第15話 治天
寺院を出て、更に歩を進める羽矢さんに、僕と蓮はついて行く。
だけど……。
「何処に向かうつもりだ、羽矢。当てはあるのか」
「当て……?」
そう呟くと羽矢さんは足を止めた。
「羽矢?」
どうしたんだと、蓮は羽矢さんへと目線を向ける。
羽矢さんの目は、真っ直ぐに前を見ていた。
蓮は、羽矢さんの目線を追う。
「……回向……お前……どうした……?」
寺を先に後にした回向がそこにいる事に、蓮は訝しげに回向を見た。
顔を伏せ、じっと立ち尽くしている。
回向は、顔を伏せたまま、ゆっくりと僕たちの方へと歩を進め出す。
肩を左右に揺らし、ゆらりゆらりと歩を進めるその様は、明らかに妙だった。
……まるで。
ぞくっと僕の背中に悪寒が走る。
回向が顔を上げた。
その瞬間に、近づく速度が上がった。
何かに取り憑かれているみたいだ。
人並外れた身体能力。
地に着ける足が、脚力を増加する。
脇目も振らずに向かう先は。
どうやら僕のようだ。
「依っ……!」
蓮が僕の腕を強く引く。
「回向!」
同時に羽矢さんが間に入るように、回向の真正面に立った。
バサリと翻る黒衣が地に落ちていく。
「羽矢……!」
蓮が羽矢さんの元へと向かう。
地に仰向けに倒れた羽矢さんの上に、押さえ込むように回向が乗っていた。
「回向!!」
蓮は、羽矢さんから回向を引き離そうと腕を掴むが、回向の力が弱まる事なく、羽矢さんを押さえ込み続ける。
「大……丈夫……だ、蓮」
羽矢さんは、回向に押さえつけられながらも、回向へと手を伸ばした。
その手が回向の頬にそっと触れると、羽矢さんは言った。
「後一つ…… 一つなんだろう……? だけど……悪いな。その一つだけは……渡せない」
その言葉を聞くと、回向の手の力が緩んだ。
それでも体勢は変わらなかったが、様子が変わった事に、蓮は眉を顰めた。
「……後継に値せず、僧侶となった。兄即位により還俗したが、王子幼き為、改めて後継となった……」
……僧侶……? 還俗……? 王子幼きって……。
「兄の意向により、時が来たるまでの中継を承諾し、譲位するも、無道により危機と化し、兄の重祚を望んだが、それも叶わず。なんとか位を守るも、そもそもの兄の在位は否定され、兄が位を受け継いだという事実は抹消された。それは……」
力が緩んだ回向の手を掴み、羽矢さんは起き上がる。
ペタリと地に座り込む回向の口が動く。
「治天を定めなかったが為……」
回向の目から涙が零れ落ちた。
……これは……死口だ。
僕と蓮は顔を見合わせ、頷き合う。
だけど……何故……先に一人で……。
いや…… 一人で行う事自体が妙だ。
周囲に誰もいなければ、伝える事も出来ない。誰かいたとしても、聞かせられる相手は選ぶものでは……。
何者かの策略によって行われたと言うなら尚更だ。
羽矢さんは、回向の目から零れ落ちる涙を指先で拭うと、回向の額を軽く弾いた。
「もう……十分だ」
「……頭痛え……」
頭を抱える回向に、蓮が近づく。
「紫条……?」
回向は、地に座ったまま、蓮を見上げる。
「なに……やってんだよ……いくら俺が頼んだからって…… 一人でやるなど……俺たちが聞いてなかったら……いや、他の誰かに聞かれたら……それよりも、お前……危ねえだろ」
「あ? 何の話だ?」
「おい……回向……」
「なんで俺……まだここに……?」
回向の様子に蓮の表情が強張る。
立ち上がった羽矢さんは、寺の門を見上げた。
月の明かりに浮かび上がる人影。衣が風に揺れている。
……紫衣。
羽矢さんは、その人影に向かって言った。
……気づいていたんだ。
「聞こえなかったか? その一つは渡さない……そう言ったはずだ」




