第29話 仏頂
「住職……いえ……閻王」
ニヤリと口元を歪めて笑い、羽矢さんは住職をそう呼んだ。
その言葉に驚きはなかった。
冥府の番人、死神。
閻王に誰よりも近しい存在であり、その口添えは、閻王さえも動かす。
『審理に影響が及ばぬよう、私が担いましょうか……?』
ゆっくりとした足取りで、明鏡へと歩を進める住職。
互いの全身が目に捉えられる位置で、住職は足を止めた。
真っ直ぐに向けられる目線は、逸らす事が出来なくなる程に、しっかりと強く相手を捉える。
その目に捉えられたら、嘘などつけようがないだろう。
自身の持つ力が無上であると言う明鏡と、その穏やかな風貌が真の強さを物語る住職。
互いに見合ったまま、無言が続いていた。
僕は、明鏡と住職へと交互に目線を移した。
法王と……閻王……。
「閻王……ですか」
先に口を開いたのは、明鏡だった。
「お噂は予々……ですが……それをお目にする事が出来る者は、秘密を共有する事でしょう。ですから、目に見る事が出来ない噂は、目に見る事が出来る現実に覆われ、秘密は守られる……その秘密を開示するという事は……僕も共にあるという事でしょうか。ならば僕も開示しなくてはなりませんね」
開示……。
その言葉に反応する羽矢さんは、クスリと静かに笑みを漏らした。
『我が門は果てしなく広きもの。その領域に無断で入ろうとも……』
『無論、全てを開示致します』
「貴方が領域とするのは霊山界……地獄からの救済に、様々な領域をもって自身の持つ法を駆使する事に対し、異を唱えるつもりはありません」
「お認め頂ける……そう受けてよろしいと」
明鏡の言葉に住職は、言葉なく瞬きをもって返した。
どう受け止めるかは自身の自由であると、その理解による受け止め方がどれ程のものであるのかを、確認しているようだった。
「では……審理など必要がないではありませんか。それで何をしようというのです? 地獄からの救済の方便に、異を唱えるつもりがないのであれば、審理をもって道を示すなど……そもそも、掲げているものは救済でしょう。それは皆、同じに目指しているものです。無論、この僕も。救済が明確であれば、それこそが道を示しているではありませんか」
明鏡は、ちらりと羽矢さんを見たが、住職へと目線を戻すと、言葉を続けた。
「摂取不捨…… 一つも漏らす事なく、浄界へと導く……例え地獄に落ちた者でも、救う事が出来る……ですか。そして……」
言いながら明鏡は、住職の少し後ろにいる神祇伯へと目線を移した。
「その為の調伏も厭わない。ですが僕は……」
明鏡が神祇伯へと目線を向けながら続けられたその言葉に、回向の目がピクリと反応を示した。
僕は、その言葉に驚いていたが、蓮と羽矢さんは、冷静に明鏡をじっと見つめていた。
それは、出るべくして出た言葉……その言葉が出る事を待っていたのかもしれない。
「『聖王』の力をもってして、その調伏をも容易とします」
神祇伯と明鏡の目線が一線に重なる。
神祇伯は、眉一つ動かす事なく、じっと明鏡を見ていた。
「……奎迦」
神祇伯は、住職に言葉を促す。
住職は、静かに頷くと、ゆっくりとした口調で口を開いた。
「……そうですか」
そう口を開くと住職は、ゆっくりと目を閉じた。
……住職。
住職が目を閉じた事に明鏡は、また悠々とした表情を浮かべた。
言葉ない間に、住職が目を開ける。
「貴方……」
その言葉を口にするまでに住職は、明鏡に時を与えていた。
それでも敵う言葉がなかった事に、言うに至ったのだろう。
起伏なく、穏やかにも流れた言葉は、何も見落とす事なく、核心を突くものだった。




