第16話 羅城
羽矢さんの声にも、門の上に立つその人影から、言葉は返ってこなかった。
そこに誰かがいる事に、僕たちの目線も人影へと動く。
「おい……お前……」
死口が解けた回向は、直ぐに状況を察したようだった。
その人影に向かおうと動く回向を、羽矢さんが止めた。
「また利用されるぞ、回向」
「ふん……油断しただけだ。次はない」
それでも歩を踏み出そうとする回向の腕を、羽矢さんはグッと掴む。
「油断した事自体が妙だろーが。気づいた上で、本堂を後にしたお前の何処に、油断が生じたんだ?」
「……」
羽矢さんの言葉に、回向は無言になった。
思うものは確かにあるだろう。
それは、僕たちにしても同じ事だ。
襲い掛かって来るようなあの行動も。
そして、取り憑かれたように口にした言葉は、回向のものではなかった。
回向も無意識であった時を自覚している。
不機嫌にも顔を歪め、苛立ちが見えていたが、今ここで何が起こっているのかを理解しているだけに、落ち着きを取り戻したようだ。
「……そういう事だろ。やめておけ」
羽矢さんは、回向を落ち着かせるようにもそう言った。
回向は、小さく舌打ちをすると、門をじっと見つめた。
「あの門……」
「ああ……今は抜けられねえな」
「羅城門……か。境界を作るとは……な。それも羽矢……お前の領域で……よくも出来たものだ。確かに俺は門を抜けたんだ。だが……」
回向は、記憶を辿るように考えながら、長く息をつくと言葉を続けた。
「こっち側に戻れただけ、マシというものか……」
そう答えた回向に、羽矢さんは言う。
「それがお前の意思ならな」
「俺の意思に決まってんだろ」
「それはどうかな……?」
羽矢さんは、ニヤリと笑みを見せる。
「なんだよ……羽矢」
羽矢さんの手が、人影に向かって差し出すように動いた。
何処からともなく強い風が吹き荒れ、衣がバサバサと翻った。
次第に強さを増す風の中、蓮が身を盾に僕を風から守る。
羽矢さんと回向は、門の上にいる人影をじっと見据えていた。
風が下から上へと吹き上がり、門へと向かった。
……この風……羽矢さんが……。
空気を動かし風を起こす……渦を巻くように動く風……。
羽矢さんの指がパチンと弾かれ、冷ややかに放たれる声が響く。
「狩れ」
吹き抜ける風は大蛇の姿となって、門を目掛けて大きな口を開ける。
羽矢さんの使い魔だ。
使い魔が門ごと飲み込んだ。
羅城門は寺の門へと姿を戻し、もうそこに人影はなかったが、使い魔が飲み込んだ訳ではなかったようだ。
再度、羽矢さんの指が弾かれる。
「追え」
「……羽矢」
蓮が羽矢さんを呼ぶ。
「心配無用だ、蓮」
蓮の心情を声色で察する羽矢さんは、はっきりとした口調でそう答えた。
「……結局俺は……お前を巻き込んじまうんだな……」
肩を落とす蓮に、羽矢さんは穏やかに笑う。
「お前だけの問題じゃないだろ、蓮」
背後から聞こえる足音に、振り向く僕たち。
羽矢さんは、体を向き直し、真っ直ぐにその姿へと目線を送る。
現れたのは住職だった。異変に気づいての事だろう。
羽矢さんは、住職と目線を合わせたまま、こう答えた。
「我が門は果てしなく広きもの……その領域に無断で入ろうとも……」
羽矢さんの言葉の後を、住職が続けた。
その二人の言葉は僕たちに、奪われるものなど何もないと伝えているようだった。
「無論、全てを開示致します」




