第32話 神明
「……感謝する。確かに……受け取った」
回向の言葉に八雲は静かに頷くと、ゆっくりと立ち上がり、手を前に重ねてそっと目を伏せる。
「親父……いや、神祇伯と聖王が用意した新たな処……それは同等の大社になっている」
そう言って回向は、八雲に符を差し出した。
「確かに賜りました」
符を受け取ると、八雲は深く頭を下げた。
「深く感謝致します。では……そちらに向かいますので、私もこれで失礼させて頂きます」
八雲は踵を返さずに回向へと体を向けたまま、小さな歩幅で後ろへと足をそっと引く。相手に直ぐに背を向けない姿勢、その身のこなしは優雅さを醸し出し、溜息が出る程の美しさを感じる。
……本当に……神をも重ねたような美しさだ。
「一つ……聞かせてくれないか」
回向の呼び止めに、八雲は足を止める。
「どのような事を……でしょうか」
回向は、少し躊躇いながらもこう口にした。
「黄泉の死神の事だ」
回向の言葉に、八雲は穏やかな表情で静かに答える。
「お察しの通り、祖神です」
「祖神……そうか……」
回向は、静かに頷くと、蓮を振り向いた。
蓮は、回向の目線を受け止め、分かっていると合図するように、頷きを見せる。
八雲の目線がゆっくりと蓮に向き、互いに目線が合うと、八雲は蓮に向けて深く頭を下げた。
「地上に戻る縁を結んで頂けた事……深く感謝致します」
「国土そのものが神の魂……国魂神だからな、戻れるだろ?」
それは当然の事だと、笑みを見せて八雲に答える蓮。八雲は目をそっと伏せたが、その表情には笑みが見えていた。きっと、蓮の言葉を嬉しく思ったのだろう。
八雲は、深々と一礼し、この場を後にして行った。
八雲の後ろ姿を見送る蓮と回向。蓮は、回向と肩を並べ、こう口にした。
「その神号も結び付きを奪われれば、祖神さえも奪われる……祖神とは、氏族の系譜に於いても、地位を成り立たせ、引き継がれるもの……それは天地開闢の根源までをも、大きく左右する……か」
蓮が口にした言葉は、ずっと蓮が気に掛かっていた、高宮 来生が残した言葉だ。
「……紫条」
回向が蓮を振り向く。
蓮は、回向と目を合わせ、ふっと笑みを見せて言った。
「やっと……腑に落ちたよ」
「ああ……そうだな」
回向も蓮に笑みを見せる。そして、手にした神剣を大切に抱え、八雲が去って行った方向へと向かって頭を下げた。
ああ……そうか。あの方向は……。
社の後に堂が建ち、参拝の順路が変わった処。
八雲が去って行った方向は、元よりの順路であったのだろう。
「本当に……感謝する。樟陰 八雲」
感極まる思いが、回向の声を震わせていた。
蓮は、頭を下げたまま顔を上げずにいる、回向の肩をポンと叩いた。
「お前も行け、回向。整えるべき処があるだろう。天表に相応しく、権現ではなく、神明にして祀るべきだ」
蓮のその言葉に、回向の複雑な心境が顔に表れる。
「それは……俺もやはり分離を……」
「判然だ」
回向の心情を読み取った蓮。遮るように強く響いた蓮の声に、回向は顔を上げた。
「回向……お前は誰の守護を務める? 親友でも幼馴染でも、想い人でもねえ、ただ一人のみを守るのは」
蓮は、真剣な表情を回向に向けて、はっきりとした口調で言葉を続けた。
続けられた蓮の言葉に、回向の表情が強さを取り戻した。
「全てに於いて平等に、全てを守る為の力の象徴で有り続ける、唯一の存在を守るという事だ」




