第34話 隠国
「感傷に浸っている暇はねえぞ、弥勒」
羽矢さんはそう言い、明鏡の背中をポンと叩いた。
「勧請されていた神は遷座し、樟陰が新たな処に勧請する。分かっているだろうが、今……この処には神も仏もいない」
羽矢さんの言葉に、明鏡は両手をグッと握り締めた。
「ああ……そうだな……」
静かな声だった。意を決したのか、不安があるのか読み取れない程の小さな声だ。
明鏡は、伏せていた顔を上げ、自身が抜けて来た洞穴へと歩を進めた。
僕たちは、明鏡の後ろ姿を見守るように見つめる。
あれ……? 中に入って行く……?
明鏡が洞穴の中へと入って行き、姿が見えなくなった。
直ぐに戻って来るのかと思っていたが、中に入って行ったっきり、暫く待っても戻って来ない。
まさか……帰ってしまったという訳では……。
「蓮……」
「なんだ」
蓮と羽矢さんは、明鏡が戻って来ない事を気に留めている訳ではなさそうで、淡々と話を始めた。
「来生は奪われるようにも処を追われ、その処は然暁の兄、真人に渡った。だがそもそも、国譲りは既に済んでいた……それは来生の時を言っているんだよな……? それってさ……」
「ああ。お前が察する通り……」
蓮は、明鏡が入って行った洞穴を見つめながら言葉を続けた。
「国譲りは二度行われている」
「蓮……お前、このまま黙っておくのか?」
「どういう意味だ」
「伝えなくていいのかって事だよ、あいつらに。まあ、神祇伯は知っている事だろうが……」
「神祇伯は知っているだろ。境界を見抜け……神祇伯がそう言ったんだからな」
「そもそもそれは、右と左の境界って訳だろ」
「まあな。だが、曖昧だろ?」
「ああ、曖昧だな」
右と左の境界……曖昧って……。
それって……以前に蓮と羽矢さんが話していた、左の真人の事を言っているのだろうか……?
「それでも、蓮……曖昧なままでいいのかもな……」
「ああ。近いようで遠い。遠いようで近い……そんな曖昧さであっていいんだろう……弥勒も同じように……な」
「蓮……? 羽矢さん……?」
二人の会話を不思議に思う僕は、訊ねるように声を掛けた。
話を聞いている限り、明鏡の事を言っているようには思えなかった。
蓮が僕を振り向き、穏やかな笑みを見せる。
「ああ、ごめん、依。お前にはまだ言ってなかったな」
蓮は、この処を見渡すように目線を変え、話を始めた。
「元より神が棲まうとされる地に社殿はない。神の棲まう処は、山そのものが神域であり、社殿のようなものだからな。そもそも社殿を建てるという事は、新たな神の降臨をも意味する。その地に降り立たせるべき神を勧請したという事にもなるだろう。だが……ここでその話を含め、繋がりが出来るのは、今、回向が宮司を務める神社だ。廟が神社と名を称するのは祀っているのは人神。高宮が繋がりを持てたのも、血族であったからというのは気づいた事だが、気づく事が出来たというのは、その存在が大きく表に出されていない、隠された存在だったからだ。どういった経緯で分かれたかまでは知らないが、隠さなければならなかった事情があった事は間違いないだろう。突然、弥勒が現れた事も引っ掛かりを感じていたが、どうにも然暁があの神社との結び付きを明かしたいようにも思えてな……」
「それって……もしかして……」
僕が察した事に気づく蓮は、深く頷き、静かに答えた。
それは、回向を交え、八雲に言ったあの言葉が、反応を窺うものであった事を、同時に気づかせた。
『なんか……荒魂を見せた時の皮肉な高宮と似てんな』
「八雲は……高宮 右京の兄だよ」




