第1話 要偈
「だから、なんでなんだよ?」
蓮の不機嫌そうな声に、羽矢さんが口の動きを抑えながら、小声で言う。
「……黙れって」
「お前……俺を暇だと思ってるだろ」
「だから……黙れって」
二人はそう小声で話しながらも、目線は一定だ。会話の内容とは裏腹に、表情は穏やかさを保ち、真っ直ぐに前を見ている。
「そもそも、何処から涌き出たんだよ?」
「涌き出たとか言うな。元々いただろ」
「元々だったか? お前、得意だろ。『地涌』」
地涌……その地から涌き出たって……。
僕は、二人の会話を聞きながら、苦笑するばかりだった。
「俺じゃねえ、それが得意なのは……」
蓮と羽矢さんの目線が、同じ方向へと向いた。
「弥勒だろ」
二人の目線を受けて、明鏡が笑みを見せる。
満足そうな明鏡の笑みに、蓮と羽矢さんは目線を前に戻すと、同時に溜息をついた。
そんな中、時を止める事なく、住職の声が流れている。
僕たちはまた、住職の説法を本堂で聞く事となった。
そしてそこには、少し離れた位置で説法を聞く、明鏡がいた。
あの後、僕たちは、住職の後をついて冥府を後にした。
下界へと戻る道を暫く歩いて戻った僕たちだったが、歩く中で目にしたものには感慨深いものがあった。
無数の淡い光の玉が、四方八方に散っていく。
下界に於いて死した者が、何処に向かうかなど、誰も知る由がないだろう。
だが……。
死者の処……それが浄界であっても、地獄であっても、魂が流れゆくのを見送りながら歩を進める中、救いを求めているのか、還る事を望んでいるのか、下界へと向かう僕たちの肩や手に触れながら、それぞれ向かうべき処へと流れて行った。
向かう先は、僕たちとは反対で。
その出口は、生と死を分けた。
「廃寺を建て直そうと思う」
下界へと戻った時、別れ際に明鏡はそう言った。
その言葉を聞いて住職は、今日のこの説法の場を設けたのだ。
明鏡の師となる僧侶は、もうこの世にはいない。その教えを受け継いだ明鏡ではあるが、それでもやはり門を開くとなれば、誰かの支えは必要だ。実の父親であった然暁は、住職と神祇伯の師であった事もあり、住職にしても明鏡が門を開く事に力を添えたいと思った事だろう。
だからこその説法でもあった訳だが……。
「究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝 我閣万行選仏名 往生浄土見尊体」
住職は要偈を伝えていた。
それは、法門を伝授する伝法であり、住職の門に於いて最も重要なものであるが、明鏡は明鏡自身の門を開く事だろう。
それでも住職が明鏡にその偈文を伝えた事は、明鏡を信じ、認めての事だ。
住職は、明鏡へと真っ直ぐに目線を向けた。
「これが我が門の『選択』です。貴方は貴方の『選択』に揺るぎなく、自信を持って門をお開き下さい」
住職はそう言って一礼すると、本堂を後にした。
明鏡は、住職の姿が見えなくなるまで、深く頭を下げていた。
住職の説法後、本堂を出た僕たちは、明鏡も共に、羽矢さんに連れられて寺院内の墓地へと向かった。
羽矢さんは、墓地を見渡しながら静かに口を開く。
「安穏なる処……浄界を望むのは、死者だけじゃない」
そよぐ風が香の匂いを連れてくる。供えられる花が、寂しげにも地に馴染むような墓石を、はっきりと映し出すようだった。
墓を前に手を合わせる遺族。この時期は特に多くなる。
「彼岸というこの中日には、彼らには見えはしないが、他世への門が自然に開く」
墓参りをする遺族を見つめながら、羽矢さんがそう言うと、隣に明鏡が並んだ。
明鏡は、羽矢さんが見る方向を同じに見ているようだった。
僕と蓮にもその門は見えない。
だが、自身の門を開くと決めた明鏡には、羽矢さんと同じに見えている事だろう。
続けられた羽矢さんの言葉に、明鏡は穏やかな笑みを見せながら、深く頷いた。
「浄界への門が……ね」




