第26話 禁厭
地の底から地上へと戻ると、そこには羽矢さんと明鏡がいた。
その場に座る蓮は、疲れを吐き出すようにも息をつく。
「よう、お帰り」
にっこりと笑みを見せる羽矢さんは、片膝を立てて座っている蓮へと手を伸ばした。
「まったく……手厳しいもんだな。少しも休むなと……?」
言いながら蓮は、ふっと笑みを漏らすと、羽矢さんの手を掴んで立ち上がった。
「こっちの『死神』は、随分と人使いが荒いようだ」
「はは。何を言っている。人使いが荒いのはお前の方だぞ? まあ、手筈は済んでいる」
「流石、話が早いな」
蓮と羽矢さんは笑みを見せ合うが、明鏡の表情は硬い。
「それよりも……」
明鏡は言いづらそうにも小さな声で、回向へと目線を向ける。言葉を表すより前に、明鏡の目線は回向の手に握られる符へと向いた。
黄泉へと向かった僕たちが地上に戻り、黄泉でどうしていたかは気になるところだ。
それは、共にその全てを見てきた僕にしても、明鏡と同じ思いだ。
僕は、黄泉で見た事を思い返す。
蓮が泉に符を浮かべ、文字が浮かび始めたところで水が噴き上がった。その水飛沫が治まると、黄泉の死神と鬼神が姿を現した。
そして、回向の手に符が渡り、底根の地を破るように符を投げ、僕たちは今、地上にいる。
目の前に現れた黄泉の死神も、鬼神も、地上へと戻った瞬間に消えていたのだから……どうなったのか、これからまたどうなるのか……僕には分からない。
あの符を依代に、死神も鬼神も連れ立って地上に戻ったという事なのだろうか。
それならば、あの符は……。
「ああ……そうだな……」
明鏡の目の動きで直ぐに察した回向は、そう呟きながら蓮に眴をする。
蓮は分かったと頷き、明鏡に伝える。
「神意を表して貰う為に、泉に符を浮かべた」
「それで……神意は……?」
明鏡の問いに、回向が符を明鏡に見せた。
ああ……そうだ。
あの符に文字が浮かび始めたのを、僕も見ていた。
回向の手元に符が渡った時、確かに見えた文字『大神』
あれが……神意……神の意志なのか。
幽冥の死神であろうとも、大いなる神であると……。
だけど……尊称しか見えなかった。
その符を手に地上へと戻ったのだから、名も示されているのでは。
僕は、符を覗き見た。
神の尊称だけではなく、やはり、神の名も示されている。
……だけど……これって……。
回向が手にする符へと、明鏡の手がゆっくりと伸びた。
「待て」
突き抜けるように響いた声に、明鏡の手が符に触れる手前で止まった。
……手筈は済んでいるって言っていたのは……。
一つに束ねた赤毛の長い髪。真っ直ぐにこちらへと進む足取りは、力強さを感じる。
澱むような重い空気感さえ、澄みきった風に変えてしまうような、偉大さが溢れ出ている。
水景 瑜伽神祇伯だ。
神祇伯は、符に目線を向けた後、蓮に目線を変える。
「ふ……そのままに迎えるとは」
「その後のお役目は、俺ではないんでね」
「子息……。役目も何も……全ての流れが分かっているからこそ、私をここに来させたのだろう?」
真意を探るような目を見せる神祇伯に、蓮は、ふっと笑みを漏らすと答える。
「『天津霊を神と言い、国津霊を祇と言う』明確に表せるのは、その名の通り『神祇伯』しかいない……そう思っただけだ」
蓮の言葉に、神祇伯は静かに頷くと、ちらりと羽矢さんを見た。神祇伯の目線に、羽矢さんはクスリと笑った。神祇伯が何を言うかを分かっているのだろう。
「ふふ……冥府の死神の使い魔は、有無を言わさぬ勢いでな……なんの説明もなかったが……まあ、察するに易しいのも、奎迦で慣れている」
回向の手から符が神祇伯に渡される。
神祇伯は、符をじっと見つめると、符に書かれている神の名を口にした。
「幽冥主宰大神……か」




