし、冷ややかにも言葉を放った。
「地獄に落とせ」
明鏡を見据えたまま羽矢さんは、声を強く響かせて、蓮に答えるように言う。
「開示」
神祇伯と共にその姿は見えなかったが、住職の声が直ぐに返ってくる。
「無論……承知」
住職の声が流れると共に、風景が変わる。
それぞれの言葉が繋ぎ合って、一つに結び付いていくみたいだ……。
うっすらと霧が立ち込めている中に、聞こえる水の音。
……これは……河原……。
「地獄巡りっていうのはどうだ? 案内してやるよ」
クスリと笑って、羽矢さんは明鏡にそう言った。
明鏡の目線が河原へと向く。
河原を見つめる明鏡に、羽矢さんはこう言葉を続けた。
「お前の滅罪経……使ってみてくれよ。その法を誹謗した者も含めて……な?」




